海の向こう側に沈んでいく夕陽を、何度も追いかけたいと思った
水平線が白く光って、水面に乱反射する光が好きだった
そういう光をずっと見てきた
そして、これからも見ていくと思っていた
夢の中では、欲しいものはすべて手に入れた
現実に戻ると、夢の部屋は重い扉で閉ざされた
上手くやってきたさ
所詮、それは夢の話だって
自分に納得させることは簡単だった
地平線に沈んでいく太陽を見たとき、それに追いつけると思った
手を伸ばせば、掴めそうなくらいに大きくて
その色はあまりにもキレイで
まぶしいくらいのオレンジ色
真っ先に君の顔が浮かんだよ
愛しい君の髪の色
君がオレを呼ぶ声を聞いたような気がして
振り返ったら
そこに本当に君がいた
君がゆっくりと近づいてきて
強く抱きしめたとき
今までずっとごまかしてきたいろんなものが
音を立ててはじけ飛んで
扉の向こうからあふれ出してきた
オレはきっと
誇れる何かを手に入れたような気がする
あきらめずにここまで来たから
あきらめずに求め続けたから
「愛してる」
たった一言で、オレは強くなれた
その言葉を繰り返すたびにオレは強くなれる
守るべきものがあるから
失いたくないものがあるから
手に入れたいものがあるから
君がいてくれるだけで
オレは何だってできるような気がする
あきらめることしか知らなかったオレに
君が教えてくれた
そういう自信を
君がくれた
* * *
砂塵はもう届かない。穏やかな風の中をゆっくりと進んでいく船は、夜でも生あたたかい空気をまとって、しっとりと肌に落ちてくる。月は雲の向こうに隠れ、くすんだ闇があたりを包み込んでいた。
「……う……ん、サン…ジくんっ……ちょっと……!」
「……ん?……何? ナミさん……」
「くるし…んっ……ちょっ……待って……」
見張り台は、海からの風を強く受けて少し心地よい。でも、この狭い空間は、人がふたり入って腰をおろせばすぐにでも温度が上がる。お互いの体温を唇で確かめ合って、さらに発熱するカラダ。そしてそこは亜熱帯のように湿度を増す。
「ね……海……ん…見なきゃ……」
「オレがちゃんと見てるから……安心して?」
指をしっかりと絡めて、壁とサンジ君の間に挟まれる。かたい壁と、やわらかい唇。それらを同時に受け止めながら、もっともっと奥まで求められると、小さな空間は汗ばむほどに暑くなっていく。
「見てないじゃな……、だから…もう……どうしたの今日…は……」
壁に貼り付けられたような体勢のまま、息も切れ切れの私の声の合間を縫ってサンジ君が答える。
「ナミさん、怒ってるんだろ?」
「怒ってるって……何を?」
その答えにたどり着く前に、何度も角度を変えて唇を押しつけられる。手はがっちりと握られて、身動きが取れない。
サンジ君が吐く息が顔にかかるたびに、体温が上昇していくのがわかる。
「オレが……ロビンちゃんにも優しくするから、ナミさん怒ってる……違う?」
「何言って……そんなこと、ない……っ」
サンジ君の前髪が、汗ばんだ私の額にくっつく。
「怒ってる……今日は朝からすげえ機嫌悪いし」
「怒ってなんてないってば……」
「じゃ、なんでそんなに抵抗すんの?」
「それはっ……!」
組んでいた指を離すと、その両腕が私の腰を抱えて、ぐっと引き寄せる。足もとに絡みついた毛布をほんのわずかな空間に無造作に広げると、そのままそこに押し倒された。
「ちょっと……! 怒ってないから。サンジ君……ねえ……」
「ウソ……怒ってるくせに」
全体重をかけて唇を押さえつけられて、のどの奥から必死に声を出す。私を見下ろしているサンジ君の髪が私の顔を覆って、何も見えなくなる。
「オレ、もう誤解されたくねえんだよ……。オレはナミさんだけだって、何回も言わねえと、信じてくれないだろ?」
「わかってる……わかってるから……」
頭を抱え込まれて、髪をくしゃくしゃにされながら、熱い唇を長い時間かけて受け止める。
