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trance or ecstasy 5


MARCO × ACE



「マルコ」

名前を呼ばれて振り向くと、それは”マルコ”違いだということに気付いた。
視線の先のテーブルには、山のように積み上がった皿。それを押しやるように頬杖をつき、つまみのナッツを手の平に載せてエースが呼んだのは、鳥のマルコの方だった。
「グエッ!」
相変わらず間抜けな声で鳴き、青い鳥はエースの手からナッツをひとつ咥えた。
「……?」
現地の言葉で鳥に話しかけると、エースはくしゃりと表情を緩め、黄色いトサカに鼻をすり寄せる。すると、青い鳥もそれに応えるように、愛おしそうに顔を寄せるのだ。何度も、何度も。
それはまるで相思相愛の恋人同士のようで、オレは思わず目を反らしてグラスの中の液体を一気に喉に流し込んだ。
熱の塊が喉を通過していくと、何かもやもやしたモノが腹の底に押し戻されたような気がした。

「嫉妬しますよね?」

カウンターに空のグラスを置いたまま、オレが一瞬固まってしまったのを、この女店主は気付いただろうか。
「……何がだよい?」
どぼどぼと注がれる琥珀色のアルコール。グラスが満たされるのをじっと見つめた後、ようやく視線を上げると、マキノはオレに向かって笑いかけた。それはどの客にも平等に向けられる笑顔だった。
「だって、エースとあの鳥ったら、なんだか恋人同士みたいで」
オレが思ったのと同じ言葉を使い、マキノは少し目を細めてエースを眺めていた。
「エースにとってあの子は特別ですから」
「特別」という言葉に、オレの眉がぴくりと動いた。正直、その言葉はあまり好きじゃねェ。オレの中では未だに特別というのは「異質」を意味するのだ。
「……なんであの鳥は、あんなにエースに懐いてるんだよい?」
「命の恩人だからでしょうね」
「恩人?」
するとマキノは静かにうなずいて、もう一度笑った。今度は、含みのある笑顔で。
「一か月くらい前に、あの子が浜辺で死にかけていたのをエースが見つけて連れてきたんです」

スコールが去った後の砂浜。濡れそぼった青い鳥は、瀕死の状態で波に揺られていたのだという。
透明な海水を赤く染めながら、助けを請うように、鳥はそのくちばしを微かに動かしていた。
「鷹にでも襲われたんでしょうね。傷は深くて、みんなもう助からないと言ったんですが……」
それは、自然界の無情のルール。弱い者は常に強い者の餌食になる。
「でも、エースは絶対に助けるんだって聞かなくて。鳥を布でくるんで抱き抱えて、一晩中暖めてあげていたんです」
翌日に獣医に診せても、やはり時間の問題だと言われたらしいが、それでもエースは鳥の側から片時も離れずにその体を暖め、木の実をすりつぶして口移しで食べさせ、ずっと言葉をかけ続けた。
「こいつは生きたいって言ってる、だから死なせる訳にはいかないんだ、って。このお店の隅っこでずっとあの子を見守っていました。それが通じたんでしょうか……十日ほど経った頃にようやくあの子も歩けるようになって、エサも自分で食べられるまでに回復したんですよ。本当に、私たちも驚きました」
淡々と語るマキノの口調は、よりその時の状況を鮮明に想像させる。オレの頭の中には、震える青い鳥を慈しむように包み込んで、穏やかに見つめているエースの姿がしっかりと描かれていた。
「でも、どうしてエースはそうまでしてあの鳥を……?」
カウンターから振り返ると、やはりエースは青い鳥にぴったりと額を寄せて、愛おしそうに笑っている。
それを見て、何故か胸が苦しくなった。

