top

about

novel

diary

link

index

z*3



 


暑い国は嫌いだ。

何が嫌いかって、あの体にまとわりつくような、湿気をたっぷり含んだ風と、ギラギラ容赦なく照りつける太陽の光だ。
じっと立っているだけなのに額から、背中から汗が流れる不快感といったらない。そうでなくとも、こっちは楽しくもねェビジネスの為だけに、しぶしぶ訪れているだけなのだから。

空港を一歩出るや否や、肩にのしかかるような生温かい空気。オレはすぐにジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めて大きなため息をついた。
南国に来るのになんでわざわざスーツなんか、と言われるのはわかっているが、放っておいてくれ。
何度も言うが、オレはバカンスにやって来たわけじゃねェ。

「……さっさと仕事済ませて、日本に帰るよい」

降り立った瞬間から、一秒でも早くここから立ち去りたいと考えているあたり、我ながら最低なヤツだと思う。こんな男が、この島のリゾート開発にやって来ただなんて。
とはいえ、それとこれは全く別の話。
なぜ、人は南国に憧れるのか? その理由は至極簡単で、皮肉なことにオレが南国を嫌いな理由と完璧に一致するのだ。

とにかく、オレは暑い国が嫌いなのだ。

ゆるゆると心のタガを外そうと誘惑してくる、異様な開放感に満ちたこの雰囲気が。
ねっとりと首元を撫でていくような、甘ったるい花の香りも。
まぶしい太陽の光も、透明な海の色も、現地人の笑顔も、手つかずの原風景も。

そんなものに一瞬でも心を奪われたら、みるみるうちに堕落と快楽の沼へと引きずり込まれそうな気がするから−−





trance or ecstasy


MARCO × ACE




日本から飛行機で数時間ほどの距離にある、万を越える数の島々から成るとある国。その中のとある島に、オレは降り立った。トランジットで次の行き先を告げると、誰もが口を揃えて「サヤン」と言った。どうやらそれが島の俗称らしい。
つまり、オレは今サヤンと呼ばれる島にいるわけだ。

スーツケースをタクシーのトランクに載せ、とりあえずはホテルに向かってくれとドライバーに伝えた。
どこから来たのか、どのくらいここに滞在するのか、おすすめのコースがあるんだが案内してやろうか、女は買わないのか……ドライバーはバックミラーを介して拙い英語で絶え間なく話しかけてくる。
この時点ですでにオレはうんざりして、ロクに返事もせず窓の外をずっと眺めていた。すると、ドライバーは諦めたのか静かになり、タクシーの中は電波の悪いラジオの音だけが響いていた。

滞在先は、高級ホテルが建ち並ぶビーチに面した地区。
二十年ほど前に外資が惜しみなく投入され、各国がこぞって開発したリゾートエリアは、皮肉なことに従業員以外の現地人は立ち入り禁止ときている。とはいえ、現地の従業員なんて殆どと言っていいほどいないだろう。よくトレーニングされたドアマンも、気の利くハウスキーパーも、大半は本島のエリートたちなのだから。
それでもタクシーだけは、特例としてホテルの前まで入ることを許されている。あれだけおしゃべりだったタクシードライバーも、このエリアに入ると急に肩身が狭くなったのか、そそくさとオレのスーツケースを降ろすと、「Have a nice stay」と言ってすぐにタクシーに乗り込んだ。
空調の効いたタクシーからまた外に出て、すぐにオレは顔をしかめる。
海に近いせいか、やたらと風が生ぬるい。早く部屋に入って、まずはシャワーを浴びるとするか。
そう思ってタクシーに背を向けると、運転席から顔を覗かせたドライバーがたどたどしい英語でこう言った。