「愛してる……ナミさんだけ」
「うん……わかってる……」
ふと、顔をあげたサンジ君は少し頬を紅潮させて、切ない表情で私を見ていた。大きく息をすると私の体にかかる重みも変化する。
「ナミさん……」
その目を閉じる顔が色っぽくて、恥ずかしくて顔を背けると、ちょうど降りてきたサンジ君の顔が、私の首もとに沈んだ。
「あ……ちょっと……サンジ君?」
熱い息と熱い唇と熱い舌と。耳元から首筋を下りていく。背筋が一瞬ぞくっとした。
「サンジ君……待って……」
また唇をふさがれて、長い時間が過ぎる。苦しくなって手で押し返そうとすると、サンジ君は私の手首を持ってそれを止めた。静かに両腕を床に置くと、そのまま肩に手をかけて、キャミソールの肩ひもを滑るように下ろした。
「ちょっ、ちょっと待って……サンジ君!」
焦ってその手を制止すると、乱れた髪の間からサンジ君の恍惚とした目がのぞいていた。
「ナミさん……ダメ?」
そう言って今度は鎖骨に沿って唇をはわせた。そのたびに、ぞくぞくとする震えが起こって、肩を左右に振って振り払おうとした。
「こんなところで……何考えて……」
「じゃ……キッチンは? キッチン……行こ?」
甘えた声でそう言って唇に吸い付いてきた。荒い息が容赦なく顔に吹きかけられる。
「そういう問題じゃなくて! 見張り、途中でやめる気?」
「あっ……そっか……」
それで少し理性を取り戻したようだったけど、すぐに軽く笑って耳元で言った。
「じゃやっぱりここで……ね、ダメ?」
「だから……!」
肩を必死に動かしても、体の重みで毛布に沈められそうになる。サンジ君はずっと切ない顔をして、すぐ近くで私の目を覗き込んでいた。
「ね……ナミさん、いい?」
キャミソールの裾から手を入れてきたとき、肌に直に触れた手がとても熱くて、心臓がドクン、と鳴った。
でも、すぐに体が硬直して、とっさにそれを両手でくい止めた。
「ダメッ! 今日は……あ、アノ日なの!」
一瞬の沈黙
「機嫌が悪かったのもそのせいよ……バカ」
目に少し涙が溜まっていて、横を向いたら流れそうだった。
「……ごめん」
そう言って私を抱き起こして、毛布を軽くはたくと、サンジ君は私をしっかりとくるんで抱きしめてくれた。
「ごめんねナミさん……オレ全然デリカシーねえや……」
そうやって抱きしめてくれる胸の方が、ずっと安心できて、このままこうしていたいと思うのに。
胸に顔をうずめると、甘いココナッツの香りがして、少し切なくなる。
「私はね、誰にでも優しいサンジ君が好きよ……」
私がそう言っても、しばらくサンジ君は何も言わずにじっとしていた。それから体を少し離して、丁寧なキスをひとつくれた。
「……部屋まで送るよ」
優しく肩を抱かれて、部屋の入口まで来ると、肩に回していた手が首もとに巻き付くように抱き寄せられ、ぴったりと頬をくっつけた。
「ごめんね、ナミさん」
「……ううん」
少し顔を横に向けると、すぐそこにサンジ君の顔があって。軽く唇をつけると、それに応えるように小さな音を立てて、頬にキスしてくれた。
あったかくて、いつも包み込んでくれる
そういう優しさが、好きなの
スーツの胸に顔を押しつけて、ぎゅっと抱きついた。
……ずっと一緒にいたい
でも、今日はサンジ君の気持ちに応えられないから
私の方こそ、ごめんね
「キス、して?」
サンジ君を見上げて、少し甘えた声で言った。サンジ君は眉と目尻を下げて、顔をくしゃっとして笑うと私の唇に軽く触れた。嬉しそうに私を抱きしめると、耳元でそっとささやいた。
「ねえ、ナミさん」
「ん?」
「今度、ロビンちゃんが見張りの日に、部屋に行くから……そのときは……いい?」
少し顔を赤くして、視線はちょっと遠くを向いている。普段の落ち着きがなくなって、余裕のない顔をしているサンジ君を見るのは珍しくて、それがとてもかわいくて、いとおしくなって、私は静かにうなづいた。
