「エース、今日の客はメリケンの商人らしい」
「メリケンの? 何でまた異国の商人さんがこんな店に?」
囲炉裏の炭に火が入ると、エースは振り返った。長く息を吹きかけていたせいか、頬が少し紅潮して、特徴的なそばかすが浮き上がって見える。
「うちを陰間茶屋か何かと勘違いしているみてぇだな」
「へえ、異国では衆道は罪深いって聞いたことあるけどな」
囲炉裏に鉄瓶を吊してから、エースと呼ばれた少年は窓際で気だるそうに煙管をふかしている男にいざり寄り、背筋を伸ばして向かい合った。
「何でもその商人たち、長崎から入って薩摩では大層なもてなしを受けたそうだ。あそこの藩はまだまだ陰間茶屋が盛んらしいから、そこで目覚めちまったんじゃねぇのか?」
「メリケンの商人さんにゃ、黒い髪、黒い瞳ってえのは珍しいもんなのかな? オレから言わせりゃ、あの人たちの方がよっぽど奇妙だ。肌は白いし、紅毛だし、瞳なんかとんぼ玉みたいで、同じ人間とは思えねえ」
そうだな、例えるなら魂のあるからくり人形かも、とエースが笑うと、もう一人の男は煙管を口から離して細く長い煙を吐き出した。
「きっとその商人さん、イゾウ兄さんの噂を聞いてやって来るんだな! あんたはここいらじゃ有名な……」
「それ以上言うなよ」
ぴしり、と厳しい口調でイゾウと呼ばれた男はエースの言葉を遮った。一瞬で凍り付いた空気を溶かすべく、エースは体ひとつ分イゾウに近づくと、その不機嫌そうな顔を覗き込んでにっこりと笑った。
「だってさ、あんたはこの白ひげ屋自慢の看板給仕なんだから。そのお陰でこの店は繁盛してるし、オレだってあんたのことをすげえ誇りに思ってる」
満面の笑みに思わずほだされそうになり、イゾウは片方の眉をつり上げて無表情を作る。作った後にやはり耐えきれず、ふっと笑った。
「お前は素直でいい子だねぇ……オヤジに拾われなけりゃ、オレは今ごろ飛子みてぇな生活をしていたかもな」
江戸歌舞伎の看板役者として名を馳せたイゾウという男は、現役時代、舞台とご贔屓の座敷まわりで寝る暇もなく憔悴した日々を送っていた。修行中は「陰間」として男色の輩に体を売り、売れっ子になってもそれは続き、いよいよ前後不覚に陥り、酒に溺れるようになると、ついには舞台に立つことすらできなくなってしまった。それを静観していた「白ひげ」というご贔屓の一人が、ぼろ雑巾のようになったイゾウを引き取り、この旅籠の給仕として働かせるようになった。
……というのは、この町ではあまりにも有名な話。
「ときにエース、お前さんはいくつになるんだい?」
「へえ、十五になりました」
「十五か……じゃあ、じき元服だなぁ」
「でもオレは、そういう身分じゃ」
遠慮がちにそう言って、エースは表情を見せまいと前髪をいじっている。これも元服すれば月代(さかやき)に剃り上げるのだろう。イゾウはそう思いながら、火の消えた煙管の向きを逆にして、吸い口の方でエースの顎をくい、と持ち上げた。
長い前髪の間からは、少し潤んだ黒い瞳が見え、まるで月夜の湖のようだ、とイゾウは思った。
「お前さんの出自なんざ関係ねぇさ。オレがそうだったように、お前さんだってきっと幸せになれる」
これからの世の中は、そうなるはずだし、そうあるべきだ、と一人納得して、イゾウは静かに笑った。
「お客さんがおいでました」
玄関先が急に賑やかになり、何やら聞き慣れない言葉と笑い声が飛び交っている。
「メリケンの商人さんは随分と声が大きいな」
給仕場の柱の陰から、エースはそっと玄関の様子を盗み見した。客人はちょうど式台に腰掛けて、こちらに背中を向けている。
大きな背中は三つ、いや四つか。
一番大騒ぎしている人物はまさに紅毛の大男で、大層不思議な髪の結い方をしている。頭の前方に突き出たあれは、まげなのだろうか?
その隣の大男は自分と同じ黒髪で、少しくるくると巻き気味の長髪。ちらりと見えた横顔からは、存在感のある口髭がたくわえられていた。
三人目の男も黒髪で、こちらは短髪だ。その図体は中でも一番大きく、もう少しで天井に届くのではないかと思うほどだ。江戸相撲の伝説の力士、雷電は大層な巨漢だったと聞くけれど、この男とどちらが大きいだろうか。
そんなことを考えながら、四人目の男に目を向けると、エースは思わず声を漏らした。
「へえ、紅毛人には、金色の髪の人もいるんだねえ」
絹糸のようにつややかな金髪の男は、これまた不思議な髪型をしていて、頭の天辺から吹き出すように生えた髪が不揃いの房を作っている。そういえば、「ろかい」と呼ばれる緑の植物に似ているような……「医者いらず」とか、火傷に効くとかで、重宝されていて、味は苦くて虫をも殺すと聞いたことがある。確かそれも異国から持ち込まれた物らしいから、そんな髪型の人間がいてもおかしくはないのかもしれない。
角度によって色味を変える金髪をぼんやりと眺めていると、ふいに男が振り返り、その視線がエースを捕らえた。
「あ……」
初めて、見た。「碧眼」と呼ばれる瞳の色。
空の色とも海の色とも違う、あれは何という名前の「青」なのだろう?