「特別」というのは、あんな風に誰かの愛情を独占できることを言うのだろうか?
もしかするとオレは、何か大きな勘違いをしていたのかもしれない。

それなら……。

「……魂の叫びとでも言うんでしょうか。そういうのが、聞こえるみたいですよ」

その声にハッとして向き直ると、マキノはどこか悟ったような、不思議な微笑みでオレを見つめていた。
「魂の叫び?」
「ええ、ご存知と思いますが、この島は”神々の住む島”と呼ばれています。生活の中にはいつも神様が存在していて、ここで生活していると、何となくそういうものを感じることができるんです。こういう話、信じますか?」
急に肩をすくめて首を傾げられると、とても首を横に振るわけにはいかなかったが、それでもどこか半信半疑のままオレは話の続きに耳を傾けた。
「エースは小さい頃からそういう声が聞こえるみたいです。だから、昔は海を怖がっていたようですよ」
「海を怖がる? どういう意味だよい?」
「この島の信仰では、山は神様の住む場所、海は死者の還る場所と言われていますから」
背筋がゾクリとすると同時に、初めてエースと出会った時のことを思い出した。
海の中から現れた少年は、圧倒的な生命力を放っていて、そして何故か消えそうに儚く見えた。
それはきっと、オレがずっと昔に感じたあの感覚と似ていたのだと、今になって気付く。

「死」の直前に湧き上がる、「生」への強い執着−−

「魂の叫び、ねェ……」
「あの子が必死で生きたいって叫んでいる声が聞こえて、きっと放って置けなかったんでしょうね、エースは。死には人一倍敏感ですから……」
そう言って、マキノはまた目を細めてエースを見つめた。その視線の先では、青い鳥とじゃれ合っている黒髪の少年。
やはり、それは一枚の絵のように美しく、誰にも邪魔できないひとつの完成された世界を作り上げていた。

「それにしてもあんた、赤髪がいねェとよくしゃべるんだな」
「だって、日本人のお客さんは久しぶりだから。私もたまには日本語で話したいんですよ」
「へェ……じゃあ、ちょっと聞きてェことが」
口を開きかけた時、ふわりとあの甘い花の香りが流れてきた。すると、出てくるはずの言葉が喉の奥で消えてしまい、オレは何も言えなくなってしまった。

もしかしたら、この花の香りも「そういうもの」だったりするのだろうか。

少しずつわかってきたのは、この香りがするとエースが現れるということだ。何の根拠もなく、ただ経験から導き出した結論に過ぎないが。

「マルコ」

名前を呼ばれて振り返ると、やはりそこにはエースがいて、いつの間にかオレのすぐ側に立って笑っていた。
ゆるりとした笑顔と共に、花の香りがより一層甘みを増す。
ほら、やはりこの花の香りとエースの存在はオレの中でどこかリンクしている。
「何ですか?」
途中で止まったオレの質問を促すように、マキノが声をかけてきた。
「いや……また今度にするよい」
それが今日ここに来た目的だというのに、どこかでホッとしている自分に気付く。
また来る理由ができたからだろうか?
「マルコ、来て」
オレの腕を引いて、エースは次にニカッと歯を見せて笑う。
促されるままに店を出て、気がつけば真っ暗な森の中を歩いていた。
裸足で軽やかに前を進むエースに追いつこうと、オレも早足でけもの道の中へ入る。革靴ではどうしてもうまく歩けず、しょっちゅう草に足を取られたり、岩につまづいたりしていると、エースは数歩先で立ち止まり、オレに向かってすっと手を伸ばした。
差し出された手を素直に握った自分にも驚いたが、エースの手は熱く、まるで全身燃えているかのような体温だった。それが繋がった手を伝ってオレの体に流れ込んでくると、何か新しい命でも生まれたかのように心臓がどくんどくんと鳴り始めた。
「おい……一体どこまで行くんだよい?」
「もう少しだよ」
背丈よりも高い雑草をかき分け、背中を丸めて狭い岩の間を通り抜けると、ようやくその場所にたどり着いた。実際、ここがどこなのかオレには全くわからなかったが、PARTYS BARからはかなり遠く離れた場所らしい。
「見て、マルコ」
エースが指差した先に視線を向けると、ちょうど見下ろす位置に海が広がっていた。
ゆるく弧を描く水平線は、夜の空の色と混じり合ってその境界を曖昧にしている。空には点描を打ったかのような星が広がり、細い新月が書き損じのようにその中に紛れていた。
昼間のコバルトブルーはその色をひそめ、夜の海は目を凝らしてようやく青とわかるほどに深く静かな色をたたえている。
「へェ……きれいだな」
ぴんと張り詰めたような静寂は、どこか懐かしく、そして心を穏やかにしてくれる。汗ばんだ額を風が撫でていくと、ふっと肩の力が抜けるのを感じた。
「ここ、オレの好きな場所」
そう言ってエースは、さほど広くないスペースの、海がよく見渡せる際に座って両手を上に伸ばした。その動作に合わせて肩胛骨が現れると、背中の「神聖なるもの」は形を変えながらもしっかりと存在感を示している。
隣に座ってその黒髪を撫でてやると、エースは嬉しそうに笑ってオレの目を覗き込んでくる。
「マルコに見せたかったんだ」
やはり、その黒い瞳の奥には灯火のように光が揺れていて、複雑な表情のオレが映っていた。
「なんでオレに?」
尋ねると、エースはきょとんと目を丸くして、そしてすぐにふわりと笑った。

