その日の帰り道は、私もゾロもそろって無言だった。
今日は朝からいろんなことがありすぎて。
今朝、校門を通るときのドキドキした気持ちも、ゾロが私のピアスをつけて来てくれたことも、ウソップにひやかされたことも、随分と遠い昔のような気がした。
約束通りゾロは私を迎えに来てくれて、雨が降っていなくても、私の隣を歩いてくれている。
でもゾロはずっと前を向いたまま、何かを考えながら難しい顔をしていた。
ただ、歩く速度だけは私に合わせようとしてくれていて、私の視線の先にはいつも3つのピアスが揺れていた。
学校からふたりで一緒に帰るのは初めてなのに。
何も会話がないまま、時間だけが過ぎていく。
ゾロは今、何を考えているの?
ビビとルフィのこと? サンジ君のこと? それとも……ペローナのこと?
……私のことは?
いま、隣にいる私のことは考えてくれてる?
すぐ側にいるのに、ゾロには私のことが見えていないような気がして、ゾロがとても遠く感じる。
「……あいつら、どうなった?」
駅が近くなってようやく、ゾロが口を開いた。
「うん……ビビは明日病院に行って検査してくるって」
「そうか」
そしてまたしばらく黙り込んでしまった。
「……大丈夫かな」
ようやく私が小さな声でつぶやくと、ゾロはやはり前を向いたまま、言った。
「お前がルフィに言った言葉、あいつには相当こたえたと思う」
「……え?」
”責任も取れないくせに、そんなことするんじゃないわよっ!!
”
思わず立ち止まった私を振り返り、ゾロはそこでようやく私の目を見てくれた。
「……あいつだって、ちゃんと考えてんだよ」
どこか行き場のない、少しやるせない表情が、私の胸をきゅっと締め付ける。
「でも……ビビの気持ちだってもう少しわかって……ウソだろなんてひどすぎるでしょ?」
「ルフィの性格、知ってるだろ? あいつはビビを傷つけようとしてそう言ったわけじゃねェと思う」
「何よそれ……現にビビは傷ついてるじゃないの」
「だからあいつは……!」
ゾロは急に声を荒げて何かを言いかけて、ハーッと大きなため息をついた。
頭をがしがしとかきながら、必死で言葉を選んでいるように見えた。
「……そういうことにならねェように、ちゃんとしてたって意味だよ」
「それじゃあ……ビビが一人で勘違いして騒いでるって言うの?」
「そうじゃねェよ」
「だってそう言う言い方してるでしょ?」
「だから違うっつってんだろうが」
気がつけば、二人とも舗道で立ち止まったまま、言い合いになっていた。
通り過ぎていく人たちは、私たちの様子を盗み見しながら、コソコソ話したり、鼻で笑ったりしながら去っていく。
……なんで私たち、ビビとルフィのことでケンカしてるのよ?
ゾロは私に背を向けて、小さな声で言った。
「じゃあお前も……オレとするときはいつも不安だったりすんのか……?」
そう言われて初めて、ビビたちのことが他人事じゃないということに気づいた。
「そ、そんなこと……ない」
だって、ゾロはそんな無責任なことしないって信じてるもの。
根拠は……ただ、私がゾロを信じてるっていうだけで。
でも、それがすべてだから。
「だったら、オレとルフィの何が違うんだよ」
もう一度振り返って、ゾロはしっかりと私の目を見た。
そう言われると、何も答えることができなかった。
「……好きな女を泣かせて平気な男なんて、いるわけねェだろ……?」
その表情は怒っているようにも、悲しそうにも見えて、私はそれ以上何も言えなくなってしまった。
* * *
家に帰ると、珍しくノジコが夕食の準備をしていた。
急な出張でベルメールさんは帰ってこないらしい。
グラスに注いだジュースの炭酸がぽつぽつと消えていくのを、ほおづえをついてぼんやり眺めていると、ノジコは私に背中を向けたまま、「何かあった?」と話しかけてきた。
「うん……ねえ、もし私が妊娠したって言ったらどうする……?」
言い終わらないうちに、ノジコは「えっ!?」とものすごい声をあげて振り返った。
「ちっ、違うの! もしもの話よ! 私じゃない! 私の友だちが……」
慌てて否定すると、察しのいいノジコは間髪いれずに「まさかビビちゃん?」と聞いてきた。
「……まだわかんないけど」
「ふうん……できれば妊娠してないことを祈るわ」
あっさりとそう言って、ノジコは再び私に背を向けた。
「何よ、そんなそっけなく言わなくても」
「じゃあナミは、ビビちゃんが妊娠してればいいって思うの?」
「そ、そんなこと……!」
でも、もしそうだったら?