「……いいよ」
「……ホント?」
「……うん」
「へへ……やったぁ」
もう一度強く私を抱きしめると、サンジ君は鼻をこすりあわせてきて、そして唇に軽くキスをした。
「おやすみ……愛してる」
「……うん……」
うまく言葉が出なくて、サンジ君の顔をじっと見た。少しの間、サンジ君は困った顔をして笑っていたけど、私の頭を軽くぽんぽんと叩くと、背中越しに手を振って外に出て行った。
聞かなかった
オレのこと愛してる? って
聞かなかったね
―――――コン、コン
部屋の内側からノックする音が聞こえて、振り返ると床の扉を押し開ける手が、「手」だけがあった。
「もういいかしら?」
部屋の奥からロビンの声がした。少し笑っているように聞こえて、一気に顔が熱くなるのがわかった。
荒々しく階段を降りて、ソファで静かに本を読むロビンの目の前に立った。
「ちょっとロビン、あんたまさか見てたの?」
ロビンがどこにでも手足を生やすこと、その目でどこでも何でも見られることを考えると、今の私たちの姿を見られていてもおかしくなかった。両手を腰にあててロビンを見下ろすと、ロビンは足を組んだまま私を見上げて口元で笑った。
「……悪趣味ね」
「気配を察知するのは、長年裏の世界で生きていると自然と身につくものよ」
そう言って悪気もなく微笑むと、パタンという音を立てて本を閉じた。部屋の中に少し埃っぽい匂いが広がった。
「ねえ、あなたたちって不思議ね」
ロビンは湯気の出ていないコーヒーカップを片手に持って、もう片方の手で頬杖をついた。
「何がよ?」
「あなたとコックさんは、恋人どうしなんでしょう?」
恋人、コイビト
そんな風に言葉にすると、なんだかとても遠い場所で起こっている物語のように聞こえた。
考えたこともなかったけど
私とサンジ君はそうなんだ
そう呼んで、いいんだ
そう思うと何だか嬉しくなって、顔が真っ赤になっているのがわかっていたけどそれを止めることはできなかった。そんな私の顔を見て、ロビンはにっこりと笑った。
「あなたたちって、初恋に戸惑っている小さな男の子と女の子みたいに見えるわ。なぜかしらね?」
初恋?
いつも一緒に遊んでいた男の子と手をつないだり
ゲンさんみたいな人と結婚したいって言ってみたり
それが楽しかったのは覚えてる
それが初恋かどうかはわからない
「初恋」なんて言葉、もう使えないのはわかってる
それはあまりにも純粋すぎる言葉だから
私には似合わない
でも
この気持ちは
ずっとそばにいて欲しいとか
見つめて欲しいとか
抱きしめて、キスして欲しいとか
……抱いて欲しいとか
そういう気持ちを初めて教えてくれたのは……
「まだ、彼とは寝てないのね?」
「なっ……!」
――――まだセックスはしてないね?
ドクトリーヌに言われたときは、まさか本当にそんなときがやってくるなんて思いもしなかった。
あのときは、気持ちを伝えることすらできなくて
それがいつの間にか
こんな風に想いが通じ合って
そこにいるのが当たり前になって
求めても求めても足りなくなって
どんどん贅沢になっていく
「だって、コックさんがあなたを見る目、おあずけをされた犬みたいだもの」
口に手を当てて、ふふっと笑うと、ロビンはすべてを見透かしたように目を細めて私を見た。
「犬って……あんたね!」
「あら、だって彼にそういう顔させてるのはあなたよ?」
ぐっ、と次の言葉を飲み込んだ。ロビンはソファの上で姿勢を正すと、足を組み替えて私を見た。
「ごめんなさい。じゃあ言葉を変えるわね。彼はいつも、オスの目をしてあなたを見てるわ」
「……オスの目?」
サンジ君の、切なげな表情が浮かび上がった。
「そう、オスの目。あなたがあまりにも純粋な目で彼を見るから、彼は自分を押さえるのに必死みたいだけど?」
純粋?
それは私に使う言葉じゃないでしょ?
