追いかけてこなかったカカシの後ろ姿が、サクラの脳裏にしっかりと焼き付けられてしまった。
その肩は静かに見えない壁を作り、その距離は果てしなく長く感じられた。
おそらくそれは、決して埋めることのできない十数年の人生の時間。
あの木の下に行くたびに、いないはずのカカシの気配を感じて、サクラはつい考えてしまう。
カカシ先生には、もう家族も大切な人も誰もいなくて、ずっとひとりぼっちなんだ……。
ナルトやサスケくんと同じ。私には理解できない「孤独」と闘って来たんだろうな。
そしてきっと、それに慣れてしまってるんだ……。
でも、カカシ先生にとって、私たちは?
そっと木の幹に手を当てて、話しかける。
「私たちのことは、大切じゃないの?」
ねえ、カカシ先生……
「サークラー!」
遠くから、いのの声が聞こえてきた。
「私たちー、みーんな中忍試験、合格したってー!」
大手を振りながらいのが走ってくる。
「ホント!?」
サクラも思わず大きな声を上げて、飛び上がった。
サクラといのはそのまま勢いよく抱き合って、「やったー!」とぴょんぴょん飛び跳ねた。
「よかったねー、サクラ」
「うん。合格できてよかったね、いの」
「それでね」
さっと体を離すと、いのがニッと笑ってサクラのおでこをつついた。
「アスマ先生が今からお祝いしようって! 焼き肉食べ放題〜!」
一瞬、表情をゆるませたサクラだったが、すぐに目を伏せて首を振った。
「私はいいよ。第十班だけで行っておいでよ」
「なんでー!? サクラも一緒に受けたんだから、いいじゃない」
いのは不満気に口をとがらせたが、サクラの表情を見ると、少し困りながら首をかしげた。
「……第七班が誰もいないから、寂しいのはわかるけどさあ……」
「違うわよ。綱手様にも報告に行かなきゃいけないし」
「まあまあ、あんたの気持ちはよーくわかるわよ」
ふう、と大きなため息をついて、いのは木の幹にもたれて座り込んだ。
サクラも続けて隣に座る。
「ナルトもサスケくんもいなくなっちゃったし、カカシ先生も任務ばっかりだもんねー。
中忍試験に受かっても、手放しで喜べないよね」
遠慮無く、いのはサクラの気持ちを代弁する。
サクラも、静かにうなづいた。
「でもさー、サクラ。あんたって、まだサスケくんのこと好きなの?」
いきなり核心をついたような質問に、サクラの心臓は一瞬大きく縮み上がった。
「えっ!?」
「どうなの?」
間髪入れずに問い直されて、サクラはしばらく黙り込んだまま、言葉を選んだ。
「……わかんないよ、そんなの」
「そうなの? 私からすれば、まだずるずると引きずってるように見えるけど」
「そ、そりゃあね……あんな形でいなくなっちゃったし」
「連れ戻したいって思ってるんでしょ?」
「うん、それは絶対に」
「でもそれは好きだからなの?」
「そんなの……わかんないってば」
「そうかなあー」
いまいち納得がいかない、といのは背筋を伸ばして遠くを見た。
一瞬の沈黙。
さわさわと流れた風に後押しされて、サクラは口を開いた。
「……正直」
「ん?」
「正直、サスケくんには振られちゃったんだ、って自覚はあるの」
「……そうなんだ」
「うん。でも、ずっと一緒に任務をこなしてきた仲間だし、大切な人には変わりないから」
「その大切な人っていうのは、ナルトとか、カカシ先生と一緒の”大切”なの?」
容赦ないいのの問いかけに、サクラは丁寧にその答えを埋めていく。
「たぶん……少しずつそうなってきていると思う」
「ふーん」
そのままいのも黙り込み、またしばらくの間、風だけが二人の間を流れていった。
「……もし、サスケくんが戻ってきたら、また好きになるのかなぁ……」
サクラのその言葉に、いのは過敏に反応した。
「それって……」
「ん?」
今度はいのが言葉を選ぶように、視線を上へと流した。
「サクラ、あんた他に好きな人ができたの?」
「えっ!? な、なんで??」
あまりにも唐突な言葉に、サクラは思わず顔を赤らめてしまった。
いのは腕組みをして、考察するように続けた。
「うーん、だってさ、あんたのその言い方だと、今は恋しちゃいけないのかな、って風に聞こえるんだもん」
「それって深読みしすぎだよ、いの」