ビビは、ルフィは、どうするつもりなんだろう?
……もしそれが私だったら?
ゾロのことは大好きだけど、もし今、ゾロの子どもができたとしたら……?
「もしそうなったら、大変だと思うよ」
ノジコはやけに冷静に、料理の手を止めることなく話し続けた。
「ビビちゃんが産みたくても、彼の気持ちは? 高校辞めて働くの? ふたりとも将来の夢だってあるのに、全部あきらめられるかしら? それに親はどうるすの? 世間体は?」
ノジコの言っているひとつひとつがあまりにも的確で現実的で、私がまだ世の中のことを何も知らないと思い知らされるには十分だった。
「ふたりの気持ちだけですべてがうまくいくほど、甘くないと思う」
淡々と話すノジコの声を聞いていると、まるで私が当事者になったような錯覚に陥る。
「……仮にあんたが今妊娠したら、ベルメールさんはまず相手の男をぶん殴るだろうね……多分私も許さないと思う」
「あんた、うちの娘になんてことしてくれたのっ!!」
ものすごい形相で怒鳴っているベルメールさんの姿が頭に浮かぶと、背筋がぞわっと寒くなった。
その相手にゾロを想像することすら申し訳なくて、ただ一方的に怒っているベルメールさんを想像するだけにとどめておいた。
「責任も取れないくせに、サカってんじゃないよっ!!」
ベルメールさんならきっとそう言うだろう。
私がルフィに言ったのと同じように。
ううん、ベルメールさんだけじゃない。ビビの親だってきっと同じことを言うわ。
「……ビビちゃん、何もなければいいね。あとは彼が逃げないこと、かな」
「逃げる?」
「結構逃げるのよ、男って」
ノジコはやけに物知り顔で言った。
「妊娠したとか言って騒がれて、男の方が面倒くさくなって逃げるパターン、いくつか見たことあるわよ。よっぽど器の大きい男じゃないと、もう一度彼女を受け止めることってできないと思うなあ……ウソでもいいから、オレが責任を取るって言うくらいじゃないと」
「……さっきの話と矛盾してない? 二人の気持ちだけじゃどうにもならないんでしょ?」
「さっきのは一般論! 今は二人の間の話。好きな女の子を泣かせて平気なヤツなんて、男のクズよ!」
ノジコは少し興奮気味にそう言った。それが、さっきゾロが言った言葉と同じで、少しドキッとした。
”好きな女を泣かせて平気な男なんて、いるわけねェだろ?”
