「ヒゲとボイン」 〜真にも偽にもならない命題〜
SANJI × NAMI × USOPP
朝の電車はすげーことになっている。
香水やらタバコやら整髪料やらなんやらに、人の生ぬるい体温が入り混じって大変だ。
大体オレもわざわざこんな時間の電車に乗らなくたっていいんだ。
オレの会社はフレックス制だから、コアタイムにデスクにいりゃいいんだからさ。
どっちかつーとオレは夜型だし、昼前にのんびり会社に入って日付が変わるくらいまで仕事してる方がいいんだが。
いやしかし。
そうもいかねえのよ、最近。
突き飛ばされるように改札を通って、オレは額の汗を拭う。そんで会社に向かう前にコンビニに立ち寄って朝メシを買う。そっから歩いて15分。まだ新しい部類に入るマンションの、見晴らしのいい7階の角の一室がオレの勤務先。
ガラにもなく持ち歩いてるコンパクトな鏡で顔をチェック。目、赤くねえよな?
よっしゃ。
「おはよーございまーす」
けだるそうな声を出しながらデスクに向かう。その間にすれ違う人数分、あいさつをする。
小さな会社のスタッフは8人。そのうち朝から出社しているのはオレを入れて4人。残りの4人は多分、昼ごろひょっこり現れる。ちょっと前までのオレみたいに。
あー、なんで今は朝から出社してるのかって?
それはだな……
「おはよう、ウソップ!」
「お、おう、ナミ」
春からこの会社にやってきた、こいつのせいなんだ。
ナミは、3月に転職してうちの会社にやって来た。どこをどうやってこんな小さな会社にたどり着いたのかは知らねえが、社長がやたらと褒めちぎるから、オレも含めたスタッフはみんな期待してなかった。
ところが、だ。
この女と来たら、金のことにはやたらきっちりしていて、とにかく節約だ省エネだって、うるせーのなんのって。デザイナーとして会社に入ってきたはずなのに、今や「経理担当」にまでなってやがる。
「あ! ウソップったらまーたペットボトルのお茶買ってる。お茶なんて家で作ってボトルに入れて来なさいよ」
「めんどくせーんだよ」
「まったくぅ。どうせ1日に3本くらい飲んでんでしょ? それを1ヶ月続けてみなさいよ。それにあんた、いつもコンビニ弁当じゃない。それよりも配達のお弁当にしたら1日いくら浮くと思う?」
そう言って、ナミは電卓を手に取って、勝手にオレの1ヶ月の食費の計算を始める。
「ホラ! 見なさいよ。1ヶ月でこんだけ無駄遣いしてんのよ?」
電卓ではじき出された数字を見ると、オレもちょっとだけ反省したりもするんだが。
とにかくこの女は金にうるさい。とことんうるさい。会社の経費からプライベートまで、ナミにかかったら大変だ。
でも、それで会社が最近黒字だってのは、笑えるけどな。今まで一体何に金使ってたんだよ、社長!
