それは確かにサンジ君でした
そう後ろから声をかけられたとき、私は窓の外に沈んでいく眩しいオレンジの太陽を見つめていた。 「ああ、今日の夕陽はきれいですねえ」 「そうね」 そう言って私は振り返った。 この太陽もいつか光を失うときがくるのだろうかと考えながら。
last hug ......hello, my big baby SANJI × NAMI
暗い廊下を右に左に曲がりながら、つきあたりにたどり着くと、厳重にロックされた扉がゆっくりと静かに開いた。 真っ暗な部屋の中にぼんやりと浮かび上がるガラスケース。その中に横たえられた細い体。そっと近づいてそのケースに触れると、手にすっとなじむようにあたたかかった。 「……どうですか?」 「……ええ……」 ケースの中の体と、ガラスに映った私の顔が重なると、長い時間をかけて蓄積された様々な想い出がいっぺんに溢れだしてきて、私はそれ以上言葉を紡ぐことができなくなっていた。 「体温は36度を保つようにしてあります。臓器も神経系もちゃんと機能します。もちろん、生殖能力もありますので……はっ……すいません……」 「ううん、いいのよ。気にしないで」 振り返って私は微笑んだ。 「……あの頃に比べたら、進歩したわね」 「……ええ、でも」 そこで、会話がとぎれた。もう一度、私はガラスケースの中を覗き込んだ。 「いよいよ明日なのね」 「本当に……いいんですか?」 「いいのよ、青年」 「青年……その呼び方はもういいじゃないですか」 「あは。そうね。あなたももう立派な教授だものね、青年。あ、また言っちゃった」 そう言って肩をすくめて舌を出してみた。 「……あなたに初めて出会ったときは、まだしがない研修医だったというのに……時が経つのは速いものですね」 「私の時間は止まったままなのにね……」 その言葉に、「青年」は何も答えなかった。 しばらく沈黙が続いた。ガラスケースの中だけがあたたかそうで、その外にいる私たちの周りにはひんやりとした空気が漂っていた。 「ごめんね、青年」 かつ、かつ、と革靴の音が響いて、ガラスケースに真っ白な頭の「青年」の顔が映った。 「……なにがです?」 「本当はね……イヤなの」 ガラス越しに目を合わせて私は答えた。目を閉じると、期せずして涙が流れ落ちた。 「でも……ひとりぼっちになるのは、もっとイヤなの……!」 「……すいません!」 「青年」は私に頭を下げたまま動かなくなった。 「私にもっと力があれば……もっと早くドクターの意志を受け継いでいれば……!」 「それは言わない約束でしょ?」 それでも体を半分に折り曲げたまま「青年」は続けた。 「ドクター・チョッパー……彼は偉大すぎました。彼が残してくれた論文の、未だ半分も我々は理解していない。それなのに私はこれを最後に医療の現場を離れてしまう……一生このことを悔やみ続けるでしょう」 ぽたぽたと落ちていく涙は、彼の靴を濡らし、そして床を濡らしていった。その肩にそっと手を置いて、私は言った。 「大丈夫よ、私がいるわ」 「ううう……」 床に座り込んで、嗚咽混じりに「青年」は号泣した。 「私がこれからもずっと、この研究を見守っていくわ……ずっと」
遠い遠い昔、私は一度死んだのです。
「名医トニートニー・チョッパー」の手によって、私は生き返りました。 心と体の感覚だけは元のままで。
私は 『永遠に生き続ける体』を手に入れたのです。
「チョッパー! 頼む! ナミを救ってくれ!!」 そう言って私を担ぎ込んできたルフィ。 「でっ、でも……!」 おろおろしているチョッパーにウソップが怒鳴った。 「お前、医者だろ!? 医者ならなんとかしろ!!」 「だって……だっていいのか? そんなことをしたらナミは……」 「いいんだ!! 早くしろ!! ナミは絶対に死なせねえんだ!!!」 ルフィがチョッパーの胸ぐらを掴んで凄んだ。 「でも……でもっ……!」 震えだしたチョッパーの気持ちを察して、静かにゾロが言った。 「……あいつもきっと同じことを言うさ……」 「……わかった!」 チョッパーがごくん、と喉をならしてからうなづいた。
目が覚めたとき、私の体は18歳に戻っていました。 チョッパーの記憶の中でいちばん鮮明だった私の姿になっていました。 私は永遠に18歳のまま生き続けるのです。 みんなは夢を叶えたのに、私は夢を叶える前の姿に戻ってしまいました。
オールブルーから戻ってきたサンジ君はまず最初に私を抱きしめてくれました。 「怖かっただろ?」って。「そばにいてやれなくてごめんな」って言って。 サンジ君はとてもあたたかくて、感覚を残してくれたチョッパーに感謝しました。 正常な臓器と無感覚な体、もしくは、まったく機能しない臓器と正常な感覚。 とっさの判断でチョッパーは後者を選びました。
私は年を取りません。 だから、みんな私より先に死んでいきました。 他のみんなも私のように永遠に生き続けられなかったのかって?
