太陽が昇って、そしていつの間にか夕陽という呼び名に変わって沈んでいく。
月が静かに空に浮き上がり、朝の複雑な色の中に消えていく。
そんな自然の定理を繰り返す。
里のはずれの丘の上、あの木の下に立って何度となく夕陽を見送った。
里を染める黄昏の色の美しさに、小さな感動を覚えては一人であることを残念に思う。
刹那の風景画、ピンク色の雲。
大好きなこの瞬間を、伝えたい人がいるから。
そう思ったときに限って、その儚い桃色の海を渡って届く便り。
手の中に収まる小さな紙。それをしばらく見つめた後、肩の力を抜くようにサクラは息をはいた。
「……今回は長かったあー」
ふわり、と心の奥に明かりが灯ったように暖かくなる。
静かに脈打ち始める心臓の音に、あえて理由はつけない。
ふと、視線を戻すと、空はあっという間に夜に浸食され始めていた。
足元から近づいてくる冷気から逃げるように、サクラは走り出して、家路を急いだ。
ところで、その日の気分がそのまま顔に出てしまうのが、サクラの良いところでもあり、損なところでもある。
いつもより早く来て、火影室の掃除をしていると、これまたいつもより早く、綱手が二日酔いの頭を抱えながらやって来た。
「なんだ、今日はカカシの帰ってくる日か」
「えっ!?」
正直に顔を赤らめたサクラを、わからいでかと言わんばかりにニヤリと笑って、綱手は勢いよく椅子に腰かけた。
「よし、今日の修行は休みにしてやろう。カカシに会うのも久しぶりだから、積もる話もあるだろう」
本当は、自分が修行をつけるどころではないほどの頭痛に見舞われていたのが一番の理由ではあるが。
サクラも、そんな綱手のわかりやすい口実に心の中で「やれやれ」と思いながらも、密かに感謝した。
「そうだ、サクラ。ちかぢか用事で里の外に出てもらうからな」
特に何の含みもなく、綱手はどこか別の方向を向いたまま言った。
「は、はい」
掃除の手は止めずに、サクラはぼんやりと考えていた。
里の外か……また薬草の買い付けかな
里の入り口から仲間たちが出て行くのを、数え切れないほど見てきた。
ずっと任務につけないことが、サクラにとってはもどかしく、ほんの少しだけ焦りも感じ始めていた。
早く一人前になって、任務もこなして……
手を止めて、窓の外を見る。
今日も空は抜けるように青い。
いつの間にか足元を暖めていた日差しが、時間の経過を教えてくれた。
そろそろ、カカシの帰還する時間。
……そのうち、カカシ先生とも一緒に任務に行けるかな
期待を胸に、そう遠くない未来の情景を思い描いてみる。
カカシとナルト、サクラ自身と……。
そこまで考えて、半ば無理矢理に思考を止めた。
「よっ!」
「おかえりなさい、カカシ先生」
「ただいま、サクラ」
いつしか合い言葉のようになった最初の挨拶。
二人で共有するこの穏やかな時間が、とても大切に思える。
「いやー、今回は長かったよ」
さすがのカカシも参ったといわんばかりに脱力して、木の幹に腰を下ろした。
「随分遠くまで行ってたの?」
「んー、まあね」
いったいどのくらい長い間、離ればなれになっていたのか、過ぎてしまえばすでに忘れてしまうものだが、
今回は、時間の流れから逃れられない「あるもの」と一緒だったから、特にカカシは時間の過ぎゆく様をいつも以上に感じながら帰ってきたのだった。
……これのために時間がかかったとは言えないしね……
ちらり、とサクラから見えない幹の影に視線を送る。
サクラは伝えたいことが山ほどあるようで、とにかく息継ぎも惜しむかのように話し続けている。
カカシは話半分に、どのタイミングでこれを出そうか考えながら、適当なところであいづちを打っていた。
とはいえ、とかく女性というのはカンが鋭いもので。
「ちょっとカカシ先生? ちゃんと聞いてる?」
「ん? あー、うん、ちゃんと聞いてるよ」
「うそ。じゃあ今話してたこと言ってみて?」
「え、っと……今度五代目のお使いで里の外に行くんだろ?」
あ、違ったみたい……
時すでに遅し、拳にありったけのチャクラを集中させて、サクラが今にも攻撃しようとしていた。
「カカシ先生ひどい! そんなの4つくらい前の話じゃないの!」
「わ、悪い……ちょっと他のこと考えてた……」
火に油。サクラはさらに頭に血が上った様子で、迫ってくる。
なんとか制止しようと、カカシも必死で防御する。
「あれ? カカシ先生、手に傷」
一瞬で冷静さを取り戻したサクラが、自分に向けられた大きな両手をじっくりと覗き込んだ。
「ん? ああ、たいしたことないよ」
