今日のナミさんはちょっとご機嫌ななめ。
朝から口を尖らせて航海日誌とにらめっこ。
声をかけようかな、とも思ったけど、「話しかけないで」オーラがバリバリ出てるから、
オレは静かにその横顔を眺めながら朝食の後かたづけをした。
ホラ、男が声かけるとやばいときだってあるしさ。それだったら逆効果だからな。
寄港した町は、おとぎ話に出てきそうな、ピンクの壁のかわいらしい建物が並んでいた。
一緒に買い出しに来たウソップをちら、と見てため息をついた。
こんなメルヘンチックな町なら、ナミさんと来たかったな。そんで、手ェつないで歩きたかった。
寄港時間はたったの3時間。買い物から戻ってからもう一度ナミさんを連れ出すには、時間が足りない。仕方がないので、オレは何かお土産を買っていくことにした。このピンク色の素敵な町の雰囲気がぎゅっと詰まっているような何かを。
船が風と波に乗って安定すると、オレとナミさんはキッチンへ戻ってきた。ナミさんは出港の指示を一通り終えて少し喉をからしていた。
「ナミさん、紅茶でも入れようか?」
「うん、ありがと」
幾分か、機嫌はよくなっているみたいだったので、オレは安心して会話を始めた。さっき見たピンクの町の話に、ナミさんは興味深そうに頷いていた。
「そんな素敵な町なら、私も外に出ればよかった」
ナミさんがちょっとだけ残念そうに漏らしたので、オレはここぞとばかりに立ち上がって冷蔵庫のドアを開けた。
「へへ、実はナミさんにお土産」
タバコをくわえたまま冷蔵庫の前に座り込んで、中から小さな箱を取り出した。ナミさんは意外、といった表情できょとんとしたまま、オレが冷蔵庫からナミさんの隣に戻ってくるまでを目で追っていた。テーブルに、タバコの箱と同じくらいの大きさのそれを置く。
「なあに?」
機嫌の悪さなんてどこかに吹っ飛んじまったのか、ナミさんは子供みたいに目をキラキラさせながらテーブルの上に乗りだした。
「じゃーん」
オレも子供みたいに効果音つきで、そのフタを開けた。天井の光が中にあるモノを一瞬照らして、キラリとした。
「……チョコレート?」
「うん。あの島はカカオの名産地なんだって。ココアも買ってきたから後で飲もうね」
「4つしかないわよ?」
他のヤローどものことを心配したんだろうか、ナミさんがためらいがちにそう言ったので、オレはにっこり笑って頬杖をついた。
「ナミさんに3つ、オレが1つ。あいつらにバレる前に食べよう?」
それを聞いてナミさんはオレに目配せをして笑った。秘密協定成立だ。もう一度温かい紅茶を入れて、オレも席についた。
さあ、食べようか、というときに。
「何だ、ソレ?」
ふと見ると、さっきのナミさんと同じように目をキラキラさせたトナカイが立っていた。
「チョッパーも食べる? チョコレート」
「いいのか?」
ぴょん、と椅子に飛び乗って、テーブルの上の箱の中を覗き込むトナカイ。
「1コなら、いいでしょ?」
そう言ってオレにわざわざ確認してくるあたり、なんかちょっと嬉しかったり。
「しゃあねえなー、1コだけだぞ、チョッパー」
「おう!」
チョッパーのモコモコした手が箱に近づく瞬間、その両側からぬうっと二つの手が現れた。
「あっ、このっ!」
「へっへ〜、もーらいっ!」
「オレに隠れてこそこそ買ってたの、知ってたんだからな!」
親指と人差し指で小さなチョコレートをつまんで、ルフィとウソップが小躍りしていた。
「こらっ! これはナミさんに……!」
オレが掴まえるより先に、ルフィとウソップとチョッパーはその小さなかたまりを口に入れた。
「うんめええええーっ!!」
3人の声が微妙なハモり具合でキッチンに響いた。ナミさんはその様子を見てくすくす笑っているだけだった。
「サンキュー、サンジ!」
ルフィの声だけを残して、扉がバタンと閉まった。さっきの騒々しさから一転してキッチンには静かな空気が流れた。
「チクショー、あいつら」
「いいじゃない。ちゃんと1つ残ってる」
ナミさんはきっと、朝のうちに機嫌の悪さを全部航海日誌にでも吐き出してしまったんだな。妙に落ち着いていて、穏やかだ。
「半分こしよ?」
「いや、いいよ。ナミさんどうぞ。ナミさんのために買ってきたんだしさ」
「いいのよ」
そう言って立ち上がると、ナミさんは食事用のナイフをひとつ持って戻ってきた。
「ちょっと待った!」
最後のひとつを残した箱の上を、オレの手が覆った。
「……そんなんだったら、ナミさん食べてよ」
ハート型のチョコレートをナイフで半分にするなんて、そりゃないぜ。
「ごめん、そんなつもりじゃ」
慌ててナミさんが取り繕うけど、オレは朝のナミさんみたいに口を尖らせた。
「ねえサンジ君、一緒に食べよ?」
「いいって。ナミさん食べなよ」
「そんな拗ねないで」
「拗ねてなんかねーよ」
甘いチョコレートの前で、オレの心はかなりビターになっていく。
ナミさん、お願い。オレが心を込めて買ってきた、「心」の形をしているチョコレートをそんなに簡単に半分に切り分けたりしないでくれ。そこには甘さと一緒に、オレの気持ちだって凝縮されて詰まってる。
「サンジ君って意外とロマンチストなのね」
そうやってどんどんどんどん落ち込んでいくオレの顔を見て、ナミさんはふふと笑う。
「どーせ」
「じゃあ、もっとロマンチックなこと、する?」
そう言って、最後ひとつのチョコレートをパクッと口にくわえると、ナミさんは「ホラ」とオレの方に顔を突きだした。
「え!?」
唇の先に小さなチョコレートを乗せて、ナミさんは真っ赤な顔をして、上目遣いでオレを見た。その表情にドキッとする。
「ん!」
早くしろ?