ああ、紹介が遅れて申し訳ない。オレはウソップ。ゲームのクリエイターやってんだ。まあ、まだ会社としてのヒット作ってのはないんだが、それでも毎日楽しくやっている。小さいながらも居心地のいい会社なんだ。
オレのデスクにはフィギュアやらプラモデルやらがずらっと並んでいる。それを見てナミは「こんなもんにつぎ込むお金があったら……」と説教するが、オレの仕事の合間の楽しみまで奪われてたまるかってんだ。
「ふぁああ、ねみぃよ」
大あくびをしてデスクで朝メシ。
「それなら、別に早く来なくてもいいじゃない。ま、夜遅くまで残られても電気代がかかるから迷惑なんだけどね!」
さらり、ときっつい言葉をフレーバーにして、ナミは濃い目のコーヒーをオレのデスクに置いてくれる。
「サンキュ」
「タダなんて言ってないわよ?」
「んなにぃぃっ?」
「ウソよ」
そう言って舌をぺろっと出して笑うと、ナミは隣のデスクについた。
「んーっ!」
椅子にもたれて大きく伸びをしている姿をちらっと横目で見る。
ったく、細っせえ腰してるくせに、胸だけはやたら大きいんだよな、こいつ。
もしゃもしゃとサンドイッチを口に入れながら考える。
ありゃ、一体なんだったんだろうなぁ……。
「グッモーニンッ! レディーたち! ゴキゲンいかが?」
「あ、おはようございます、社長」
そうそう、忘れてた。うちの社長。名前はサンジ。もともとは大手のゲーム会社にいたらしいんだが、5年前に独立。そんでこの会社を設立した。オレの前の会社によく出入りしてて、何となく意気投合して仲良くしていたら、3年前にこっちに呼ばれた。まあ、そういう意味では気の置けない存在。
「社長、香水くせーっす」
「お、そうか? やっぱいっぺん家に戻ってシャワー浴びてくるんだったな」
そう言ってヘラヘラ笑う。社長の女グセはかーなーり悪いぞ。
社長室でもしょっちゅう「取引先」の女とこもって、昼間っからなんかやってる。
ああ、言葉の通り。なんかやってる。
ったく、仕事しろって、社長! 変なあごひげなんか生やしてないでさ。
でも、MBA持ってるって噂、ホントかなあ。ノリだけは確かに超アメリカ帰りって感じだけどな。
「お前も、たまにはハメ外して遊べよなー。出すもん出さねーと、新しいモンは生まれてこねえぞ?」
「へーへー、わかってますって」
「女のひとりやふたり、作れよ」
「社長みたいに簡単にはいきません」
「なんなら、紹介してやろうか?」
「おさがりはイヤです」
「ぜーたくだなあ」
いいんだってばよ。オレだってちゃんと好きな女くらいいるんだって。
ああ、もうわかってんだろ? そうだよ。あいつだよ。
「社長! これ、ダメッ! 飲み代は会社の経費で落としちゃダメ!」
「んナミさぁん、大切な接待だったんだよぉ」
「ダメったらダメ!」
「ちぇー」
社長はナミに領収書を突き返されて、すごすごと社長室に入っていった。
ナミには弱いんだな、あの社長も。
「ダメです、社長! 料亭で花見なんてぜーたく過ぎます!」
そう言って毎年恒例の豪華な花見を、入社したてのナミは却下した。
「ナミさぁん、そうカタイこと言わないでさあ。年に1回の楽しみなんだよ〜」
そう言って手を合わせて懇願する社長を仁王立ちで見下ろしていたナミ。
スゲー女だな、って思った。
「社長、だからね……」
そう言ってこそこそと社長に耳打ちをして、ナミは何かを提案していた。
その話の内容よりも、社長の鼻の穴がふくらんでたことの方が気になった。
で、結局どうなったかっていうと。
平日の朝っぱらからオレは上野公園で席取り。昼過ぎに社長がバーベキューセットを持ってきて、仕込み。
夕方に、ナミと残りのスタッフと、取引先のいろんな人たちが酒を持って到着。
つまり、こういうことだ。
うちの社長はMBAの他に、調理師免許も持ってるらしい。一体何者なんだこの人、ってのはこの際置いといて。
料理の得意な社長みずから腕によりをかけてごちそうを振る舞う。もちろん低予算で。
桜はオレの努力の甲斐あって、ベストポジション。酒好きのナミはいろんなカクテルが作れるから、ちょっとしたバー状態。
そんなアットホームな雰囲気に、好印象を抱く取引先のみなさま。桜は散っても、会社には仕事の花盛り。
……なんて都合の良すぎるたくらみ。果たして上手くいったんだかどーだか。
まあ、でもなかなか楽しい花見だったことはオレが保証する。なんたって、オレが確保したベストポジションだからな。
「ウソップ、朝からご苦労様。ありがとね」
そう言って、ザルのナミはいつもと同じ笑顔で近づいて来た。オレはというと、すっかり出来上がっていて、桜の幹にもたれて夜空に映える白い花を見上げていた。
「お前もトンデモナイこと考えつくよなあ……」
「楽しくていいでしょ?」
「まあな。いっつも室内にこもって仕事してるから、たまにはこういうのもいいかもな」
「でしょ? あんたはいっつも仕事仕事、だもんね」
「そうだよ。仕事もしねーでこの場所を取ったんだぞ? 感謝しろよ?」
オレは少しろれつの回らない状態で、胸を張った。
「鼻高々ね。エラソー」
そう言ってナミは笑い、まじまじとオレの顔を覗き込んできたから、そりゃかなり焦った。
「なっ、なんだよ?」
「あんた、鼻高いわよねー。キスするときどーすんの? 邪魔じゃない?」
「ふざけんなっ。キスくらいできるわい!」
「だって、鼻ぶつかって口が届かないんじゃないの?」
そう言って魔女みたいな顔でくすくす笑いやがったから、オレはナミの肩を両手で掴んだ。
「バカにしやがって。なんなら試してみるか?」
ちょっとドキドキしながら言ってみた。そうしたら、ナミのやつは平然と「いいわよ」と言った。
オレは一瞬だけ固まった。
マジかよ!?
