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「サクラー? どしたのよ」
頭上から間の抜けた声が聞こえると、サクラは抱えていた膝の上に顔を押しつけた。
「久しぶりに会ったのにさー、いきなりバカはないでしょー?」
それでものんきに話しかけてくるカカシは、サクラの側に腰を下ろすと、ぽんぽん、と頭に手を置いた。
「……カカシ先生のバカ」
「ほらまた言う」
「だって本当だもん」
やれやれ、とカカシは肩の力を抜くと、サクラの頭の上に置いたままの手で、わしゃわしゃっと髪をかき乱した。
「やだっ! せっかくセットしたのに〜!」
慌てて髪を直そうとして、顔を上げると、気を抜いた視線の先には満面の笑みを浮かべるカカシの顔があった。
「よっ!」
片手を挙げて、改めてそう言った。
……そんな笑顔にはだまされないんだからっ!
サクラは不機嫌なまま、ふいっとそっぽを向いた。
「困ったなあ……」
さほど困った様子もなく、カカシはかしかしと頭をかいて、木の幹にもたれかかった。
「いい天気だなー」
独り言のようにつぶやいても、サクラは何の反応も示さない。
まあ、いいか、とカカシはそのまま目を閉じた。
鮮やかな青空には、薄いレースのような雲がたなびいている。
雲の方向に沿うように流れる風はあたたかく、時々いたずらのように前髪を揺らしていく。
すっかり静かになった気配に、サクラは一瞬不安を覚えた。
……カカシ先生、もしかしていなくなった?
視線だけ送って背後を確認すると、それはそれは気持ちよさそうに寝息を立てているカカシの姿があった。
「まったく、この人は……」
呆れるを通り越して思わず笑いがこみ上げた。
そこにいるのは、確かにサクラの記憶の中のカカシと全く変わらないカカシだった。
いろんなものが、ものすごい時間を消費しながら変わっていく。
自分も、周りの人たちも。
それを強く感じていたサクラは、ずっと気を張っていた自分に気づく。
……カカシ先生といると、なんか調子狂っちゃう。
でも、その心地よさが気に入っているのも本当で。
「……おかえりなさい、カカシ先生」
平和な寝顔にそっと語りかけると、熟睡していたはずのカカシは「うん」と声を出したかと思うと、むくりと起き上がって、そしてにっこりと笑った。
「ただいま、サクラ」
驚いたサクラは、しばらくカカシの顔をじっと見ていたが、返す言葉が何も見つからず、しばらく、時間にすればほんの一瞬だったが、二人は静かに見つめ合った。
……なんかいいな、こういう感じ
と思ったのもつかの間、サクラはすぐにムッとした顔に戻ってカカシにつっかかった。
「ちょっとカカシ先生! 中忍試験で私がいのやチョウジと組むってどういうこと!? 私何も聞いてないっ!」
「んー? 情報が早いな」
「なんでそんな大事なこと、勝手に決めちゃうの?」
「いや、決めてなんかないよ」
怒りの原因がわかり、少し安心したカカシは、サクラの勢いを穏やかに制して、ゆっくりと話し始めた。
たまたま任務から戻った里の入り口付近で第2班に遭遇し、いきなり中忍試験の話を聞いたのだという。
「そりゃあ、アスマがチョウジやいのに中忍試験を受けさせたい気持ちもわかるけどね」
身を乗り出していたサクラに、カカシは言葉のひとつひとつを丁寧につないだ。
「オレは、サクラの気持ちを大切にしたいから」
「えっ?」
突然の言葉にサクラは思わずドキッとした。
少し速くなった心臓の音が体の中をかけめぐる。
「サクラは……ナルトとサスケと一緒に中忍試験を受けたいんじゃないかなって。第7班としてね」
「カカシ先生……」
視界が一瞬潤みかけて、サクラは慌ててカカシから顔を背けた。
「あれ? 今いいこと言ったと思うんだけどなー……」
サクラの反応に困ったカカシは、笑ったまま首をかしげた。
膝を抱えてうつむいたサクラは、小さな声で言った。
「……なんでカカシ先生は、私の気持ちわかっちゃうのかなあ」
自分の中で言葉にもなっていない感情を、こうも簡単に形にされてしまうなんて。
「はは、そりゃわかるよ」
「なんで?」
間髪入れずに問いかけるサクラに、カカシは少し戸惑った。
……そりゃあね、サクラのこといつも見てるから、なんて言えないなぁ……
と、心の中で苦笑しつつ、そんなことを口に出そうものなら、きっとまた「変態オヤジストーカー」などと不名誉な称号を与えられるに決まっている、と身の危険も感じたカカシだった。
「サクラはわかりやすいからな」
「そうなの?」
「んー、それなりに」
そっか、とうつむいて、サクラはしばらくの間抱えた膝の上の空間を見つめていた。