気がつけば、商人の一行は式台を上がり、ぞろぞろと奥座敷へと入って行った。
羽織も袴も随分と細く、首元を隠すほどせり上がった羽織下は苦しくないのだろうか。
「奇妙な着物だな……あれがメリケンでは正装なのか?」
そっと廊下に出て、商人たちの後をついていくと、奥座敷に通された一行の最後尾にいた金髪の男は、ふすまを閉める直前にもう一度振り返ってエースを捕らえた。
「あ、えっと……あの」
真っ直ぐな廊下には隠れる場所などなく、エースは踏み出そうとした足を止め、その場から動けなくなってしまった。
やはり、彼の瞳は例えようのない不思議な青い色をしていて、じっと見ていると吸い込まれそうになる。
少し重たげな瞼はそのままに、男は厚い唇をくい、と持ち上げて笑うと、静かに座敷の中へと入っていった。
* * *
「エース、イゾウさんがお呼びだよ」
「へえ、オレに何の用でしょう?」
「火でも起こして欲しいんじゃないのかい? 冷え込んで来たからねえ」
そう言われて、エースは火の点いた炭を入れた十能と火箸を持って、特に何の心構えもなく奥座敷の前にひざをついた。
「お呼びですか、イゾウ兄さん」
「ああ、入ってくれ、エース」
「失礼します」
片手でふすまを開けると、細く切り取られた座敷の風景の中に最初に見えたのは、あの金髪の男だった。
どくん、と心臓が跳ねるのをエースははっきりと感じた。
すると、ガラリと大きな音を立てて勢いよくふすまが開けられ、あの紅毛の男が体を乗り出すようにして現れた。
「ヘーイ! ジャパニーズボーイ! ユア・ソー・キュート!!」
そう言って、紅毛の男はエースに抱きついてきた。すでに大量の酒を飲んでいるようで、頬が赤らんでいる。
「ちょ、ちょっと……! 危ねえですって……!」
パチパチと音を立てる炭火から、今にも火の粉が飛びそうで、エースは思わず体をよじった。
「ストーップ!! イナフ、サッチ」
ぐい、と後ろから酔っ払いの首を掴んだのはイゾウだった。そこで初めてエースは、イゾウがメリケンの言葉を話せることを知った。何と言ったのかは全くわからないが。
「ああ、エース。わざわざ炭を持ってきてくれたのかい? いや、こいつらがお前さんと一緒に飲みてぇって言うもんでね。まさかとは思ったが、オレの知り合いだったよ」
「はあ……」
未だ論旨を得ず、エースはおずおずと座敷の中へ入った。
「よう、坊や。ニイサンたちにお酌してくれるかい?」
「えっ?」
紅毛の男が笑いながら手招きをしたが、エースはぽかんと口を開けたまま、男の滑稽な「まげ」を眺めていた。
「ああ、オレはサッチってんだ」
サッチと名乗った男は、少し不思議な訛りがあるものの、確かに江戸の言葉を話していた。
「それで、こいつがビスタ、その隣がジョズ、一番向こうが……」
口髭の男、そして巨漢の男を紹介されると、最後に金髪の男がエースに手を差し出して、緩やかに笑った。
「マルコだよい」
「……よい?」
マルコという男の口から出た言葉は、一体どこの訛りなのか。疑問に思いながらもエースは十能を置いて、両手でしっかりとその大きな手を握った。
「……」
ざわっ、と背筋に風が通ったような気がした。
「だ、だんな様の手は随分と冷えております」
マルコの手はひどく冷たく、普段から体温の高いエースの手から一気に熱を奪っていく。しかし不思議なことに、エースの頬はどんどん熱くなって、そしてまたその熱は繋がっている手を通ってマルコに奪われていくようで。
碧眼に映し出された自分の表情は、今にも泣き出しそうなくらいに眉根が下がっている。頬に散ったそばかすが嫌いで、めったに鏡など見ないが、それでも自分がこんな表情をするなんて、エースはこの時初めて知った。
サッチという男は、イゾウが歌舞伎役者だった頃からのご贔屓だという。
横浜に二年ばかり住んでいたことがあり、暇を見つけては江戸へ通っていたのだとか。
「こいつはよくオレの歌舞伎を観に来ていてね……大向こうってぇのは、後ろから掛けるもんなのに、この紅毛人と来たら、桟敷にどっかり陣取って、所構わずメリケンの言葉で騒ぐもんだから、そりゃあ迷惑ったらなかったさ」
軽くしなをつくり、煙管をふかしながら、イゾウは遠い日を思って目を細めた。
「よっ、ニッポンイチ!」
それを茶化すように大向こうの真似をするサッチにお酌をしながら、エースは笑った。
「そりゃあ、イゾウ兄さんは伝説の看板役者と言われたお方ですから。だんな様が一番近くで叫びたくなるお気持ちはよくわかります」
「おお、話のわかる坊やだなあ! それでな、ある日白ひげ屋のオヤジにこっぴどく怒られて、ようやくそれがゴハットだってことがわかったのさ」