……ゾロもちゃんと考えてくれてるんだ
急に黙り込んでぼんやりした私に気づき、ノジコは私の正面に座ってほおづえをつき、首を傾げた。
「あんた、新しい彼氏できたでしょ」
「えっ!?」
驚いて、思わず首もとや肩を確認するように手で触れると、ノジコは笑いながら「何もついてないわよ」と言った。
「ナミってわかりやすいわねー。何となく言ってみただけなのに」
真っ赤になった私の顔を見て、ノジコはさらに笑っていた。
そのうち連れて来てよ、と言いながら、ノジコは夕食の支度に戻り、私も一緒に手伝った。
「どんな子なの?」
「んー……無口で、無愛想で、剣道ばっかりやってて、授業中はいつも寝てる」
そう言うとノジコは吹き出して、「全然いいところないじゃん」と笑った。
「いいの! そういうところが好きなんだから」
ムキになって言い返すと、ノジコは満面の笑みで「わかってる」と言った。
「あんたのこと大事にしてくれるんなら、どんな子だっていいよ」
まるで母親みたいに、ノジコは優しい表情でつぶやいた。
きっと、ベルメールさんも同じことを言うんだろうな。
* * *
部屋に入ると、急に疲れが出てきて、私は制服のままベッドに倒れ込んだ。
バッグから携帯電話を取り出し、しばらく見つめていた。
「……ビビ、明日ひとりで大丈夫かな」
ビビにメールしようかどうか少し迷っていると、ちょうどそのタイミングでメールが届いた。
ビビからかもしれない、と携帯を開くと、まさかのゾロからだった。
慌ててベッドから飛び起きて、もう一度確認してみると、確かにゾロからメールが届いていた。
ゾロがメールしてくるなんて、初めてのことで、私は少し動揺していた。
そう言えば、今日は後味の悪い別れ方をしたんだった。
わざわざメールしてくるなんて……何かあるのかな?
あまりいい内容が想像できず、おそるおそるメールを開くと、そこには簡単な一文が書かれていた。
”今日悪かった”
あまりにも素っ気ない文章は、それでも私の胸をぎゅっと締め付けるには十分で、私はすぐにゾロに電話をかけた。すると、1コール目も終わらないうちに、ゾロは電話に出てくれた。
「ゾロ?」
「……あァ」
その返事ひとつだけでも、今ゾロがどんな顔しているのかがわかって、私は思わず口元をゆるめる。
「今日は私の方こそ、ごめんね?」
「別に……お前は何も悪くねェだろ」
「ゾロに言われて冷静に考えてみたんだ……ルフィがウソだろって言ったのは、どんな風に言ったのかはわからないけど、ビビを傷つけるつもりで言ったんじゃなかったんだろうなって、今なら思える」
電話の向こうでゾロが小さく息を吐くのが聞こえた。
「あいつらのことは、夏休み明けたくらいに聞いてたよ。だから、ルフィがビビのことをどれだけ大事に思ってるかってのも知ってたし……ビビを悪く言うつもりはねェが、少なくともオレとウソップはルフィがしくじったとは思わなかった」
「しくじった?」
すると、ほんの少し沈黙があって、ゾロはチッと舌打ちをした。
「すまねェ……言い方が悪かった」
やけに重々しく謝るから、私はかえってその言い方が心に引っかかってしまった。
「ううん、気にしないで。あのね、ゾロ?」
「ん?」
「……私もゾロのこと、信じてるから」
「……あァ」
私たちも、大丈夫だよね? と沈黙の中でそれを確認した。
ゾロと何度もそういうことをしたけど、不安がなかったかと聞かれると、正直ほんの少し不安はあったかもしれない。
でも、本当はそんなことまで思考が追いつかないくらい、私はゾロと触れ合うことに溺れていて、幸せな気持ちでいっぱいだった。
「……オレは、お前を泣かせるようなことは絶対にしない」
耳元で聞こえたゾロの声は力強くて、思わず涙が出てきてしまい、私は電話口で何度もうなずくことしかできなかった。ゾロに見えるはずもないのに。
「もし……もし仮にそうなったとしても……オレはちゃんと責任を取るから」
だめ押しのような言葉に、私の涙腺は耐えきれず涙が流れ出した。
「ゾロは……優しすぎる」
ゾロにも私が泣いているのが伝わるほど、私は何度かむせかえって、声も途切れ途切れになってしまった。
「……泣くなよ……たった今お前のこと泣かせねェって言ったばかりだろうが」
「嬉し泣きなんだから、いいの」
「ったく……」