「ま、無理にいのやチョウジと合わせて中忍試験を受けることはないよ」
ほどなくして、カカシがやんわりとこの会話を終わらせようとしたとき、
「……あのね、先生」
「ん?」
サクラは視線の位置はそのままに、静かに話し始めた。
「孤独って、どういうことなんだろう?」
「え?」
サクラは、素直にこの間思ったままの気持ちを伝えた。
「……私ね、サスケくんがいなくなったら、孤独も同然だって思ってたの。でもね、私が感じているのは孤独なんかじゃなくて、何か心の中からぽっかり抜け落ちたような、喪失感っていうのかな?」
「……なるほどね」
カカシは、サクラの言葉の余韻が収まるのを待って、丁寧に相づちを打つ。
「だって私はいろんな人たちに囲まれていて、守られていて……だから」
「だから?」
「……だから、サスケくんや、ナルトや砂隠れの我愛羅とか、ずっと孤独と戦って来た人たちの気持ちなんてわかってあげられないんじゃないかって、それがすごく悲しかったの」
カカシは穏やかな表情でサクラの横顔を見つめていた。
そして、そっと手を伸ばして、今度はサクラの髪を崩さないようにやさしく触れた。
「そんなことはないよ。サクラにできることだってあるさ」
「私にできること? 私には何ができるの?」
カカシの言葉ひとつひとつに、すかさず質問を投げかけてくるサクラ。
ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない、と思うと、長い間サクラにきちんと接してやれなかったことをカカシは初めて悔やんだ。
「んー、そうだな」
ようやくこちらに顔を向けたサクラににっこりと笑いかけながら、カカシは続けた。
「ほら、さっきサクラがおかえりって言ってくれただろ?」
「うん」
「そう言われてオレはすごく嬉しかったよ」
「ほんと?」
サクラの目は少し輝いて、表情が明るくなった。
それを見て、カカシは少しほっとする。
「サクラは孤独な人の気持ちがわからないって言ったけど、それは逆にそういう人たちに”本当は孤独じゃない”って教えてあげられるってことなんじゃないのかな?」
「孤独じゃないことを?」
「そう」
「そんなこと……できるのかな」
不安そうに目を伏せるサクラ。
忙しく変わる表情が、ほほえましい。
「少なくとも、オレには伝わったよ。だから、サクラはオレにそう言ったように、ナルトや、サスケが帰ってきたときに笑って”おかえり”って言ってあげればいい」
「それだけでいいの?」
「だからー、言っただろ? オレは、すごく嬉しかった、って」
戸惑いと照れを隠すかのように、カカシは眉を下げて困った表情を作った。
大切な人をすべて失って、ずいぶん長い間、誰にも心を開くことはなかった。
いや、それ以前から心は閉ざしたままだったのかもしれない。
自分以外は誰も信じられない中で、自分の感情すら信じられなくなっていた。
−−お前も人間臭くなったなあ
にやりと笑った綱手の顔を思い出した。
ただ任務をこなすだけなら、感情なんていらない。
帰還して待っているのは次の任務。
機械的に過ぎていく日々の中で、コマの一つとして動くだけ。
それが当然で、それが一番楽だった。
だから、まさかこんなにどっぷりと自分以外の人間と関わることになるなんて、思いもしなかった。
そしてそれがこんなに心地いい感情だということも。
「……やっぱりカカシ先生はすごいなぁ」
サクラがため息をつきながらそう言って、次の瞬間にはニッと笑ってカカシの方を見た。
「だてに年取ってないね、とか言うなよ?」
カカシが先手を打って返すと、サクラは笑いながら首を振り、その上手を行った。
「だてにいつも私のこと見てるわけじゃないんだなーって」
「……え?」
心臓をつかまれたような衝撃が走り、カカシは言葉を失った。
硬直したカカシの様子には気づかず、サクラは無邪気に笑っている。
「だって、変態オヤジストーカーだもんね」
最後の一撃。
軽いめまいを覚えて、カカシはがっくりと頭を落とした。
「さすがにそのトリプルパンチはきついぞ…」
「だって本当のことでしょ?」
「それならバカって言われる方がまだいいよ」
「あ、じゃあそれも追加」
「だからそうじゃなくて…」
さっきまでおとなしかったサクラが別人のように、きゃらきゃらと笑いながらカカシをからかう。
やはりこの年頃の女の子というのはわからないものだ、とカカシは思った。
「でもね」
「ん?」
そしてまた急にしおらしくなって、サクラは穏やかに話し始める。
「最初はね、何で私のこと気にかけてくれないのかなって思ってた。でも、師匠から、カカシ先生はいつも心配してくれてるって聞いて、嬉しかったの」