「御法度なんて言葉、よくご存知で」
「そりゃあ、江戸の町は御法度だらけで、知らなきゃ命だって危ねえからな。オレたち異国人には住みづれえもんよ。なあ、マルコ?」
ふいにサッチがマルコに話を振ると、マルコは首を傾げて困ったように笑った。
「I don't understand.」
「おっと、オレは今ニッポンゴを話していたようだ! すまねえ、わはは!」
「飲み過ぎだぞ、サッチ」
豪快に笑ったサッチをイゾウが諫めると、あまり口を開かなかったジョズが「いつもすまない、イゾウ」と日本語で言った。
徳利を持ち上げて手酌をしようとしたマルコに、エースは慌てて駆け寄った。大きな手に載った猪口が随分と小さく見え、酒を注ぐとマルコはゆるやかに笑った。
「ありがとよい」
「へえ……だんな様は不思議な訛りでいらっしゃる」
肩をすくめて、そっとマルコを見上げると、不揃いなあご髭は頭髪よりは幾分紅毛が混じっていて、顔の輪郭がよくわかる。
「ああ、オレが冗談で教えたニッポンゴをそのまま覚えちまったんだよ。江戸っ子っぽくていいだろう? よいよい、ってなあ」
「江戸の人間はそんな言葉使いませんよ」
少し馬鹿にされたような気がして、エースがむきになって言い返すと、サッチはただ大口を開けて笑い、代わりにジョズが「すまない」と頭を下げた。
「あっ……いえ! 頭を上げてください、だんな様……」
相撲力士ほどの巨漢が体を折り曲げると、それだけで部屋の空間がぐっと広くなるような気がしたが、このジョズという男は、図体の割には心根は非常に真面目で優しい性質のようだ。
「私とサッチは横浜に住んでいたこともあるし、何度もニッポンに来ているが、こっちのビスタとマルコは今回が初めてだ。長崎から入り、薩摩にしばらく滞在して、先日横浜へ入ったのだ」
江戸の四大商家のひとつ、「白ひげ屋」との取引を通して、サッチやジョズは江戸文化に触れ、日本語を覚えていったのだという。そういう意味では、歌舞伎座でイゾウとサッチと白ひげ屋の主人が同じ空間を共有していたのも、決して偶然ではなかったのかもしれない、とジョズが言った。
「まあ、この男は異国人という身分を忘れてあちこち遊び回るもので……我々はいつとばっちりを受けて追放されるかと、気が気ではなかったのだが」
「でも、そのお陰でオヤジと知り合うことができたんじゃねえか! It's all right!」
「オヤジ、というのは、うちの白ひげ屋のオヤジのことでしょうか?」
空になった徳利を集めながら、エースが尋ねると、サッチとジョズは静かにうなずいた。
「ありゃあ、オレの知る中で”the best of best”のニッポンジンだ。おおらかで、きっぷが良くて、懐が深い……」
「ざ、べすとおぶ……?」
間に入った異国の言葉に戸惑うと、背後からイゾウが笑いながら「”よっ、日本一!”ってことだよ」と説明してくれた。
「ああ……! そうですよ! オヤジは本当に慈悲深くて、オレみたいな異端な人間でも分け隔てなく愛してくださるんです」
嬉々として声を大きくしたエースを見て、サッチはわははと笑い、ジョズは静かにうなずいた。
「オヤジ……such a great man」
「Yes! He is so great!!」
マルコに続いてビスタもようやく口を開いた。意味はわからなかったが、耳で拾った「オヤジ」という言葉とその声に込められた感情に、それが賞賛の言葉であるということだけはエースにもわかった。
「こちらのだんな様方もオヤジに会ったことがあるんですか?」
「ああ、長崎で迎えてくれてな……毎夜酒を酌み交わしては、これからの世界について意見を交わしたのだ」
そういえば、数か月前にオヤジがしばらく留守にしたことがあった。それは長崎でこのメリケン商人たちと会うためだったのか、とエースはようやく理解した。
「……だんな様もオヤジのことを慕っておいでなのですね」
通じないとわかっているのに、何故かエースはマルコに話しかけた。そうせずにはいられない、衝動のようなものがあった。
すると、マルコは大きな手を伸ばし、エースの黒髪をわしゃわしゃと優しく撫でてくれた。冷たかった手はほのかに温かくなっていて、太い指が髪の間を通る感触が何とも言えず心地よかった。
「さて、夜も更けてきた……飲み足りねぇやつもいるようだが、宴はお開きだ。エース、客人に布団と夜着を整えて差し上げなさい」
「へえ、ただいま」
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