電話口で、ゾロはきっと頭をがしがしとかいているんだろうな、と思いながら、その沈黙の音に耳を澄ましていた。
「……オレは、お前のためだったら、他のもんすべてを失っても構わねェって思ってんだよ」
ゾロの言葉は優しすぎて、さらに私は号泣してしまった。
「……ゾロぉ……!」
「だから泣くなって……つーか、オレもちょっと酔ってて変なこと言ってるな……電話でよかった」
照れ隠しのように、ゾロは自分に言い訳をしていた。その顔を想像すると、今度はおかしくなって、泣きながら笑ってしまった。
「未成年のくせに……」
「うるせェよ」
「でもね、ゾロ? 私はゾロに大切なもの全部捨ててまで守って欲しいなんて、思ってないから」
急に私が冷静になってそう言ったのに驚いたのか、ゾロは無言になってしまった。
「あ、ごめん。別にそういうのが重いとか言ってるんじゃないの。ゾロの気持ち、本当に嬉しい……でも」
「でも?」
少し不安気な声でゾロは聞き返す。
「……ゾロには自分の夢を叶えて欲しいの」
「オレの……夢?」
そこでまたゾロは黙り込んでしまった。
「うん、ゾロは剣道やってて……きっと誰よりも強くなりたいって思ってるでしょ? 大学もくいなさんたちと同じところを目指してるんじゃないの?」
電話の向こうでハーッというため息が聞こえて、それが困っているのか呆れているのか感心しているのかわからなかったけど、しばらくしてゾロが「お前はやっぱり超能力者だな」と笑った。
「……言っておくけど、ゾロって結構わかりやすいのよ?」
「あァ? オレが?」
「そうよ。だって、いつも剣道してるか、寝てるかじゃない? だからゾロの考えてることなんて、すぐわかるわよ。強くなりてェーか、ねみィーのどっちか言えば大体当たってるでしょ?」
「……そこまで単純じゃねェぞ」
少しムッとしたような、すねた声でゾロはそう言った。もちろん、私だってそうじゃないってことくらいわかってる。
だって、ゾロのことが本当にわかるんだったら、私はあんなに長い間苦しむことなんてなかった。
何度あきらめようとしたかわからない。ゾロのちょっとした行動に心を揺さぶられたり、傷ついたり、いろんな思いがあってようやく隣にいられるようになったんだもの。
ねえゾロ?
今、こうやって冗談を言えることが、私にとっては夢みたいなの。
いつの間にか、ささくれ立っていた私の心は穏やかになっていた。
ルフィを怒鳴ったり、ペローナをにらみつけたり、サンジ君につっかかったり、私の心は不安定で、ざわついてしょうがなかったけど、こうやってゾロと話して、ゾロの気持ちを聞いたら、自分がとても心の狭い人間に思えてきた。
何も心配することない、って言ってくれたサンジ君の言葉も今なら素直に受け入れられる。
「……ねえ、ゾロ?」
「ん?」
今度は言葉にして呼びかけると、ゾロは優しい声で返してくれた。
「私も、夢ができた」
「……どんな?」
「私ね……気象予報士になりたいな」
「……へェ」
「人に話すの、ゾロが初めてよ? 家族にだってまだ言ってないんだから」
「……そうか」
そのまましばらく二人とも何も言わなかったけど、その沈黙もまた心地よかった。
すると、ポツポツと窓に水滴がつき始め、静かに雨が降り始めた。
「雨……降ってきた」
ようやく声を出すと、電話の向こうでゴソゴソとゾロが動く音が聞こえて、
「あァ……こっちもだ」
と返ってきた。
雨が好きになったのは、雨が降るとゾロに会うことができたから。
毎日、朝起きると窓を開けて空を見て、テレビや新聞の天気予報をチェックして、雨が降るのを待ち焦がれていた。
今ではほんのちょっとの風の流れや、空気の湿度で、いつ雨が降るのかわかるまでになった。
それもすべてゾロがいたからで。
ゾロを好きになったから、私は将来の夢を見つけることができた。
雨が降れば、ゾロに会える。
すべてはそこから始まっていた。
「……あの時、私に声をかけてくれて、ありがとう」
「……あァ? 何が」
「ううん、こっちの話」
「何だそれ」
あの偶然の出会いが、今の私たちに繋がっている。
そう思うと、ひょっとしたらあれも偶然じゃなかったのかもしれないって。
そんな風に思ってもいいよね?
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