パーフェクト・スター パーフェクト・スタイル 7
ZORO x NAMI
オレは基本的に甘い物は食べないが、2月14日にもらうチョコレートを断ることはない。
高校時代からの慣習になっている。相手に悪いからとか、そんな理由ならまだいいが。
実のところは、毎年あのグルグル眉毛と数を競っているからだ。
いい大人が何やってんだ、と思うだろうが、何かにつけてあのヤローには負けたくねェ。
これは、単なる意地の張り合いだ。
高校、大学時代はコックの圧勝だった。
まあ、オレは剣道バカだったし、くいなとあまりにも一緒にいすぎたせいか、付き合ってるもんだと思われていたようだ。
しかし何故か教師になってからは、一気に形勢が逆転した。
話したこともないような生徒からもらうこともあれば、職員室の机の上に山積みになっていることもあった。
年配の先生が息子におやつを与えるような感覚でくれることも多い。
いずれにせよ、ここ数年はオレが勝ち続けているわけで、今年ももちろん勝たせてもらうつもりだ。
バレンタインから数日たった週末、オレは満タンの紙袋をぶら下げてバラティエへ行った。
「7,8,9……16対9で今年もダントツでゾロの勝ちだな。しかし教師ってモテるもんだな〜」
ウソップが数え終わった中から好みのチョコレートを選んでいる。
「ふん。高校生の女の子なんてなあ、親きょうだい以外に接触する男は同級生か先生くらいしかいねぇんだよ」
コックが負け惜しみを言いながら、豪勢なチョコレートケーキを作っている。
「サンジ、そのケーキどうするんだ? ちょっと味見させてくれよ」
「アホか。これはなぁ……」
コックが言いかけたとき、店の扉が開いて、外の冷たい空気とともにロビンが入ってきた。
「おう、久しぶりだな」
「あら、みなさんお揃いなのね」
そしてロビンはオレの顔を見ると「風邪はもう治ったのかしら?」と皮肉っぽく言った。
「おかげさまで」
「ナントカは風邪引かないって言うけど、知恵熱は出るらしいよ。ロビンちゃん」
悪いか、とふてくされるそばで、ロビンが豪華な封筒を取り出し、オレたちに手渡した。
「式の日取りが決まったの。場所は……」
「まさか、ドバイじゃねェだろうな?」
「あら、そうよ?」
マジかよ、とオレは眉をひそめた。コックとウソップは世界随一のリゾート地とあって、大喜びだ。
「7月の終わりだから、学校も夏休みでしょう? コックさんと長鼻くんも大丈夫かしら?」
招待客の数やらドレスチェンジの回数やら、料理やら引き出物やら、贅を尽くしたとんでもない結婚式になるのは間違いないだろう。
「……パートナー同伴だよな」
「ええ、できれば。その方がきっと楽しいと思うわ」
ゴテゴテに装飾された招待状をぼんやりと眺めながら、このとき、オレの隣にはナミがいるだろうかなどと考えてみた。
「おいっ! そこっ! 妄想すんじゃねぇぞ、クソマリモ!」
コックが何か言っていたが、ほとんど耳に入ってこなかった。
そういや、ずいぶん長い間ナミに会っていないような気がする。
まあ、避けられてるんだから仕方ねェか。
学校にいても、街を歩いているときも、どこかでばったりナミに会うんじゃねェか、と起こりもしない偶然を期待している。
視界をかすめるオレンジの髪を探している。
会って何を話せばいいかなんてわからねェが、とにかく会えば避けられている理由がわかるような気がしていた。
コックがさっきのチョコレートケーキをおもむろに取り出して、ロビンに見せた。
「じゃーん! バラティエ特製バレンタインケーキ! このサイズならルフィも喜ぶだろう?」
「ええ、十分に」
「このケーキ、今からルフィに渡すのか? つーか、あいつは今どこにいるんだ?」
「香港よ」
「香港かー! なんだか少しずつ日本に近づいて来てるな。早く会いてぇな、ルフィに」
そんな会話を横に、オレはまだ妄想から抜け切れていなかった。
「オレも会いてェな」
……ナミに
言葉に出したつもりはなかったが、急に会話が止まり、3人がそろってオレの方を見た。
「じゃあ一緒に来る?」
「は!?」
