One day, I was standing there チビナス×ナミ
あ、これは夢なんだな、って思った。
なんとなく見覚えのある船のデッキの手すりにそっと手を置いて、一階下のここよりも広いデッキを見下ろしていた。
少し時間が遡ったような気がしたけど、どうやら私がそこに存在していなかった時間までもが巻き戻されてしまったみたい。
「……ったく、なんでだよ……」
「今日は久々の休みだってのに……」
「……なんでオレだけ……」
「クソジジイッ……!」
ぶちぶちと文句を言いながら、ジャガイモの山に囲まれた少年が、ただひたすらその茶色の皮を途中で切れることもなく、一定のリズムで剥き続けている。彼の黄色いまんまる頭を挟んで、左には茶色の山、右には白い山ができあがっていく。
「なにブツブツ言ってるの?」
上から呼びかけると、一瞬びくっと肩をすくめてしばらく硬直していた彼だけど、声の主があの騒々しいレストランの面々じゃないとわかったのか、いとも簡単にくるりとそのまんまる頭を回転させてこっちを見た。
ぽやん、とほっぺが赤くなった。そしてくるくる眉を下げながら私に向かってにっこりと笑った。
「こんにちは。きれいなおねえさん」
ちっちゃい頃のサンジ君だ。
「こんにちは」
手すりに頬づえをついて私も笑った。
「こっちにおいでよ」
そうやって簡単に誘いの言葉をかけるあたり、すでに女の扱いなんて手慣れてるのかしら、と思わせる。
階段を降りて下のデッキに出ると、ジャガイモの山は上から見るよりもうず高く積み上げられていた。
「おねえさんの名前は?」
どこかに書いてあるのかと思えるくらいにスムーズに、そんな言葉がこの小さな少年の口から発せられる。
「ナミよ」
そう言うと、彼はニカッと大きな口を開けて嬉しそうに私の名前を呼んだ。
「ナミちゃんかあ」
聞き慣れない呼び方に、一瞬ドキッとして、私は少し顔を赤らめてしまった。
よく考えたら、年上のサンジ君が年下の私を「ナミさん」って呼ぶのも変よね。あまりにも当たり前で、今まで何も思わなかったけど。
「オレはサンジっていうんだ。よろしくね」
「サ……」
サンジ、って呼んでみようと思った。
「ん、よろしく」
何故かためらって、結局できなかった。呼べばいいのに。どうせ夢の中なんだから。
「すっごいジャガイモの山ね?」
お互いに自己紹介をしている間にも、サンジ君の手は止まることがなかった。茶色の山がどんどん小さくなって、白い山はどんどん大きくなっていく。
「ひでえだろー? オレが今日作ったスープが八十点だったからって、居残りで仕込みさせられてるんだ。せっかく今日は午後から休みだってのに……」
「八十点ならいいじゃない?」
軽い気持ちでそう言ったら、サンジ君はジャガイモの皮をするすると剥きながら、淡々とした口調で言った。
「ダメだよ、満点じゃなきゃ」
その横顔はやけに大人びて見えた。
「オレは一流コックになるんだ。一流コックの作る料理はすべて満点じゃなきゃダメなんだ。八十点のスープは誰にだって作れる。オレは、満点のスープしか作っちゃいけないんだ。オレにしか作れないスープじゃなきゃダメなんだ」
プロの顔、してる。コックとしてのプライドもしっかり持って。……こんな小さい頃から、ひとりで頑張ってたんだ。
「……ごめんね?」
じっとジャガイモを見つめている横顔にそう言うと、サンジ君はまたにっこりと無邪気な笑顔を向けてくれた。
「ナミちゃんは悪くないよ。オレが頑張んなきゃいけねえ」
「しっかりしてるのね?」
この少年を少し尊敬したところで、サンジ君はまた眉を下げて笑った。
「ナミちゃん、このあとヒマ?」
「え? う、うん……」
「じゃあさ、オレ早くこれ終わらせるから、デートしよ?」
