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長い任務を終えた帰路の途中。
静まりかえった森の中で、カカシの一行は夜を明かすことにした。
「この辺なら、出ても賊ぐらいだろう」
特A級の任務をこなす特別上忍たちにとっては、賊などは相手ではなかった。
今夜は月明かりと満天の星が、視界を確保してくれる。
めいめい岩場や巨木の影に身を潜めて、静かに眠りについた。
カカシは、森の中に差し込む月明かりが闇を分けていく様を、ぼんやり眺めていた。
パタパタパタ……
乾いた羽音が聞こえて、空を見上げると、まぶしい月明かりを背負いながら一羽の鳥が飛んで行くのが見えた。
「何? お前の鳩なの?」
鳩を放った手を月に掲げて、同じ隊の仲間が静かにその軌跡を見つめていた。
「そうですよ」
「口寄せしたの?」
「いえ、ただの伝書鳩です」
「あ、そうなの」
そこで会話が完結して、カカシは彼の見つめている方向に目を向ける。
しばらく何も変化の起きない時間が流れ、二人の影が少し傾いた。
「……で、何を?」
思い出したようにカカシが聞くと、彼は「いや、遅いから」と笑った。
「このペースなら3日後の正午には木の葉の里に戻れそうですよね? だから早めに連絡しておこうと思って」
「ふーん、恋人?」
「いや、まあ、そんな感じですかね……」
急に動揺したその上忍は、月明かりで照らされた顔が少しだけ上気したように見えた。
「そんなの、帰還してから直接会いに行けばいいんじゃないの?」
いやいや、と手でそれを否定しながら返ってきた答え。
「カカシさんは女心ってもんをわかってないですねえー」
少しバカにされたような気がして、カカシはムッとした。
そういえば、いつか誰かに同じことを言われたような気がする。
彼は悪気のない笑顔で続けた。
「いろいろあるみたいですよ。身だしなみとか、心の準備とか、部屋の掃除とか。突然会いに行こうもんなら、門前払いがオチです」
「心の準備ねえ……」
そういえば、この間久しぶりにサクラに会ったとき、出会いがしらに「バカ」って言われたな。
確かにあのときは任務から戻る日を知らせていなかったっけ……。
そーゆーこと?
何か違う、と首をかしげるカカシに、彼は遠い場所の恋人がまるで目の前にいるかのように、優しい目をして語った。
「この日、この時間に帰るって伝えておけば、彼女は一番の笑顔で迎えてくれる。それが自分に取っても何よりの癒やしになるんですよ。だから、先にこうしてサインを送ることで、自分はいつも最高の彼女に会えるというわけです」
「……言ってて恥ずかしくない?」
聞いている方がむずがゆくなって、カカシは視線を泳がせた。
「もちろん本人には言いませんけどね。だからサインを送っているんです。女性はそういうのに敏感なんですよ」
「へえ……この日に帰るから、ちゃんと部屋の掃除しとけよー、みたいな?」
「違いますって! この日この時間に帰るよ、って言うのは……」
どうにも的を得ていないカカシの言葉に半分呆れつつも、彼は楽しそうに説明する。
この、天才と呼ばれる上忍が、こうも男女の機微に疎いとは。
そして、たかが伝書鳩に託したメッセージにこうも興味を示してくるとは。
けだるそうなまなざしの先に、誰の姿を思い描いているのか、彼はほんの少しだけ気になった。
「……誰か大切な人がいるんですか?」
「んー?」
とぼけた返事だけ返して、カカシは空を見上げながらその場を離れようとした。
「……3日後の正午ね。遅れないようにするぞ」
「はい!」
聞いてしまった以上、二人の逢瀬を邪魔するわけにもいくまい、とカカシは軽くイヤミを言い残して去っていった。
大きな岩の影に入ると、ちょうど月明かりがさえぎられて、星の光がはっきりと捉えられた。
「こんなに星が出ていたのか……」
月の光の強さが星空に滲み出ていたため、その数の多さに気づかなかった。
無数の点が作り出す光の河。その流れを追って、視線はさらに遠くを見ようとしていた。
……そういえば、中忍試験はもう終わったかな。
ま、サクラなら大丈夫だろうけど……
最後に見たサクラの顔が急に思い出されて、小さく胸が痛んだ。
目を潤ませて、震える手を握りしめて。
「バカ」と叫んで走り去っていった。
正直、サクラにどう接していいのかわからない。