「Fire dance, you must see.」

黒い煙を吐きながら去っていくタクシーを見つめながら、オレはその言葉を反芻してみる。

「……ファイアーダンス?」

ただでさえ暑い国に来て、その上ファイアーダンスを観ろって? ごめんだな。
何度も言ってるが、オレは仕事で来ているんだよい。オン・ビジネスだ。
島の地理も、観光地も、名物料理も絶景ポイントもすべて事前に把握済みで、わざわざ自分の目で確かめる必要がないくらいに徹底的にリサーチしてある。あとは、事業依頼主が首を縦に振る条件のエリアを絞って、その土地の所有者と接触し、交渉する−−オレの役目はそこまでだ。後は、ホテルなりカジノなり遊園地なり勝手に作ればいい。

リゾート開発なんざ、現地の人間には何の利益ももたらさねェってのによい。
むしろ、居場所を奪うだけのモンだろい。まァ、オレには関係ねェ話だが。

今までに数え切れない程、リゾート開発地の買い上げや借り上げを請け負ってきた。もちろん、失敗したことは一度もない。
その結果、 治安の悪化だとか環境破壊だとかいろんな問題が起きた場所もあったようだが、それは運営する側の責任だ。いちいち同情してもキリがないし、こっちは交渉の際に想定される問題については余すところなく説明をしたつもりだ。
それを目先の利益に目がくらんで、まともにシミュレーションもしないまま飛びついた方が悪い。

気がつけば、オレの眉間のしわは深くなり、穏やかな午後には似つかわしくないほどの悪人顔になっていた。
南国では誰もが笑顔になる、なんてのは、ウソっぱちだ。
それでも、少しくらいは気分転換をしようと、オレは人気のないホテルのプライベートビーチに向かった。

オフシーズンということもあるのだろうが、簡易的に置かれたビーチチェアから見る景色は、どこかうら寂しく感じられた。
遠浅の海は不気味とも思えるほどのコバルトブルー。それに対比するように浮かび上がる白い砂浜。
膝の上にノートパソコンを置きながら、傍らのクーラーボックスからビールを取り出して飲む。いちいち給仕されるのが面倒だったので、クーラーボックスに必要な分だけのビールを詰めてもらった。南国のビールは味が薄い。
あっという間に4本目に手を付けていた。パソコンの画面には山のようなメールが届いている。それをざっとチェックしながら、ふと目の前の景色に視線を移すと、視界に切り取られた海と空と砂浜は確かに美しく、しかしそれだけでは何か物足りないような気がした。
何が足りないのかはわからなかったが、どんなに海が青くても、砂浜が白くても、入念に手入れをされた人工的なビーチでは、人の心は動かせないのだろう。

いや、動かないのはオレのひねくれた根性ぐらいか。

思わず口元が緩み、見なくてもわかるほどに不敵な笑いを浮かべていた。
まァ、もともとオレは暑い国が嫌いなもんで。たかだか海や空に簡単に心を動かされるようだったら、とっくにここに住み着いているだろう。

熱を含んだ塊のような風が流れて来ると、周囲の椰子の木がざわざわと不安げな音を立てた。空に浮かぶ雲は早回しのように形を変えながら視界を通り過ぎていく。
スコールがやって来るようだ。
暑い上にさらにバケツをひっくり返したような雨が降るのも、オレが南国を嫌いな理由のひとつだ。雨が上がった後の不快感といったらこの上ない。