「デー……」
やっぱりこの頃からナンパだったのね。
かわいさ半分、呆れ半分で笑うと、サンジ君はへへっと嬉しそうに笑い返してくれた。
「サーカスが来てるんだ!」
「サーカス?」
しゅるしゅると音を立てながら、裸のジャガイモはどんどん積み上げられていく。
「そう! すげえんだぜ? クマが自転車に乗ったりさあ……」
うきうきしながらそう語る。目がきらきらと輝いている。
……そういえば、これは私の夢の中なのよね。
小さい頃からナンパなサンジ君とか、でもコックとしてのプライドをしっかり持っているサンジ君とか、あどけないサンジ君とか。すべて私が知っている今のサンジ君のイメージから作り上げているのかもしれないな。
私は彼の過去の姿なんて、知らないんだもの。
「……ちゃん」
「ナミちゃん?」
はっと気がつくと、私は彼の後に続いて、大きなテントに向かって歩いていた。テントのまわりでは風船やら紙吹雪やら出店でずいぶんと賑わっていた。
「早く、早く行こう!」
そう言って、私の数歩先を早歩きで進む少年。
「ちょっと待って……人が多いからはぐれちゃう……」
あれ?
「ナミちゃん早くー」
行き交う人の隙間から手招きをするサンジ君が見えた。ようやく追いつくと、またすぐに私の先を行こうとする。
「ちょっと待ってよ」
「ん?」
振り返った罪のない顔に、私は少し大人気なくむくれながら言った。
「レディーをエスコートするのに、手も繋がないわけ?」
「えっ? て、手?」
急にひるんだ彼の頬はすでに真っ赤だった。
やだ、こんな時もあったんだ。今はうざったいくらいジェントルマン気取ってるのに。なんて、夢の中で自分が作り上げた偶像なのにね。
「はい!」
ほら、繋ぎなさいよと言わんばかりに手を突き出すと、私とは目も合わさずに、彼の汗ばんだ手が私の手を掴んだ。
騒々しい中、ふたりの間にはひとつの音も流れなかった。口をきゅっと閉じて、まっすぐに前を向いたまま、彼は真っ赤な顔で私の手を引いていた。
テントの中に入ると、楽しい音楽が流れ、人々の歓声が渦巻いていた。
「わあっ」
するり、と彼の手が私の手から抜けた。次の瞬間にはもう駆け出している背中が見えた。
「ナミちゃん! こっちこっち!」
正面の席を確保して、満足そうに私に手を振る。すぐ隣にいるきれいなおねえさんよりも、自転車に乗るクマさんの方が好きなのね、なんて目で訴えてみても、彼が気づくはずもないのはわかってる。
バンザイする象とか、火の輪をくぐる犬とか、本当に嬉しそうに食いついて見ている。お待ちかねの自転車に乗るクマが登場した時の興奮したところなんて、さっきの大人びた一流コックはどこへやら、ただの子供だなあって。
だって、私のことなんてすっかり忘れて、ステージに釘付けなんだから。
それをつまらないとか言うつもりはないけれど、普段私は気づかないところでいっぱいいっぱいサンジ君に構ってもらってるんだな、なんて思ったの。
喉が乾いたな、って思う頃にお茶が出てきて、眠くなったな、って思った時にはブランケットをかけてくれて。
街を歩けばいつもすぐ側にいて、買い物をすればいつも荷物を持ってくれて。
もしかしたら、抱きしめて欲しいときとか、キスして欲しいときとか、そういうのもちゃんとわかってるのかもしれない。ちょっと大げさにするから、いつも私が「ひつこい」とか「うざったい」って言ってしまうけど、そう言われることも計算に入れてるのかも?
気がつけば、紙吹雪が敷き詰められた道を、長い影を踏みながら私と彼は歩いていた。
「楽しかった? ナミちゃん」
彼は満面の笑みで私に問いかける。いつの間にか自然に手を繋いでいた。コツを得るのも上手いのかしら?