いや、でも、いいって言ってんだから、ここで引き下がったら男がすたる。
やってやる! やってやるぞ!
そうしてオレは、鼻がぶつからないように上手く角度をつけて、ナミにキスをした。
「ん」
どっちも目を閉じなかったので、オレとナミは唇を合わせたまま、至近距離でお互いの目玉を覗き合っていた。
……ムードもなんもねえ。
でも、オレの胸に押しつけられていたナミの胸の大きさだけはしっかりチェックしといた。
やっぱ、見た目以上にでっけえな……。
そんな事を考えていたら、次第にナミはぶるぶると震え出して、オレの目の前でキャハハハッと大声を出して笑った。
「なっ、何がおかしいんだよ!?」
ヒーヒー言って、腹を抱えながら、ナミはオレを指さした。
「だってぇ……あんたの鼻息、ちょうど私の耳にかかるんだもん、くすぐったくて」
そう言ってまた黄色い声でナミは笑った。
ああ、そうですか。
結局それから、オレとナミの間には何もない。
ありゃ、一体なんだったんだろなぁ……。
「んナミさぁん、今日の夜はおヒマ?」
「残念ながらおヒマじゃありません」
最近は、社長も朝から会社にいることが多い。どうやらあの花見ですっかりナミに惚れ込んでしまったようだ。
まあ、かわいいからってだけで採用したようなもんだから、流れとしては当たり前っちゃ当たり前なんだが。
「ナーミーさーん! お昼食べにいこ?」
「私はお弁当持参ですので」
「つれねーなぁ。たまにはいいじゃん、おごるからさあ〜」
甘えた声でナミにすり寄っている社長を見ていると、ちょっと腹が立った。
「私におごるお金があったら、接待費にしてくださいね!」
そう言いながらも、にっこり笑いながら社長の額をつん、と指でつつくあたり、魔女だなあと思う。
案の定、社長はメロリン状態になって、タバコの煙はハート型。
「そんなケチなナミさんも好きだっ!」
そう言って抱きつこうとしたら、あっさりとかわされていた。
それでも満足気な社長は、口を開けてその様子を見ていたオレに気づいて、ニッと笑った。
「たまには男同士でメシ食いにいくか? ウソップ」
「ああ、はい」
「あ、言っとくが、おごりじゃねえぞ?」
「……いいっすよ、別に……」
この、フェミニストめ。
で、結局そば屋で親子丼食べてるオレって……。
「お前、どーすんの? この先」
「は?」
社長は昼間っからビールを頼んで、そいつを飲みながらオレに聞いてきた。
「まあ、うちにずっといてくれてもいいけどよ。お前だっていずれはフリーになりたいとか、考えてんだろ?」
「はあ、まあ……」
「オレは応援するぞ。お前なら独立できるさ」
「はあ……」
「なんか、お前見てると昔のオレを見るようでさ。頑張って欲しいんだよ」
正直、真面目に考えたことはなかったな。好きなことやってられるってだけで満足してたもんなあ。
でも、社長がそう言うんなら、オレもいつかは独立できたりすんのかなー……。
「ただし、だ」
社長はかなりキチクな顔でニヤリと笑った。
「女にうつつを抜かしてるようじゃ、オレみたいに独立なんてできねーぞぉ?」
「はっ!?」
つゆだくの米粒は、オレの口に届く前に箸の間をすり抜けて、丼の中に落ちた。
社長はオレの鼻を指でふにふにと押しながら言った。
「ナ、ミ、さ、ん!」
「なっ、なななナミ、ですか!?」
焦った。かなり焦った。なんでバレてんだ??