普段のサクラのままでいてくれたら、何も迷うことはないのだが。
思いもよらない表情や言葉やしぐさが、別人のように見えるときがある。
成長期の女の子はそんなものだと割り切ってしまえばいいのだろうが、その時々見せる「特別な」一面に翻弄されて、そしてひどく惹かれている。
そして、その先を考えまいと自分をごまかしてきた。しかしそれもそろそろ限界に近いようだ。
「サインか……」
ふと、日常の光景を思い出す。
時々見かける、いのの花屋には場違いなアスマの姿。
紅にあげる花を選んでいるのだろう。
花を受け取った紅は、やはりアスマの気持ちに気づいているのだろうか。
というよりは、そう気づいてもらうための「サイン」なのか。
もし、自分が何かサインを送ったら、
サクラはそこに込められた意味に気づくのだろうか。
気づかれたら、その後はどうしたらいいのか。
答えが出ないまま、その場で仰向けに寝そべった。
見上げるよりもさらに星の数が増えて、まるで空に漂っているかのような錯覚を覚えた。
小さな星の光は群れとなって、雨のように降り注ぐ。
光の水滴が体を貫くような感覚が、心地よい。
カカシは目を閉じた。
遠い過去からつい最近のことまで、さまざまなシーンがまぶたの裏に現れては消えていく。
時間が大きなうねりのようになって、自分を飲み込んでいくのがわかる。
どんな取り繕いも、嘘もすべて流されて、最後に残った気持ちはたったひとつ。
……サクラの笑顔が見たい。
ゆっくりと目を開けると、頭の奥が妙にすっきりとして、何か余計なものがすべてそぎ落とされたような感覚があった。
視界いっぱいに広がる星の海。
この光は何万年、何億年も過去から届いている。
ここから発した光は、何万年後、何億年後にどこかの星の誰かのもとに届くのだろうか?
もしこれが、遠い星の誰かからのサインだとしたら、時間を越えてここに届く意味とはなんだろうか?
”考えすぎるなよ”
ふと、どこかからそんな声が聞こえた。
聞き覚えのある、懐かしい声のような気がした。
カカシは慌てて体を起こし、あたりを見回すが、そこには冷え切った沈黙が流れているだけだった。
”伝えることに意味があるんだよ。結果は関係ない”
また反対側から同じ声が聞こえて振り返ると、月明かりの中にぼんやりと人影が見えた。
目をこらしてその姿を確認すると、カカシはそのまま目を見開いて動けなくなった。
「……オビト?」
遠い遠い昔、いつも一緒だった、ゴーグルをつけた少年が笑いながらそこに立っていた。
光の中で、ゆらゆらと危うげに輪郭を保ちながら。
”伝えられずに後悔するより、伝えて後悔する方がずっといいさ”
その言葉は、重しのようにカカシの心の中に沈み込んだ。
「オビト、お前……」
からからに乾いた声でようやく呼びかけると、その姿は大きくうねって、そしてすぐに月の光の中に消えていった。
「オビト!」
思わず手を伸ばして、足を踏み出した。
でも、もうそこには何もなかった。
カカシの手の中を、ひんやりとした風が通りすぎていく。
ぎゅっと握りしめて、その手を見つめる。
「……都合のいい幻覚だ」
青い蝶のときもそうだ。
本当にそれを必要としている人間を差し置いて自分の前に現れた。
もしかしたら、あれも幻覚だったのかもしれない。
「まさかオビトまで現れるとはねぇ……」
やれやれ、と肩を大げさに落として、カカシは自然に笑みを浮かべた。
「そのうち四代目が出てくるな、きっと……」
そんな冗談をつぶやいてみる。
月は少しずつ位置を変え、カカシの影の長さも変わっていた。
ふと、あの日小麦畑で重なり合った2つの影を思い出す。
とまどいを隠せずに、言葉をつなぐことができなかったサクラ。
何よりも、あの老夫婦の言葉。
”結ばれる運命の二人”
「はは」
思わず声を出して笑う。
まさかとは思うが、今この時間を見えない何かの手によって操作されているのだとしたら。
それに身を委ねてみてもいいのかもしれない。
「……都合よく考えてみるかな……」
最高の彼女に会いたい、と言った上忍の言葉が、今になってカカシの心に染みこんできた。
オレも、そうなんだ。きっと
サクラにサインを送ろう
すべての嘘や取り繕いも照らし出してしまう、この月の夜だからこそ
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