あっという間に矛先が変わって、カカシは胸をなで下ろした。
「私が治してみてもいい?」
その返事を聞かないうちに、サクラはカカシの手を取り、さっきまで攻撃用にためていたチャクラを丁寧に流し始めた。
静かにうつむくサクラを見て、カカシはそっと口元をゆるめた。
「サクラのチャクラはあったかいな」
何かものすごく透明なものが体の中に流れ込んで、浄化されているような感覚になる。
……今、かな
「はい、治った!」
満足げに顔を上げたサクラに、カカシも笑って答える。
「どうもありがとう。はい、どうぞ」
「わ……」
突然目の前に現れたそれに、サクラは言葉を失って、しばらくの間じっと見入っていた。
カカシが差し出した小枝には、満開の桜が揺れていた。
「どうしたの? これ」
「ん? おみやげ」
そっと手渡すと、サクラはその小枝を太陽にかざすように見上げた。
しばらくその淡い色にうっとりしていたかと思うと、ふと何かを思い出したかのようにカカシの方を向いた。
「カカシ先生、もしかしてこれ、今日に合わせて採ってきてくれたの?」
やっぱり鋭いな、とカカシは舌を巻いた。
今日、サクラに見せるときに満開になるように、逆算してまだ一分咲きの枝を選んだ。
最後の数日は、咲きかけの花が落ちないように気をつけて移動した結果、
思った以上に時間がかかってしまった。
「うれしい! ありがとう!」
桜の花ごしに、サクラは満面の笑みをくれた。
……ま、この顔が見られたからいいんだけどね
カカシもつられて笑うと、サクラがふふっと口を押さえた。
「きっとナルトだったら、そのとき一番きれいな満開の枝を採って来ちゃうだろうなあ……」
「はは。ナルトらしいな」
サクラは
もう一度桜を見上げながら、同時に桜越しにカカシを盗み見た。
いつも優しいな、カカシ先生は。
カカシ先生といると、心の中が春みたいにぽかぽかする。
これって、やっぱり……
「好きなのかなあ……」
「ん?」
「えっ? いえ、あの……」
思わず口に出してしまい、サクラは慌ててその場を取り繕う。
カカシはそんなサクラの様子がおかしくて笑った。
「オレも好きだな」
「……え?」
「ん?」
今度はサクラが聞き返すと、カカシはにっこりと笑ってうなづいた。
「桜の花」
「あ? ああ……そうね、桜の花。私も好きなの」
変な汗が出たが、このときばかりはカカシの鈍さに感謝するサクラだった。
「ね、先生覚えてる? ずっと前にここで私に桜吹雪の幻術をかけたの」
「あー、そういえばそんなことあったな」
あの夜、桜の花びらが風に舞って、白い雪のように降り注いでいた。
あのときも、カカシはサクラに桜の小枝をくれた。
「あんな素敵な幻術なら、何度もかかってもいいな、ってちょっと思った」
「はは、そうか」
「カカシ先生は」
「ん?」
桜の小枝を大事そうに回しながら、サクラは続けた。
「いつも私に元気をくれるね」
「元気?」
「うん」
さまざまな情景をよみがえらせて、サクラはそれを丁寧に確認しながら話す。
「カカシ先生といると、安心するし、叶わないことも叶いそうな気がする」
暗闇の中を優雅に漂う青い蝶を思い出す。
見つかるはずのない幻想が、現実になって目の前に現れたとき、心の奥でぼんやりと理解したことがある。
「あきらめない気持ちは、どんな奇跡も起こすと思うの」
「……奇跡ねえ」
あきらめない、という言葉になぜかカカシの心はざわついた。
「カカシ先生は私にそれを教えてくれた」
「んー、サクラが自分で気づいたんだろ?」
謙遜して笑いながら腕を組む。
隣でサクラが穏やかに笑っている。
「ほら、いつもそうやって自信をつけてくれる」
「いやいや、それは買いかぶりすぎだよ」
「いいの、私がそう思ってるんだから! それに……」
「それに?」
サクラは一瞬の沈黙を挟んで、少し恥ずかしそうに膝を抱えた。
「……会えるだけでもすごく嬉しいんだもん」
「え?」
きょとん、としたカカシの表情から、サクラは頭の奥の温度が一瞬にして下がるのを感じた。
「あれっ? えーっと、あの……」
……なんか文脈が変だった? 告白したみたいになっちゃった!?
弁解のしようがなく、サクラは顔を真っ赤にして固まってしまった。
カカシは少しぎこちなく頭をかきながら、立ち上がると、サクラの頭にぽん、と手を置いた。
「さて、そろそろ行かないとまた五代目にどやされそうだ」
「えっ……」
サクラは触れた手のぬくもりを感じながらも、心の中が不安に支配された。
……何の反応も無し?