聞けば、近くの空港にチャーター機がいるらしい。ロビンはそれに乗って香港へ向かうつもりだという。
今から一緒に行けば、日曜の夜にはまたチャーター機で戻って来られるようにする、とメチャクチャなことを言いだした。
さすが、あのルフィの妻になろうという女だ。考えることのスケールが違う。
しかも、コックもウソップも行く気満々で喜んでいる。2人ともちゃっかりパスポートを携帯しているから呆れたもんだ。
まるでこうなることを予想していたみたいじゃねェか。
オレも家に取りに行けば済む話だが、そんな時間はなさそうだった。
「まあ、ゾロの分も楽しんでくるから安心しろ、な? とりあえずは飲茶に行きてーなー!」
ウソップがオレの肩を軽く叩くと、
コックは早々にエプロンを外し、店にいたスタッフに引き継ぎを始めた。
店の外に出ると、土曜だからかなかなかタクシーは来ず、オレたちは寒い中でかなり長い時間を過ごした。
まだ夕方だというのに、外は真っ暗で、今にも雪が降りそうに重い雲が空を覆っていた。
さすがにダウンジャケットを着ていても底冷えする寒さだった。
「悪りィな。ルフィにはよろしく伝えてくれ」
「わかったわ。ルフィもあなたのこと気にかけていたから」
「あいつが? 何で……」
会話をしていたロビンの視線がふとオレから外れたので、つられて振り返ると、心臓が大きく音を立てた。
「……ナミ?」
そこにはナミが立っていて、きょとんとしてこっちを見ている。
ついに幻覚を見るようになってしまったか。いや、それ以前に心臓が爆発して死ぬんじゃねェかと思ったくらいだ。
振り返った姿勢のまま、オレは動けなくなってしまった。
会いたいと思ったら、こんなにもあっさりと会えるものなのか?
オレンジの髪は冬の寒空の下には鮮やか過ぎて、不思議な存在感があった。
何も言わずにじっと見ているわけにもいかず、何か言わねばと焦って言葉を探したが、
「……何やってんだ、お前?」
まったく、必死で絞り出した言葉がこれだ。
ナミは、大きな荷物をふたつ抱えて少しふらついていた。
「何って、受験……受けて帰ってきたとこだけど」
「……そうか」
そのまま何も言えなくなり、オレとナミはその場に立ちつくしていた。
「あっ! ナミさーん! どうしたの? こんな時間に」
店から飛び出してきたコックの声が気まずい雰囲気の中に割って入ると、少し救われたような気がした。
初めてだ、こいつに感謝したのは。
「えっ? さっきサンジ君にメール……」
「あー! そうだよね。まさかこのタイミングで来るとは思わなかったなー。ついてるね、ナミさん」
コックは意味深にそう言うと、素早くナミの隣に滑り込み、荷物をひょいと持ち上げて投げるようにオレに渡した。
「ちょっとこれ持ってろ、筋肉バカ」
コックは口元でニヤリと笑うと、タバコに火を点けながら再び店の中に入っていった。
ナミの荷物は女が持つにはかなり重かった。きっと、参考書が山ほど入っているのだろう。
「……何校受けて来たんだ?」
「えっと……7校かな。東京と大阪と、九州」
「九州か、遠いな。つーかお前、あいつのことサンジ君って呼んでんのか?」
「えっ? あ、それはサンジ君がそう呼んでって……なんで?」
「……いや別に」
ナミの顔をまともに見られず、オレは口を閉ざす。
正直、気にくわねェと思った。
オレはさんざん避けられていたというのに、その間にナミとコックが親しくなっていたかと思うと、非常に不愉快だった。
そこへさらにウソップが割り込んできた。
「おー、ナミ。受験どうだった?」
「んー、まずまずかな。ウソップがくれたお守り、ちゃんと持って行ったからね。ありがとう」
こっちも「ウソップ」かよ。どいつもこいつもオレがいない間に……。
自分でも眉間にしわが寄っているのがわかるほど、オレは気分を害していた。
「はーい、ナミさん。これ、遅ればせながら、オレからのバレンタイン!」
コックが店から小さな箱を持ってきて、ナミに手渡した。
しかし、バレンタインってのは女から男にチョコレートを渡す日じゃねェのか?
