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最後の楽園 -last voyage- 2


SANJI × NAMI 



またナミさんはあの店に行く。少女の手は気持ちがいいと言う。オレがやってあげるのに、と言ったらナミさんは、オレのためにするんだと笑った。オレは少し火照った頬を風に当てるため、散歩に出ることにした。フロントの女性がくすっと笑って、これ以上キレイになってどうするのでしょうね、と言った。だからオレはもちろん大歓迎だ、と言い残して店を出た。
あの甘い花のオイルで磨かれたカラダは、オレの理性を麻痺させる。そしてオレはもうすっかりその虜になっている。

照りつける太陽は、火照った顔だけでなく全身を発熱させる。時々通り過ぎる無音の風が額をくすぐる。
まだ若い稲の緑色は、青空に浮き上がるほどに存在感があり、水田のあぜ道を歩けば、踏みつけられた草から青々とした香りが漂う。稲が等間隔に植えられた水田は天然の鏡。青空と、そこを流れていく真っ白な雲を映し出す。
小川の流れにそって水田の中を歩いていくと、木陰でタバコをふかしている男が一人。オレもその傍らに腰掛けて、タバコをくわえた。
「火、もらっていいか?」
そう言うと、男は無言のままマッチを擦ってオレのタバコに火を点けた。
しばらくの間、互いに前を向いたまま、タバコの煙を風に流す。煙は水田の鏡の中を流れる白い雲に同化していく。今この場所で、時間の流れを教えるものはそれだけ。

「あんたは旅行者か?」
オレが二本目のタバコに火を点けるとき、男はようやく口を開いた。
「ああ」
「ひとりか?」
「いや、連れがいる」
「女か?」
「ああ」
「大切な女か?」
「……ああ」
「そうか」
矢継ぎ早の質問の後、男はまた黙り込んだ。オレは自分で三本目のタバコに火を点けた。
「あんたはこの島にずっと住んでいるのか?」
そう男に尋ねると、男は初めて口元をゆるめた。
「オレは昔、海賊だったんだ。世界中の海を旅して故郷のこの島に戻ってきた」
「へえ、奇遇だな。オレも海賊だ。いや……海賊、だった」
過去形に言い直した瞬間、何かものすごく大きなものがオレの中で動いたような気がした。
「もう海へは?」
同志とわかって、男の表情は少し軟らかくなっていた。オレは静かに首を振った。
「オレたちも今、帰る途中なんだ」
「そうか」
男は納得したように数回うなづくと、真剣な目をしてまっすぐにオレを見た。その瞳の奥には、かつて海賊だったというその男の強い意志がしっかりと宿っていた。
「だったら、できるだけ早くこの島を出た方がいい」
「ああ、そう長くいるつもりはねえよ」
オレがそう答えると、男はふっと笑って、何かあったらまたここに来いと言った。早く出ていけと言ったくせに、とオレも笑った。

すっかり時間を忘れて、店に戻ったころには太陽はすでに沈み、青い夜があたりを支配していた。入口の扉はすでに閉められていた。オレは乾いた砂を蹴り上げて急いでホテルに戻った。

深い青の闇の中に浮き上がるようなオレンジの髪。ナミさんはベッドの上で小さくうずくまっていた。ファンのカラカラという音だけが部屋の中を流れている。
「ナミさん……遅くなってごめん」
ベッドに腰をおろしてナミさんを見下ろしても、ナミさんは肩をすくめたまま動かなかった。そっと顔を近づけて、タトゥーにキスをすると、またあの甘い花の香りがふわりとオレの鼻孔をくすぐった。ナミさんはぴくっと動いて、そしてすぐに震えだした。
「……バカ……!」
「ごめん、ナミさん……」
オレもベッドに横たわり、ナミさんを後ろから抱きしめてその首もとに唇を当てた。ナミさんの髪がオレの顔にかかると、花の香りが強くなった。それを大きく吸い込むと、頭の奥の方がクラッとした。
「ひとりにしないでよ……!」
震えながらそう言ったナミさんを自分の方に向かせて、そしてキスをする。
「しない……絶対にしねえから……」
髪を撫でて、額にキスをして、ぎゅっと抱きしめた。そのまま静かに夜を過ごしたい。そんなオレの気持ちとは分離したところで、すでに理性を失ったオレがナミさんの服をはぎ取っている。
「サンジ君……!」
オレの顔を両手で抱え込んで、ナミさんは深いキスを求めてくる。ナミさんの息にすらあの甘い香りが含まれていて、オレはその官能的な鎖でがんじがらめにされる。
オレはひたすらナミさんを抱く。野放しにされた獣のように。獲物をさんざんいたぶったあとに喉元に噛みついて、一息で殺してしまうような、そんな獣のように。
達した瞬間にハッと我に返る。そして、目の前で意識を失っているナミさんの汗を舐め取っていく。今度は、生まれたての子供を慈しむ動物のように。丁寧に、丁寧に舐めていく。