……一番最初に死んだのがチョッパーだったのです。 そして、彼らもそれ以上生きることを望まなかったのです。
ゾロ、ルフィ、ウソップの順にみんなの最期を看取りました。みんな、与えられた命が尽きるまで一所懸命生きました。 悔いのない人生だった、と3人とも言いました。 「お前は大丈夫だよな、サンジがいるから」 ルフィの最期の言葉です。
私は子供が産めません。 それでもサンジ君は私を愛し続けてくれました。 毎日、毎日私を抱いてくれました。 やっぱり、感覚を残してくれたチョッパーに感謝しました。
「オレが死ぬ前に、ナミさんと同じ体にしてくれ」 まだチョッパーが生きている頃にサンジ君はそう頼みました。 そうしてチョッパーの新たな研究が始まりました。 すべてが正常に機能する体をつくること。
「オレがずっと、ナミさんのそばにいてあげるから」 サンジ君は言ってくれました。毎日、毎日。 年老いていくその顔に、何度も頬擦りしながら、私はうなづきました。
「……サンジ君」 「ん? ……ああ、ナミさん」 「あ、またタバコ吸ってる。自分の病気わかってんの?」 タバコの煙を揺らしながら、車椅子に座ったサンジ君がゆっくりと振り向いた。 「いいんだ。すぐに生まれ変われるから」 「……そうね」 近づいて、膝をついて目の高さを合わせ、骨と皮だけになった手を握った。 「明日なれば、19歳のサンジ君に会えるのね」 「……そうだよ」 弱々しく私の手を握り返してくれた、あたたかい手。 「また元気に動けるようになったら、やりたいこといっぱいあるなあ」 「たとえば?」 目じりに深いしわを刻んで、サンジ君はタバコをくわえたまま、昔と変わらない笑顔でニッと笑った。 「まず、ナミさんを抱くんだ」 「ばっか……80近いおじいさんの言うことじゃないわね」 「心はずっと19のままなんだよ」 そうしておでこをくっつけて二人で笑った。そのまま首に手を回して抱きついた。 「……大好き」 サンジ君は震える手で私を抱き返してくれた。 「オレも……」 外はもう真っ暗で、街灯の明かりだけがぼんやりと浮かび上がっていた。 まるであの暗い部屋の中のガラスケースのように。 「もっと……」 「ん?」 「もっと、ぎゅってして」 「……ああ」 タバコを窓辺の灰皿に置くと、サンジ君はある限りの力で私を抱きしめてくれた。 「バイバイ、サンジ君……またね」 「また会おう、ナミさん」 そうして、そっとあたたかいキスをした。
ずっとサンジ君と手をつないだまま、私も手術室へ入りました。 そこには2人のサンジ君が並んでいました。
「……本当にこれでよかったのですか?」 ゴム手袋をした「青年」が後ろから尋ねてきた。私は静かにうなづく。 「言ったでしょ? この研究は私が見守っていくって……ちゃんと
「青年」は2人のサンジ君を見下ろして言った。 「彼に……伝えなくていいんですか?」 「だって、サンジ君はサンジ君なんでしょ?」 「はい……彼の身体的能力や、思考、好みや行動パターンはすべて、今のまま引き継がれます」 座り込んで、年老いたサンジ君の顔を見つめた。子供のような寝顔はずっと変わらない。 「じゃあ、きっとまた私のこと、好きになってくれるよね?」 くっ、と涙をこらえる声がして、震えながら「青年」が言った。 「ええ……必ず!」
間に合わなかったのは、脳の完全移植でした。 チョッパーが一体どんな風に私の体を手術したのか、その答えはすでにあるのに、誰もそれを最後まで解読することはできませんでした。 サンジ君の皮膚、臓器、髪、爪、精子……少しずつ取りだして新しい体をつくっていきました。長い長い年月をかけて。 そこにいるのは、紛れもなく19歳のサンジ君です。 本当なら、ここでサンジ君の脳を取りだして、隣の体に移す。それだけでいいのに。 今は誰もそれができません。
「私たちが今作れるのは、胎児の脳が限界です」 サンジ君の命が残りわずかだとわかったときに「青年」にそう告げられました。 体は19歳の、赤ちゃん。 「彼の脳が年齢相応まで成長したとき、記憶が戻るかどうかは……そのときになってみないとわかりません」 完璧だと思ったのに。またひとつ欠けてしまいました。
「あなたももう、偉大な医者だわ。ね、
私がそう言って見上げると、「教授」は涙をボロボロと流しながら、何度もうなづいた。 「私も、死ぬまであなたたちを見守っていきますから……!」 そして「教授」は手術を始めた。
サンジ君の手は少しずつ冷たくなっていきました。 その後のことはほとんど覚えていません。 思い出すのは最後にぎゅっとしてくれたサンジ君のあたたかさだけ。 でも、大丈夫です。 私はひとりぼっちじゃありません。
「ナミさん……
部屋に入ると、ぼんやりと天井を眺めている19歳の赤ちゃん。 見るものすべてが新しく、きょろきょろと目を動かしている。 その瞳は澄みきっていて、まっすぐに私を映し出した。 そっと手を伸ばす。
その髪は、確かにサンジ君でした。 その手は、確かにサンジ君でした。 その温度は、確かにサンジ君でした。
「おはよう……サンジ君。また会えたね」 私がそう言って頬にキスをすると、19歳の赤ちゃんは無邪気な顔で笑った。
【 last hug 】 end
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