「んーんー!」
溶けちゃう?
ナミさんの声がちゃんと翻訳されてオレの頭の中にその言葉が表示される。あっけに取られてナミさんを見ていると、ナミさんはテーブルをばんばんと叩き始めた。
「んんんーっ!」
イヤなら一人で食べる?
「イヤなわけ……」
「んー」
じゃあ、早く?
いいの? なんて聞いて確認している暇はなさそうなので、オレはとにかく急いで
チョコレート
に吸いついた。
情けねーなぁ。ナミさんに慰められてるよ、オレ。
ナミさんの方からこんなことをさせるオレって、男としてどうよ? って一瞬思ったりもしたが、まあそんなのは吸いついてしまえば後はどうにでもなれって感じで、とにかく思いもよらない展開にオレはドキドキしっぱなしだった。
チョコレートはミルクがたっぷり入っていて、オレとナミさんの唇の温度ですぐにふわーっと溶け出し始めた。
甘いのは、チョコレートなのかナミさんの唇なのか。柔らかいのはチョコレートなのかナミさんの唇なのか。
ああ、多分、オレもチョコレートと一緒に溶け出してるんじゃ。
でも、ナミさんに溶かされて食べられてしまうんだったら、それもいいな。
オレの脳内はすっかりチョコレートが溶けるのと同じくらいの温度になってトロトロしてる。きっとこれで何百個というハートが作れるな。それをまたナミさんの口の中で溶かしてもらったら、オレはまさに身も心もナミさんのものってわけか。そりゃあいい。
なんて、変なことばっか考えているうちに、チョコレートはどんどんどんどん溶けていく。もう少しで固形から液体に変わりそうだ。甘い味は口の中と脳の中に侵入してくる。
もっと、ナミさんに味わってもらいたくて、オレは小さくなったかたまりをそっとナミさんの口の中へ押し入れた。そうしたら、すうっとそれは柔らかい唇の間に沈んでいって、オレの舌も一緒にその中へ引きずり込んでいった。
ナミさんの口の中の温度は唇の表面よりもっと高くて、チョコレートは急激に形を崩していく。そいつをころころころころオレとナミさんで転がしながら味わう。固形のものが消えてなくなると、じわっとした染み入る甘みがだんだんと拡散していって、それをお互いの舌に塗りつけるようにして。
ちょっと甘すぎるチョコレート。もう少しビターなのを買ってくればよかったな。
「むも」
すっかりチョコレートの味が消えてしまって、何か別のとんでもなく甘いもんに頭の中が支配されているときに、ナミさんが変な声を出した。
気がつけば、オレはナミさんの体を腰から引き寄せて、自分の方へぐいぐい押しつけていた。はっとして唇と体を離した。
「終わり。チョコレートはもうなくなったわ」
頬をピンク色にしたナミさんがうつむいて言った。そのピンク色があの町の家の色と同じで、オレは思わずそこにも吸いついてしまった。
「こらっ!」
けっこう痛い拳をひとつくらって、オレはナミさんから完全に引き離された。
「チョコレートはもう終わりだってば」
そうして何もなかったかのように、フツーに紅茶をすするナミさんの頬はやっぱりまだちょっとピンク色だ。
こんなことなら、キャンディーみたいになかなか溶けないもんを買ってくればよかった。
そんなことを考えていたら、ナミさんはふふっと笑ってオレの方を見て、
「今度はキャンディー買ってこようとか、考えてるんでしょ」
なんて言うもんだから。
「えっ、いや、その……」
オレの顔は一瞬にして熱くなってしまった。きっと今、オレの頬もピンク色になっている。
「……ダメ?」
「そうね、気分と天候次第」
そう言ってナミさんはウインクをした。
了解、トライします。何度も。ええ、何度だって。
恋をしたら、ピンク色のハートを壁にひとつ
恋が実るおまじない
恋が実ったら、ハート型のチョコレートを食べよう
恋の数だけ町がピンク色に染まる
ここはそんな恋の町
「何だ、やけに真剣にチョコレートを選んでたから、てっきりお前もどっかにどでかいハートマークを描いたもんだと思ってたぜ」
後でウソップにそう言われた。そんなことをしてもどうせオレはナミさんに相手にされないだろうから、チョッパーをけしかけてルフィと一緒にチョコをいただきに来たんだと。
っていうか、オレはそんな町のならわしなんて知らなかったんだ!
何にせよ、オレはひとつ、大切なプロセスをすっ飛ばしてしまったわけで。
「ナミさん、手ェつなご?」
「やだ」
「ちぇー。じゃあキスしよ?」
「いいわよ」
とはいえ、ひとつ大事なことを後回しにしても、オレとナミさんの関係は先に進んでいく。
手は3回トライして2回。キスは7回トライして1回。
そこまできたけど。
それでも、オレの恋が成就するのはまだまだ先のことらしい。
でもいいさ。そんときはあの壁の代わりに、ナミさんの頬を再びピンクに染めるから。
end
【 chocolate
】ひとつぶで二度おいしい
zono 2003.11.18