「バラティエ特製チョコレートケーキだよ」
「うわあ、ありがとう、サンジ君。今度お返しするね」
「なんだよ、ナミは誰にもあげてないのか? ま、受験だしなー」
コックとウソップがナミを囲んで楽しそうに会話を始めた。
なんだ、ナミがオレに会いたいだなんて、ただのコックの出まかせじゃねェのか。
適当なこと言いやがって。
オレなんて完全にスルーされてるじゃねェか。
会えば何か変わると思ったが、
会ったところで何を話せばいいかわからねェし、以前よりもずっと距離ができたような気がする。
オレは居心地が悪くなり思わず舌打ちすると、ずっとオレを見ていたのか、ロビンが珍しく吹き出して笑った。
「わかりやすいのね」
「……悪いか」
「あら、素直ね。彼女もわかりやすいけど?」
「あァ?」
言われて改めて振り返ると、ナミはコックとウソップとの会話の合間に一瞬だけオレを見た。
その刹那の視線に何故か心が揺り動かされる。
ただ、目が合っただけなのに。
「おい、タクシー来たぞ」
程なくして1台のタクシーが止まると、ウソップが乗り込み行き先を告げた。
コックが店の中から大きなケーキの箱を運び出し、ロビンのもとへやってきた。
「さて、行きますかね」
「そうね」
二人はぼんやりと立っているオレとナミを見てにっこり笑った。
「おいクソマリモ。ちゃんとナミさんを送って行くんだぞ?」
「あァ? オレが?」
「たりめーだろうが! こんな暗い中レディーの一人歩きなんてもっての他だ。しかもそんなクソ重い荷物もあるんだぜ?」
それを聞いてナミは慌ててオレから荷物を奪おうとした。
「だ、大丈夫! 私一人で帰れるから……まだバスもあるし」
その言葉を途中で遮るように、コックはオレを睨みつけて言った。
「必ず家まで送り届けろよ? ナミさんになんかあったらオロスぞ」
「だから私本当に大丈夫だって……」
ナミがオレの手からひとつ荷物を奪ったとき、ロビンがナミに向かって普段は見せない笑顔を見せた。
それは、笑っているのに何故か背筋がヒヤリとする類のものだった。
「そう、じゃあ彼も一緒に連れて行っていいのね?」
そう言われて、ナミは何も言い返さずにうつむいた。
オレは、誰に向かって言うでもなく、「ちゃんと送って行くから、心配すんな」と返した。
「そう」と、もう一度満面の笑みで、ロビンはタクシーに乗り込んだ。
「ナミさん、またね! 香港のおみやげ買ってくるからね〜」
コックが窓から大きな声で叫ぶと、タクシーは勢いよく走り出した。
タクシーが見えなくなると、街の喧噪だけが残っていた。
「……香港ってなに?」
ずいぶん時間が経ってから、ナミが思い出したようにつぶやいた。
「知らねェ」
手を上げて次のタクシーを止めようとするが、なかなか空車は通ってくれなかった。
「だって、今サンジ君が香港って」
「……じゃあそのサンジ君に聞きゃいいだろうが」
「なにそれ……先生、なんか怒ってる?」
「別に」
先生、か。
その一言がやけに重くのしかかる。
そしてオレたちはその後一言も言葉を交わさなかった。
ようやく停車したタクシーのトランクに大きな荷物を詰め込むと、ナミは素早く乗り込んで行き先を告げた。
「先生、私一人で帰れるから」
一方的にそう言われて、タクシーのドアが閉まろうとした。
ほんの一瞬のはずが、急にその部分だけがまるでスローモーションのようにゆっくりと動き始めた。
ああ、あのときと同じだ。
くいなの背中が降ってきたときと同じ。
またオレは何もできずに後悔するのか?
星はもう目の前にあるのに、はしごを踏み外してしまうのか?