すでに歩き始めたカカシの後ろ姿を視線で引き留めようとした。
功を奏したのか、ぴたりと立ち止まってカカシは背中から声を出した。
「んー、まあ、オレもサクラに会えて嬉しいよ。サクラの笑顔が…」
最後がうまく聞き取れず、サクラは身を乗り出した。
手元の桜の花越しに、カカシの姿が見える。
「え? 何て言ったの?」
くるりと振り返って、カカシはにっこりと笑って言った。
「早く一緒に任務に行けるといいな」
サクラの視界に小さく切り取られた、満開の桜の中のカカシの笑顔。
「じゃ」
片手をひょいと挙げて、カカシは背中を丸めて歩いていく。
ゆるやかな風が吹いて、桜の花びらを優しく揺らした。
サクラの笑顔が好きだから
「……だったりして」
顔がゆるんでサクラはくるりと回った。
「えへへ、そんなわけないけど」
でも、嬉しいのは、
遠い遠い土地でこの桜を見つけたとき、私のことを思い出してくれたってこと。
同じ景色を切り取って、時間をかけて届けてくれたこと。
「はー、危ない危ない」
いつになく汗をかきながら、カカシは火影室への道を急ぐ。
「サクラのペースに引きずられるところだった……」
思わず口をついて出そうになった言葉。
まだこぼれ落ちやしないかと、口元を押さえる。
「いやいや……ガラじゃないでしょ」
地を蹴る力を強めながら、風のように里をかけぬける。
その途中、カカシは一度だけ慰霊碑のある方向に視線を投げた。
「……そうだろ?」
桜の花は月の無い夜空にもよく映える。
深い紺色を背負って、明るい時間よりもいっそう強く、その薄い桃色を際立たせている。
窓辺にほおづえをつき、サクラは花瓶に生けられた桜の小枝を眺める。
全盛期の花の色や形、香りまでもが、ひどく魅惑的で儚い。
「……散って欲しくないなー」
せっかくカカシ先生が私のために採ってきてくれた桜なのに。
しばらくぼんやりとその輪郭をなぞっていたが、ふと思い立って、サクラは一番きれいに開いている桜の花を丁寧に摘み取った。
2つの、小さな淡い色の花を。
そっと、本の間に挟んで、大事そうに手を置いた。
……今日の大切な思い出が、消えて無くなりませんように
そしてもう一度窓辺に立つと、サクラは改めて自分に問いかける。
「……好きなのかなあ」
カカシ先生のこと。
……正直、自分の中で結論を出したくない。まだ今は。
確信に近い予感はあるのに。
桜越しに深い青の夜空を見上げて、サクラは祈るような気持ちでつぶやいた。
「……もう少しだけ、今のままでいさせてください」
夜も更けた慰霊碑の付近は、不気味なほどの沈黙に包まれていた。
その代わり、そこには神聖とも言える澄み切った空気が流れている。
「……伝えることに意味がある、か……」
慰霊碑の前には小さな桜の小枝が供えられていた。
亡き友の名前が刻まれた冷たい石の前で、カカシは静かにたたずんでいる。
「……たった二つの文字の、簡単な言葉なのにねえ」
目を閉じて、幼い頃の情景を脳裏に呼び起こす。
簡単な言葉が、人の心をやすやすともて遊んでいた。
それに一喜一憂して、あどけない友たちはくるくると表情を変え、そして輝いていた。
あの輝きを、なぜ見過ごしてしまったのか。
あの頃の自分は、ただ忍の道を極めることしか考えていなかった。
そして今、また新しい輝きを前にして戸惑っている。
そんな思春期の少年のような自分にあきれてしまい、思わずカカシは笑い出す。
「オレには学ぼうとしなかったことがたくさんあったんだな。お前たちと一緒に……」
沈黙が崩れ、風が、木々が重々しく騒ぎ始めた。
まるでカカシを笑っているかのように。
「バカだな、オレは」
自嘲気味にそう漏らし、カカシはゆっくりと慰霊碑を後にする。
数歩進んだところで、立ち止まり、目を閉じた。
暗闇をこじ開けるほどのまぶしさで、満開の桜の花が揺れ、そして、その中にはサクラが笑っている。
今になって、この感情の痛みを知るなんて。
「……本当にバカなんだよ」
額当てを外し、亡き友に敬意を払う意味で、その左目をゆっくりと開けた。
振り返ると、慰霊碑の側には懐かしい友の姿が揺らめいていた。
「……最近は幻覚をよく見るなあ」
おぼろげな輪郭の彼は、何も言わずに静かに笑っていた。
しばらくその姿をぼんやり眺めていたが、カカシは何かを振り切るように背を向け、そして再び額当てを着けた。
「なあ、オビト」
背中越しに話しかける。話しかけると言うよりは、自分に諭すように。
「お前が言えなかった言葉だ」
もう一度、目を閉じる。
再び現れた桜の花は風に揺れ、そして、サクラはやはり笑っていた。
見たかったはずのその笑顔は、見るたびに自分の心に痛みを与えていく。
その痛みはきっと、たった二つの文字で解決できるということも、カカシにはとっくにわかっていた。
「だから、オレは言わないよ」
一歩踏み出すごとに、小さな砂が足の裏にまとわりつくような音を立てる。
それを振り払うように、ひとつの決意を口にした。
「……絶対に」
残された桜の花は、暗闇の中で白く浮き上がり、無機質な慰霊碑の前で静かに揺れていた。
とまどい、そして決意 END
zono 2008.03.15
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