「……そんな目してるなんて、気づかなかった」
サンジ君のそんな目も
私のそんな目も
「まさか、本当に初恋なのかしら?」
意地悪くロビンがそう言った。私はひとつため息をついて、はにかんだ。
「……そうかもね」
8年前に自分の心を押し殺した。ひとりで耐えて生き抜くことを選んだ。
誰かを必要とする自分なんて、誰かに頼らなければならない自分なんて、存在しちゃいけなかったから。
挿し絵16
でも、ずっと守り続けたものがある
夢を見ること
人を愛すること
どれだけカラダが汚れても、心だけは真っ白のままで
世界地図を広げる瞬間を
好きな人と結ばれる瞬間を
いつか、いつかきっと、なんて
自由になった私は初めて恋をした
苦しくて、悲しくて、切なくて
でも嬉しくて、愛しくて、また切ない
そういう気持ちを全部
たったひとりの人に、教えてもらった
「でも、変ね……」
ロビンがそう言うと、私のからだのあちこちから白い腕が生えてきた。それらが、体中を撫でまわし、私の胸を容赦なく掴んでもてあそんだ。
「あっ……ちょっと、ロビン!?」
透き通った白い手で首筋をそっと撫でられると、一瞬体中に鳥肌が立った。
「あら?」
「ちょっと! 何やってんのよ!?」
「カラダは十分に”女”になってるのね……」
必死で体に力を入れて、触れている手の感触が伝わらないようにする。片手を口にあてて、もう片方の手をしっかりと握って、全身を鉄のカタマリのように無機質なモノに変える。
何も感じない、何も感じちゃいけない
「くっ……うう……」
そのままソファに顔をうずめて、私は震え出した。
「航海士さん……」
側に座っていたロビンが立ち上がる気配がすると、背後からそっと包み込むように抱きしめてくれる温かさがあった。その温度の方向に手を伸ばして、私は声をあげて泣いた。
サンジ君とは違う、温かさ
もっと懐かしい感じの、温かさ
心だけが取り残されて、ずっと助けを求めていた
それを、誰かに気づいて欲しかった
「ベルメールさん……」
「……誰?」
「私の……母親」
ふふっと笑う声が聞こえると、いくつもの手が現れて、私はそっとソファに横たえられた。
「さすがにそこまでは年を取っていないわよ」
私の髪に触れながら、ロビンが笑った。
「ねえロビン……」
「なあに?」
「私ね……」
* * *
ガラにもなくドキドキしている
手が震えて仕事にならねえよ
「ロビンちゅわんっ! 今日の見張りのために、ポットにたっぷりコーヒーを作っておくからね! なんなら、おやつも用意しておこうか?」
デッキで本を読むロビンちゃんにできたてのコーヒーを差し入れる。
「あら、ありがと、コックさん。優しいのね」
落ち着いた物腰で淡々と話す中に、大人の色香が漂う。秘密めいた雰囲気に、興味を引かれる。
「そりゃ、レディーがひとりで夜の見張りをするんだから、不自由のないようにしてあげなきゃ、ね!」
「へっ、そいつなら心配ねェだろ」
傍らでゾロが目を閉じながら言った。
「うるせー、クソマリモ。夜の海は危険がいっぱいなんだ。何が起こるかわからねえだろーが」
とはいえ、何か起こったとしても、ロビンちゃんならきっと平気なんだろうけど。ナミさんのときは心配で心配でたまんねえんだけどな。
「まあ、それなら一緒にいてもらえると嬉しいわ」
うっ、と一瞬言葉に詰まりそうになった。
「あー……。でも、そんなことしたら、オレきっとロビンちゃんのこと襲っちゃうよ?」
わざとヘラヘラとそう言ってみせると、ロビンちゃんは意味ありげな笑いを浮かべてオレを見た。
「ふふふ、いいわよ別に。襲ってみる?」
「やめとけ、本気にするぞ」
両腕を頭の後ろで組んで、ゾロが片目を開けてこっちを見た。
「いやそれは……えーと……ああっと! スープを火にかけたままなのを忘れてた。ごめんね、ロビンちゃん!」
そう言ってオレは逃げるようにその場を後にした。
危ねえ、危ねえ……ロビンちゃんはあなどれねえな
今日だけはちょっと助かったぜ、ゾロ
今までのオレなら、よろこんでお供しますなんて言っちまうところだが
でも、今日はダメなんだ
オレにとって、ナミさんにとって「特別」な日だから
初めて抱いた女性はオレよりもずっと年上の大人だった
セックスは、冷静かつ大胆に
溺れた方が負けなのよ、と
そう言われた
だからオレはずっと誰かを抱くたびに
腕の中で快楽にうち震える女性の表情を
余裕の笑みで見下ろしていた
それが今は何だ?
まだ抱いてもいないってのに
体が熱い、心臓が痛てえ
……冷静でいられるわけねえだろ?
ナミさんのすべてに触れたら
たぶん、オレの方がどうにかなっちまう
最初から負け戦
溺れる覚悟でオレは
ナミさんを抱きてえんだ
「ふふ……わかりやすいのね」
「言ってることとやってることが完全に矛盾してるのに気づいてねェな、あのアホは」
「あら、でもかわいいじゃない?」
「ったく……たかが女ひとりに」
ナミさん
オレ、ちゃんと待つから大丈夫だよ
ナミさんがまだオレに「愛してる」って言えなくても
その分オレが言うから、何度でも言うから
今日ナミさんを抱きしめて
心もカラダも通じ合うことができたら
そのときは
ナミの口から
ナミさんの声で
言ってくれるかい?
オレのこと、「愛してる」って
「ねえ、剣士さん。でも……」
「あァ?」
「彼は……ちょっと危険ね……」
「……あァ……そうだな」
ねえ、ナミさん
初めての「愛してる」を
今夜、オレの腕の中で、言って?
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