いや、ナミは星なんかじゃねェ。
手を伸ばせば、ちゃんと届く場所にいる。
多分、ここでつかまえなければ、もう二度と手が届かない場所に行ってしまうような気がする。
重い腕を力任せに伸ばしながら、オレは叫んでいた。
いや、実際に声を出したのかすらもわからない。
「ナミ!!」
気がつけば、オレの腕はタクシーのドアに挟まれ、運転手が慌ててドアを開きながら「乗るなら乗るで、危ないことしないでください!」と怒鳴った。
ナミを奥へ押し込むようにオレもタクシーに乗り込むと、あまりにも突然のことにナミはもともと大きな目をさらに大きく見開いて呆然としていた。
「……なんで?」
「一人で帰るとか勝手なこと言うな。オレがコックにオロされるだろうが」
「べ、別に無理して送ってくれなくてもいい。先生怒ってるし」
「怒ってねェ」
「ほら、怒ってるじゃない」
「怒ってねェっつってんだろうが。イヤなら言え、降りるから」
「イヤとか……言ってないけど」
そんな押し問答を続けていると、あきれかえった運転手が「で、どうします?」とこのくだらないやりとりを終了させた。
「……出してください」
ナミはそう言うとすぐにオレから顔をそむけて窓の外を見た。
オレも、この後どうしていいかわからず、窓の外に流れる光を眺めていた。
「……一緒じゃなくていいの?」
「あァ?」
声の方向に振り向くと、ナミは窓の外に顔を向けたまま話していた。
「彼女」
「彼女? 何の話してんだ、お前?」
「あの黒髪の女の人、先生の彼女でしょ? きれいな人だね」
予想だにしなかった質問に、オレはしばらくその意味を理解するのに時間がかかった。
「ロビンのことか?」
「名前なんて知らない」
一体何の話をしているのか。状況が飲み込めないまま、普段使わない頭を必死で動かした。
「ロビンには、婚約者がいるんだぞ? 今からそいつに会いに香港へ向かった。でっけェチョコレートを届けるためにな」
「じゃあ、不倫?」
「は? お前は一体何を根拠にそんな話してんだ?」
ナミはずっと窓の外から視線を外すことなく、淡々と話す。
「だって……私、見たから。先生とあの人が肩くんで歩いてるところ」
「肩だァ?」
未だに何の話をしているのかわからねェ。
細い記憶の糸をたどってたどってようやく、駅からバラティエまでの道中をロビンの肩を支えて歩いた日のことをぼんやりと思い出した。
まさか、オレが誤解されてるってのは、このことだったのか?
「……ロビンとは長いつき合いだからな。酔っぱらって歩けねェときに肩を貸すぐらい普通のことだ。それがオレじゃなくて、コックでもウソップでも同じことをすると思う」
「ふーん」
「信じてねェだろ」
「別に」
さっきとは立場が逆になり、ナミは一向にオレと目を合わせない。
「ったく、何なんだお前は……たかがそんなことで勝手に勘違いしやがって。お陰でオレはなあ……」
「たかが?」
そこで突然ナミが振り返り、オレの目をじっと見るから、オレは慌てて視線をそらす。
心臓が脈打つ音が、全身に響いている。
思わず頭をがしがしとかく。そういやこれはオレの困ったときのクセだと言われたことがあったな。
「オレが親友の婚約者と不倫している男だと。想像力もそこまで行くと立派だな。それがオレを避けていた理由か」
「べ、別にそれが理由だなんて言ってないでしょ。っていうか、避けてないし」
「避けてただろうが。コックとこっそりメールして、オレのいない時を狙ってバラティエに来てたのも知ってんだぞ?」
「別にこっそりなんてしてない。サンジ君がメールで連絡くれたら私とノジコが座れるように席を空けておいてくれるって言うから」
「ったく、コックの適当な理由に乗せられてホイホイメールアドレス教えてんじゃねェぞ」
「何よ、その言い方!」
たまっていた不満が一気に溢れ出し、オレは口をついて出てくる言葉を止めることができなかった。
これじゃ、
ただの八つ当たりじゃねェか。
「……悪かった」
絞り出すようにそう言って、頭をがしがしとかいた。
ああ、確かにオレは困ったときに頭をかくんだな。
不規則に流れてくる街灯が、失った時の流れを思わせる。
今、小さな誤解がひとつ解けたところで、開いてしまった距離は埋まらない。