「うん、楽しかったわ」
あんたを見ているのが、ね。
「明日さ、オレ、また新しいスープ作るんだ。だからさ、ナミちゃん飲みに来てよ!」
にっこりと笑うあどけない表情の中に、コックのプライドが少し見え隠れする。まだまだ成長できる自分への期待でいっぱいなんだね。
「夢に向かって頑張ってるのね」
そう言って笑い返すと、彼の目の中にすこし暗い海が見えたような気がした。はにかんだ笑顔が何かを私に訴えていた。
「夢なんでしょ? 一流コックになるの」
「一流コックにはなるさ! でも……」
「でも?」
ぴた、と歩みを止めて、彼は「誰にも言うなよ?」と耳打ちした。
「オールブルーって知ってる?」
「オールブルー?」
「そう! 世界中の魚がその海には集まってるんだって!」
さっき陰った瞳に再び輝きが戻り始めた。
「オレはね、いつかオールブルーを見つけるんだ! それがオレの夢!」
サーカスのステージに注がれていた熱い視線よりも強く、身振り手振りも入れて彼は私に語ってくれた。その瞳は遠い未来とまだ見ぬ海を映し出しているようだった。
夢を語る顔は、昔も今も全然変わらない。
「……さん」
「……ナミさん」
私は空を見上げた。大きく手を広げた彼は、その姿勢のままつられて上を向いた。
「……もう行かなきゃ」
「行くって……どこへ?」
すがるような目で私を見上げる彼と目線を合わせるように、私は膝を曲げた。
「明日! オレの作ったスープ飲みに来てくれるよね?」
私は静かに首を振った。彼は泣きそうな顔で私を見た。
「私はね、航海士なの。私の乗っている船がもう出発するから、行かなきゃ」
「あと一日くらいいいだろ?」
もう一度静かに首を振って、彼が私を引き止める前に、私は彼の両肩に手を置いて顔を近づけた。
「いつか、迎えに来てあげる」
微笑んだ私の顔は、彼の片目の湖の中にしっかりと映し出されていた。
「いつかっていつだよ……」
必死で唇を噛んで涙をこらえている彼の髪を丁寧に撫でてあげた。
「あんたが一流コックになった時よ」
「ひっく」
ポロポロと大きな涙の粒が落ちる。男が泣くなんてカッコ悪いわよ、と私は笑ってその小さな頭をきゅっと抱きしめた。
「一流コックになったら、私の乗っている船のコックになって? それで、一緒にオールブルーを探しに行きましょう?」
「そ、そんなのいつの話だよ……」
私にぎゅっと抱きついて、彼は肩を小刻みに震わせている。
「……ナミさん?」
彼の体を離して、まっすぐにその目を覗き込んで私は言った。
「だから早く一流のコックになりなさい?」
「う……わ、わかった……!」
何度も何度もうなづいて、彼はぐしゃぐしゃの顔で私を見る。私はハンカチで彼の顔をわしゃわしゃと拭いてあげてから、ぽんぽん、と軽く頭を叩いた。
「約束よ?」
「うん……!」
「じゃあ、約束の印をちょうだい?」
「しるし?」
きょとん、と丸い目をして彼は何度かまばたきをした。
「キスして?」
「キッ!?」
真っ赤になってあたふたと辺りを見回す様子がかなり滑稽だった。
「なーに? もしかして初めてなの?」
「うっ、うるせえっ」
一度まっすぐに立ってから、再び膝を曲げて彼の目線に合わせる。
「よかったわね、初めてのキスの相手がきれいなおねえさんで」
彼はまだわたわたしながらも、唇をゴシゴシこすって、ぺろっと舐めた。
「ん」
そう言って唇を突き出した。しばらくの間、目の前でかなり落ち着かない彼の空気を感じたけど、「早く」って促したら、ハーッと大きく息を吸う音が聞こえた。
「むっ!」