「そうかなあ? 他に気になる人がいなかったら、そんなこと思わないと思うんだけど」
「そんなことないって! たぶん……サスケくんが戻ってきたら、昔のままのサスケくんじゃないのかな、って……」
「同じことだと思うけどなー。それにさ、変わらない人なんていないんだよ?」
少し攻撃的な言い合いになって、二人とも声のトーンが高くなっていた。
「みんな変わっていくんだから、人の気持ちだって、変わったって全然おかしくないんだよ、サクラ?」
諭すようにそう言われて、サクラは涙目になっていた。
「そうだけど……」
「だからさー、もっと周りの人にも目を向けなよ。あんたのこと想ってる人、案外すぐ近くにいるかもしれないよ?」
「え?」
何故かドキッとして、サクラはいのの顔をしっかりと見つめた。
「……リーさんとか」
再び沈黙。そして、すぐにサクラといのは顔を見合わせて大声で笑い出した。
「やめてよ、いの〜」
「サクラこそ、なんで笑うのよー。リーさん本気でサクラのこと好きなんだからねー」
「そりゃ、リーさんはいい人だけど……」
きゃらきゃらと若い女の子らしい笑い声が、空に響く。
「ナルトだって、きっとサクラのこと大切だよ。それにカカシ先生も!」
「えっ!?」
今度は心臓が飛び出すほどドキッとした。
心臓の動悸が大きな音を立てているのがはっきりと聞こえる。
「……カカシ先生はサクラのこと、本当に大切に思ってるんだなあ、って
今回の中忍試験でよくわかったの」
いのが、自分のことのように嬉しそうに話し始めた。
「だって、アスマ先生だったら、絶対勝手に決めちゃってたよ。
でも、カカシ先生はサクラの気持ちを大切にしたいって言ってくれたんでしょ?」
「……うん、それは確かにそうだけど」
「優しいよねー、カカシ先生」
……そうなんだ。
カカシ先生はいつも私のことちゃんと考えてくれていて、
私の気持ちもちゃんとわかってくれてる。
”仮にオレがそばにいても、答えを出すのはサクラ自身だったはずだよ”
……うん、その通り
でもね、やっぱりカカシ先生が背中を押してくれたからなんだよ。
「ふふっ」
思わず笑いがこみあげてしまった。
「何? 気持ち悪い〜」
いのが笑いながらサクラの顔をのぞき込む。
「……カカシ先生は本当に強いし、大人だし、私の気持ちも全部お見通しって感じ」
「アスマ先生とは大違い〜!」
きゃはは、と高い声でいのが笑う。
「でもね」
「ん?」
もう一度ふふと笑って、サクラはいのにウインクをした。
「他国にその名をとどろかせるほどの上忍に向かって、バカって簡単に言っちゃうんだからね、私」
いのもにっこりと笑って、サクラのおでこをもう一度つついた。
「いい顔してるじゃないの〜サクラ!」
「え?」
きょとん、としたサクラに向かって、いのはうんうん、とうなづいた。
「これは、新しい恋かもね?」
「こい!?」
予想外の言葉に、サクラの声は裏返った。
「いいんじゃない? 私も前に言ったしね。カカシ先生にしちゃえ、って」
「そんなんじゃないってば!」
いのはすかさず立ち上がって、走り出した。
「ま、がんばって! 私そろそろ行かなきゃ!」
長い髪をなびかせて、いのは来たときと同じように大手を振って去っていった。
「だから違うのに〜!」
地団駄を踏みたい気持ちで、サクラは両手を握りしめる。
嵐が去った後のように、あたりは静かになった。
「……恋?」
改めて冷静に考えてみる。
恋? カカシ先生に? まさかね……
突然降ってわいた種類の感情に、サクラはとまどいを隠しきれずにいた。
「……ダメダメッ!」
……私は今カカシ先生に対して怒ってるの!
そうよ。怒ってるんだから。
任務が終わったら、「おかえり」って
言ってあげたいのに
「メンドー」なんて、失礼なんだから。
わざと怒りを大きくするように、サクラは腕組みをして鼻を鳴らす。
……でも
今一番会いたいのは、カカシ先生なんだ……
会って一番に、中忍試験の合格を伝えたいのに
組んだ腕がするりと落ちて、サクラはその場に立ち尽くす。
「……バカ」
そこにいない上忍に一番言ってやりたい言葉だった。
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