ナミの気持ちが何も見えてこない。
いや、そもそもオレ自身が自分の気持ちを何も伝えることができていない。
そっと様子をうかがうと、ナミはあいかわらず窓の外を眺めていた。ひざの上には、コックが渡した小さな箱が乗っている。
「……バレンタインってのは、女から男にチョコを渡す日じゃねェのか?」
何事もなかったように話を振ってみたが、ナミからの返事はなかった。
小さなため息をついて、オレは目を閉じた。
「……逆チョコって知らないの?」
ずいぶん経ってから、ナミの声が聞こえてオレは目を開けた。
「逆チョコ?」
「男から女にあげるのが逆チョコ」
わけわかんねェ、と言いかけて、オレは言葉を飲み込んだ。
「この間サンジ君からメールが来て、バレンタインの週はバラティエでも特製チョコを出すから食べにおいで、って。でもずっと受験でいなかったから、今日の帰りに寄るってメールして。そしたら先生がいて……」
そこで、ナミは黙り込んでしまった。
「オレがいて悪かったな」
オレもそれ以上何も言わなかった。
ふと、くいなのことを思い出した。
あいつも、あの年には好きな男にチョコレートを渡そうと思っていたのだろうか。
それなら、あともう少しだけ生きていて欲しかった。
どうあってもくいなが死んでしまう運命だったなら、せめて好きな男に気持ちを伝えるくらいはさせてやりたかった。
「覚えてるか?」
「……何を?」
「以前、オレが話した大切な人の話」
「……なんとなく」
「あれはな、準備室にあったあの写真に写ってた女のことだ。短い黒髪の」
何の返事も返ってこなかったが、それがかえってナミがあの写真を見たということをオレに確信させた。
すると言葉がとめどなく流れだし、オレはくいなのこと、胸の傷のこと、教師をめざしたことを独り言のように話し続けた。
一度だけ、ちらとナミを盗み見たが、ナミはずっと窓の外に顔を向けて微動だにしなかった。
オレは自分でも驚くほど饒舌で、言葉が自分から離れていく度に癒やされていた。
多分、
オレは誰かに聞いて欲しかったんだ。
くいなを守りきれなかった罪悪感は今でもオレの中にある。
そしてそれに縛られていては前に進めないこともわかっている。
あの夢の中で約束した。オレは前に進むと。
それは、罪滅ぼしではなく、くいなの記憶と共に生きるということ。
それを誰かに知って欲しかった。
話したところで、ただの自己満足に過ぎないのは、わかっていても。
そして、それを誰に話すかがオレにとっては重要だったということも、今わかった。
「……くいなの話をしたのは、お前が初めてだ」
最後にそう言うと、ひどい脱力感とともに、睡魔がおそってきた。そして、それは心地よかった。
まぶたが重くなると同時に、暗闇の中にひとつの星が見えた。
* * *
「……お客さん、起きてください!」
運転手に揺り動かされて目を覚ますと、タクシーは学校の前に止まっていた。
「もう一人のお客さんは、自宅の前でちゃんと降ろしましたよ。起こさないで行ってくれって言うもんだから……」
ナミはオレの家がわからず、とりあえず学校の場所を教えたようだ
タクシーを降りると、重い雲の合間から、小さな星がのぞいていた。
足元からおそってくる寒さに、オレはダウンジャケットのジッパーを首元まで上げ、ポケットに両手をつっこんだ。
「……なんだこれ」
ポケットの中から出てきたのは、チョコレートの箱だった。
ナミがいつも食べていた、みかんの皮の入った。
「オレは甘いモン食わねェって言っただろうが……」
そしてひとつ取り出して口に入れると、チョコやらみかんやらの味が混ざって、決してうまいとは言えなかった。
うまくはなかったが、何故か口元がゆるむ。
「ウイスキーでゆっくり流し込むしかねェな……17対9で今年も大勝ちだ」
雲は風に流され、いっとう輝く星が姿を現した。
星はもう手に届く位置に来ている。
あとははしごを一気に駆け上がるだけだ。
家で一人で飲み直すと、気分が良かったのか、あっという間にウイスキーを1本空けてしまった。
すっかり忘れていたが、ドアに挟まれた腕は次の朝には真っ青になっていた。
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