ちょん、と一瞬だけ濡れた感触が唇にあった。目を開けると、目の前には目をぎゅっと閉じた彼の顔。その必死な様子に、思わず吹き出した。
「……ヘタクソ」
「知るかよっ!」
そう言って彼はフイ、と顔を背ける。
「もう……行くね?」
「えっ?」
その次の瞬間には、彼が手を振りながら必死で私を追いかけてくる姿が見えた。
「ナミちゃん! 絶対また来てよ?」
私も手を振り返した。いつの間にか私は出港する船の上にいた。
「……ナミちゃんって呼ばれるのも悪くないな」
そうつぶやいて、もう港で豆つぶのようになっている彼に向かって大きく手を振り、そして叫んだ。
「バイバイ! サンジ!」
「……ナミさん、ナミさん?」
目を空けると、視界いっぱいに藍色の空気が広がっていて、その真ん中にはやっぱり彼の顔があった。
「もう夕食の時間だよ?」
「ん、そんなに眠ってた? 私」
「そりゃもうぐっすりと」
ニカッと笑う顔には当たり前だけど夢の中の彼の面影が残っている。
「早く起きろよナミー! メシが遅れるだろ」
飢えた船長がその後ろからひょい、と顔を出した。
夕食後、いつものように求める前にテーブルには温かいお茶が置かれている。航海日誌を書きながら、思わず今日出会った少年のことまで書きそうになって、私は一旦羽ペンを置いて、その空いた手で頬づえをついた。
窓の外の暗闇の、さらに奥を見つめて、私は思わずくすっと笑いを漏らした。
「どしたの?」
気がつけば、斜め前に座ってそんな私をじっと見つめている彼の姿。
「なんか、楽しい夢を見たの」
「へえ、どんな?」
「ん?」
ちら、と彼を見たけど、あの時のぐしゃぐしゃの泣き顔が思い出されて、吹き出しそうになる。
「なんだよー」
ニヤニヤしながら私の顔を覗き込むのをかわして、私は航海日誌を閉じて立ち上がった。
「教えるのもったいないわ」
「それは残念だ」
彼も立ち上がると、すぐに私は彼を見上げる姿勢になってしまう。そして彼の片目には、しっかりと私の姿が映し出されている。夢の中で私を見上げていた彼が、今は私を見下ろして、こうやって腕を伸ばして引き寄せて、自分の胸の中にすっぽりと収めてしまう。
「ん……」
ここにいる彼は、触れるだけのキスの何十倍も濃厚なキスをくれた。
ちゅ、と吸いつく音がして唇が離れると、彼はニヤリと笑って耳元で囁いた。
「もうヘタクソなんて言わせないよ?」
「えっ?」
聞き返す前にぎゅうっと抱きしめられて、息苦しい中でもう一度囁かれた。
「言わせないからな……ナミちゃん?」
―――私は、彼をちゃんと迎えに行ったわよね? だから今こうして、一緒の船に乗っている。そうよね?
「ふふ」
あの時、彼が私にそうしたように、私も彼にぎゅうっと抱きついた。
「ひとの寝言聞いてるなんて、やらしー」
「ブランケットかけたついでにキスしたら、いきなりそんなこと言うんだもんな。ひでえよ」
「あのね?」
「ん?」
「オールブルーの話、聞きたいな」
「……一晩じゃ語り尽くせないかもしれないぜ?」
初めてのデートとか、初めて手を繋いだこととか、初めてのキスのことも、本当は聞きたかったけど。
でも、それは私だったんだ、って思うことにして。今夜は彼の夢の話につきあってあげよう。きっと夢の中の彼と同じ、いろんな未来を映し出す、そんな目を見せてくれるはずだから。
今日のことは、目の前の彼すら知らない、夢の中の彼との秘密の出来事。
One
day, I was standing there おわり
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