「……?」

パソコンを閉じ、クーラーボックスの上に置いて立ち上がると、オレは砂浜へと歩き出した。海の中に黒い影がうごめいている。 サメか何かだろうか?
コバルトブルーの海は、近づくと次第に透明度を増していく。革靴の先まで押し寄せる波に色はなく、砂の上をよろよろと歩いていく小さなカニの赤い色が一際目立って見えた。
影は右へ、左へと流れるように移動している。それを目で追いながら、プライベートビーチにサメなんかいたらたまったもんじゃねェな、と舌打ちをした。
とりあえずホテルの人間に伝えておくかと、足を一歩引いた時だった。
黒い影の後ろから、さらに大きな影が近づいてきた。もっと大きなサメなのか。いずれにせよ、物騒でたまらない。その正体だけは確認しておこうと、オレは引いた足をさらに大きく踏み出して、コバルトブルーに目を凝らした。
小さい方の影は先ほどと変わらないスピードですいすいと泳ぎ続けている。その一方で大きな影はじっと動かないまま、小さい影の様子をうかがっているように見えた。
オレは革靴のまま海の中に進んだ。足に流れ込んでくる海水の温度は生ぬるく、スーツの裾が濡れて重くなっていくのを感じたが、そんなことはどうでもよかった。もっと近くで見たいという欲求には逆らえない。
目の前でいま起ころうとしている命の闘い。弱い者は強い者に取って食われるという、自然界の無情のルール。
そんなものに強く心を引かれるあたり、オレは精神的に病んでいるような気がする。いや、気がするのではなく、おそらく本当に病んでいるのだろう。

所詮、弱い者は淘汰される運命なんだよい。

そう心の中でつぶやいた時、あァオレも「あの男」に毒されてしまったな、と唇を噛んだ。

その瞬間−−

「っしゃーーーーーっ!!!」

大きな波しぶきが上がり、目の前に鋭い銛の尖端が現れた。そこには見事に体の中心を貫かれたサメがビクビクと尾びれをけいれんさせながら捕らえられている。
正面から思い切り海水を被り、銛を避けようと体を仰け反らせたせいで、オレは砂に足を取られてよろめいた。情けなく尻もちをつき、両手で体を支えて顔を上げてようやく、何が起こったのかを理解した。

「……お前、誰だよい?」

見上げた先には、よく鍛え上げられた体格の、褐色の肌の少年が立っていた。
首元にはえげつなく自己主張をする赤いネックレス。
しっとりと濡れた黒髪は、顔に張りついてその表情を隠しているが、その合間から見えるそばかすがやけに気になって。
少年がブルブルと犬のように頭を振ると、その髪に含まれていた海水が容赦なくオレの顔にかかる。

そこで、初めて目が合った。

深い夜にも似た黒い瞳の中には、小さなランタンのような輝きがひとつ、ふたつ。
ポタポタと黒髪から落ちる水滴が、褐色の肌の上を転がるように流れていく。

……あァ、足りなかったのはこれだ。

青い海と空を背景に立つその少年の姿は、オレの視界の中で一枚の絵画に変わった。
圧倒的な存在感を放ち、そして同時に儚く消えてしまいそうな危うさを持つ。
少年の姿は、強く脈動する生命の象徴のようにも思えた。

どのくらいの間だったろうか。たぶん、時間にするとさほど長くはないだろう。
オレと少年は微動だにせず、じっと見つめ合っていた。
何かに目を奪われるなんてことは初めてだった。
全身ずぶ濡れで、体の半分が海に浸かったまま、それでもオレはこの少年から目を反らすことができない。
そして、少年の方もじっとオレを……オレの目の奥の奥、さらに心まで覗き込むような真剣なまなざしをぶつけてくる。

「……ニッポンジン?」

言葉のブロックを並べたような、たどたどしい日本語の後、少年は何かを続けようとした。しかしオレの背後からホテルの警備員らしき男の叫び声が響くと、少年は何かに弾かれたように慌てて海に戻っていった。
そうだ、ここはプライベートビーチで、現地人の立ち入りは禁止されている。
それでもオレはマヌケに口を開けたまま、少年を目で追うことしかできなかった。そして少年がこちらに背を向けた時に、もう一度圧倒されることになる。
海の中へと吸い込まれていく少年の背中一面に描かれた、「神聖なるもの」。まるで生きているかのように躍動感を持つタトゥー。もはやこの少年は実体があるものなのか、それとも幻なのかもわからないくらいに、その存在は不確かで。
再びオレに向けられた黒い瞳の中には、やはり灯火のように光が揺れている。

「……あんた、ニッポンジンなのか?」

最後にもう一度そうつぶやいて、少年は海の中へと消えていった。





NEXT