「五代目か……」
さすがにあの人の前では隠し事はできないな、とカカシは思った。
「たぶん、いつもカカシ先生がそばにいて、私を慰めてくれていたら、私はきっとこんなに深く考えることはなかったと思うし、すぐに先生に答えを求めちゃったと思う」
「ん? そんなことないさ」
……オレだって、何の答えもわかっていないんだから
むしろ、サクラがここまで冷静にいろいろ考えていたとはね……
「ま、仮にオレがそばにいても、答えを出すのはサクラ自身だったはずだよ」
そう言って笑うと、サクラは少し驚いた顔をして、それ以上何も言わなかった。
「んー? どしたー?」
カカシの問いかけに、サクラはただ首を振るだけ。
訳がわからず、カカシも首をかしげる。
……もう、カカシ先生ったら、やさしすぎるよ……
いつも私のこと全部受け止めてくれる。
私は何も返してあげられないのに。
私も何か……
「……私」
「ん?」
「中忍試験、受ける」
「んー、そうか」
脈絡なくそう言い出したサクラを不思議に思いながらも、カカシは嬉しそうにうなづいた。
「私、早く中忍になって、ナルトやサスケくんにも負けないくらい強くなる!」
勢いよく立ち上がって、サクラは手を強く握りしめた。
「それで……修行をもっともっとがんばって、早くカカシ先生と一緒に任務に行けるようになるから」
「それは心強いなあ」
気合いの入ったサクラの背中は随分と頼もしく見えた。
「だから、それまでは」
「ん?」
くるりと振り返って、サクラは満面の笑みで言った。
「カカシ先生が任務から帰ってきたら、私が”おかえり”って言ってあげる」
ふいを突かれて、また言葉が出なくなった。
体ごと大砲で打ち抜かれたような感覚。
「ちょ、サクラ、それって何か誤解を生むような……」
しどろもどろになっているカカシの声は届かず、サクラは嬉しそうに続ける。
「今の私にできることって、それくらいだから」
「いや、でも……」
おかえりの言葉が嬉しかった、とさっきカカシがそう言ったから。
サクラが純粋な気持ちで思いついたということも十分にわかっている。
「ね? だからカカシ先生が任務から戻ったら、ここに来て?」
自分の考えにすっかり満足しているサクラに、カカシはどう答えていいのかわからなかった。
「ね、約束だからね?」
「いやー、約束しちゃうとなあ……」
困り果てたカカシは、頭をかきながら話をはぐらかそうとした。
「だめなの?」
「だめっていうか、うーん……」
一瞬でサクラの表情が曇る。
「……迷惑?」
「迷惑なんてことはないよ。ただ……」
「ただ?」
「ちょっとメンドーかな、って……」
言った後にすぐ、しまったと思った。
カカシの顔が青ざめるよりも早く、サクラの顔が硬直した。
「……メンドー、なの?」
「いや、だからそうじゃなくて……」
みるみるうちにサクラの瞳が潤んで、握り締めた手は震え始めた。
「……カカシ先生は、やっぱり私のことなんてどうでもいいんだ」
「違う、オレもいつ任務から戻るかわからないし、だから下手に約束しても会えなかったら悪いと思って……」
「もう、知らない! バカッ!!!!」
言い訳をするカカシの言葉を上から叩き潰すように、サクラは大声を出して走り出した。
丘を駆け下りていくサクラの後姿をただ見送って、カカシは荒っぽく頭をかいた。
「参ったなあ……」
正直、心臓が止まるかと思った。
ひとりの少女の言葉や表情にこんなに振り回されているなんて。
そして、どんどん引き込まれている自分に気がついている。
小さくなってもピンクの髪の色は鮮やかに浮き上がっていた。
「ごめん、サクラ」
ひと言そうつぶやいて、カカシは木の幹にもたれかかって本を開いた。
「今日はバカに始まり、バカに終わる、か……」
……カカシ先生のバカバカバカッ!!!
メンドーって何よ!?
カカシ先生が私に「おかえり」って言われて嬉しいって言ってくれたから……
私はそれが嬉しかったのに……!
随分長い距離を全速力で走り、息切れがしてサクラは立ち止まった。
振り返ると、木にもたれているカカシの背中が見えた。
……追いかけても来ないんだ……
胸がきゅうっと締め付けられるような気がした。
「……メンドー、かあ……」
喜んでくれると思ったのにな……
肩を落として歩くサクラを、緩やかな風が何度も追い越して行った。
誰かに呼び止められたような気がしたけど、サクラは一度も振り返らずに歩き続けた。
おかしな二人 END
zono 2007.12.01
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