「お前いっつもナミさんのこと横目でちらちら見てるだろぉー? オレにはお見通しなんだよ」
ああ、不覚。よりにもよってこの社長に。
「っていうか、ナミさんの胸ばっか見てるよな、お前」
そう言って社長はあごひげを撫でながら笑う。
くぅ……バレてるし。
「確かにいい胸だよなー。脱いだらもっとスゴイんだろうなー」
社長はニヤニヤしながらよからぬ妄想をしている模様。
やばい、やばいぞ。ナミがこのエロ社長の餌食になっちまう。
「ま、将来を考えるなら、今は仕事に専念しとけ。なっ!」
「だ、だって社長、女のひとりやふたり、作れって言ったじゃないっすか!」
慌ててオレは反論した。しかし、社長はもう一度あごひげを撫でると、余裕の笑みをかましてこう言った。
「遊びはいいが、本気はダメだ」
「なんすか、それっ!」
「溜まったモンを発散させる程度ならいいが、覇気まで吸い取られちゃダメよ、ってことだ」
ふふん、と意味ありげに笑って社長は席を立った。
「今日はおごってやるよ」
……なんだかなあ。
オレにどーしろっつーんだ。
なんか、でっけえ命題を与えられてしまった。
「ナミすわんっ! 今日こそはオレにつきあってよ」
相も変わらず社長はナミにちょっかいをかける。
まあ、ナミもてきとーにあしらってるから、オレも心配はしてないが。
「高級なお店に行くんだったら、私なんかじゃなくて他のきれいなおねーさんでも誘ってください」
そうそう。ナミはそんな簡単には乗ってこねえよ。
「ふっふーん。今日は違うんだな。ナミさん、縁日とか好きでしょ?」
「えっ!? どっかでやってるの?」
突然、ナミの目が輝いた。
オイちょっと待てェェッ!!
「ご一緒していただけませんか?」
そう言って、にっこりと笑う社長に、ナミもまんざらではない感じ。
「そういう庶民的なの、好きよ。大分私のことわかってきたじゃない? 社長」
おいおいおい……。
「お、オレも連れてってくださいよ、社長っ! オレ、射的とかめちゃめちゃ得意なんすからっ!」
慌ててアピールしてみたものの、ナミが帰り支度をしながら強烈な一言を言い放った。
「あんたはどうせ仕事でしょ? ウソップ。結構溜まってるの知ってるんだから。遊んでる時間なんてないでしょ?」
口を開けたままオレは蒼白になって、社長とナミが部屋を出ていくまでを見守っていた。
扉が閉まる瞬間の、社長の勝ち誇ったような顔、忘れねーぞ!
帰路についたのは丑三つ時。満天の星空を見上げながら、とぼとぼと歩く。
ああ、ナミは大丈夫かなぁ。社長に襲われたりしてねーだろうな……。
はあ……。
男として一人前になれば、自然と恋はついてくるのかなあ。
それとも、
恋を原動力にして男は成長していくものなのかなあ。
ああ、オレはどうすればいいのでしょう?
目の前の恋をガマンしてまで仕事しなければならないのでしょうか?
仕事を犠牲にしてまでも、手に入れなければならない恋なのでしょうか?
まったく、とんでもねえ命題だぜ。
この答えが出るまでは相当長い時間がかかりそうだ。
ああ、オレは今、世界一の悩める人なのです。
流れ星を見たけど、何をお願いすればいいのかわからなくて、オレはその場に立ちつくした。
胸を突き出しているナミと、あごひげを撫でている社長が、夜空に浮かぶ。
ああ、オレは……
「ヒゲとボイン」〜真にも偽にもならない命題
END
zono 2003.10.29