オレは狂い始めている。そう気づくのに時間はかからなかった。そしてその理由も。

この花の香りは強すぎる。強すぎるんだ。

そして狂っているのは、きっとオレだけじゃない。



* * *


「このベッド……軋むね」
「もっといい部屋を選べばよかったのに」
「だって……」
「いいよ、わかってる」
「……うん」
「わかってるから……」
そう言ってオレはナミさんの唇をそっと覆う。
オレの体の動きと、ナミさんの搾り出すような声と、ベッドの軋み。それらは熱帯の蒸し暑い空気に溶けていく。
汗で滑りながら擦れ合う体の感触が、けだるい闇にオレたちを引きずりこむ。

オレたちが宿泊しているホテルは広大な敷地を擁して、傾斜面に沿って小さな家のような部屋が並んでいる。部屋どうしの距離は広く、そこには川が流れ、涼を取るための休憩所があり、そして鮮やかな色の花が咲き誇っている。斜面を降りたあたりの2階建ての竹作りのバンガローの一室、それは明らかにこのホテルができたばかりの頃に建てられたであろう古い面持ち。日当たりもそれほど良くはない。ここに来てから半月が経とうとしたころ、部屋を変えたいと言ったナミさんはこのバンガローを選んだ。ナミさんはそこがいいと言った。その部屋じゃなきゃいやだとまで言った。

オレは知っている。

ベランダに侵入してきたあの甘い花の木。空を見上げるバンブーチェアの上に躊躇なくその花びらを散らす。ナミさんはそれを見つけた。あの甘い香りにいつも包まれることのできる、この部屋を。
寝ても覚めてもその香りは漂ってきて、オレの思考回路を麻痺させる。いや、オレよりもむしろナミさんを。
満たされない目をして何度も何度も求めてくる。それはまるで何かを忘れようと、いや思い出さないようにするために。
「サンジ君……もっと抱いて」
そう言ってオレを引き寄せる。もちろんオレはそれに応えるが、頭のどこかで違和感を感じている。感じながらも、オレの理性はカラダから分離していく。
「はっ……はぁ……」
途切れ途切れに吐き出されるナミさんの声。それはどこか遠くで響いている。覚醒しているオレはずっと上の方からオレとナミさんが交わっている姿を見下ろしている。オレの背中と、その体の下から覗くナミさんの顔。ナミさんにはオレの姿が見えるのか、オレの目を見ながら恍惚の表情であえいでいる。

ナミさんはオレを見ている。オレはここ、、にいる。

じゃあ、ナミさんを抱いているそいつは誰だ?

目覚めるとあの花の香りが漂う。すでに正常な感覚を失っているオレとナミさんは、薄暗闇の中で抱き合う。
「サンジ君、大丈夫?……私、行ってくるね」
ベッドに顔をうずめているオレの耳元でそう囁いて、ナミさんは部屋を出ていく。オレにはナミさんの腕を掴んで引き止める力さえ残っていない。
ナミさんはあの店に行き、オレは動けないまま、部屋でじっとナミさんを待つ。

オレと一緒にいない時間が増えても、ナミさんはもう震えたりしない。

ひとりにしないでくれ。今度はオレがそう心の中で思いながらナミさんを待つ。

さらに甘い香りを増した空気をまといながらナミさんが戻ってくると、オレは甘い蜜に誘われてフラフラと飛んでいく蝶のように、なけなしの力を振り絞ってナミさんを抱く。疲れ果てて、ナミさんを腕に抱きとめて眠ることすらできなくなっていく。目が覚めるたびに、目の前のナミさんはどんどんキレイになっている。だからオレはたまらなくなってまたナミさんを抱く。
ただ、そんなことを繰り返すだけの日々。

この甘い花の香りの中で、オレは少しずつ自分の意識を失っていく。オレはただ、ナミさんを抱くためだけにここにいる。けだるいまどろみの中であの店のフロントの女性が言った言葉を思い出す。

男性の精気を得ることによって美しくなれば、神に見初められる、と。

ああ、オレの精気はナミさんに奪われている。ナミさんはキレイになっていく。

オレが空っぽになったその時にナミさんは神のもとへといざなわれる。きっとそうなんだ。

くだらねえ島の言い伝えかもしれない。ただ、オレの中で確実に感じている。

ナミさんは連れて行かれる。

「……神だぁ?……」

四肢に力を込めて起きあがる。フラフラとベランダに出て、バンブーチェアに腰掛けて見上げると、あの花の木はどんどん侵入してきている。ざわざわと風に揺れ、白い花を惜しげもなく落とし続ける。まるでそれがオレをあざ笑うかのように乾いた音を立てる。その一つを拾い上げて、オレは口に入れた。花弁を噛むと、苦みと渋みが口の中に広がった。つぶれた花をペッと吐き出して、口を拭う。タバコに火を点けて、もう一度見上げる。

「……上等じゃねえか」

オレからナミさんを奪おうって? やれるもんならやってみろ。




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