「マルコはいつも”なんで”って聞くんだな!」

その言葉があまりにも核心を突いていたせいか、心臓がありえない程の音を立てた。

「そりゃ……聞きたくもなるだろい。会って間もねェ相手の部屋に突然やって来たり、こんな場所に連れて行こうと思うなんざ、ただの好奇心や親切以外に何かあるんじゃねェかってなァ」
取り繕うように言葉が一気に口をついて流れ出す。別に、裏があるんじゃねェかとか、そういうつもりで言ったわけではなかった。しかしそんな勘ぐりもこの少年には全く伝わっていないようで、エースはただぽかんと口を開けたまま、オレの口元をじっと見つめているだけだった。
「へへ、ごめん……マルコの日本語、難しくてよくわかんねえや」
そう言って少し眉根を下げてエースは笑った。
「……悪かったよい。オレは偏屈なもんでね」
「へんくつって?」
「……まァ、いいよい」
「オレ、ニッポンジンなのに日本語へたくそで、ごめんな?」
少しもどかしそうに言って、エースは海へと向き直った。
そよそよと流れてくる風が気持ちいいのか、目を閉じ、空を見上げるように正面からそれを受けている姿は、やはり一枚の絵のようで、オレには手の届かない崇高なものに思えた。

「……何か聞こえるか?」
「ん?」
「海からの声が聞こえるんだろい?」
「ああ、聞こえるよ。いつもじゃねえけど」
さっきとはうって変わって自然な受け答えで、エースはひどく大人びた表情でオレを見た。
「今日は月が小さいから、聞こえねえ。月がでっかくなるとうるさいんだ」
満月に近づくと、死者が騒ぎ出すのだろうか。
「……なんで」
無意識にその言葉を口に出すと、エースはオレの顔を見て「ほらな」と少し意地悪く笑った。
「満月の日はよく聞こえる……Apa kabar? Saya kanget banget……Aku sayang kamu」
急にすらすらとエースの口から流れ出た言葉は、何かの歌のように空気を転がす。意味はわからなかったが、その音の柔らかさから、きっと誰かを思う気持ちを表す言葉なのだと思う。
「それは、まだ生きてる人間に向かって言ってるのかよい?」
「うん、変なのも聞こえるけど……えっと、日本語でなんて言うかわかんねえや。でも悪い言葉」
おそらくそれは、この世への恨みとか、怨念のようなものなのだろうか? いずれにせよ、それはこの島に住む者が感じる「そういうもの」の類だということはわかった。

「あのさ、マルコはシャンクスの友だちだろ?」

突然その名前が出て、思わず眉間にしわを寄せる。……誰が友だちだって?
「友だちじゃねェが、まァ、古い知り合いだな……」
何が違うんだ、とエースは首を傾げたが、オレにとっちゃ大きな違いがある。しかしそれを説明したところで通じないこともわかっていたので、適当にうなずいて誤魔化しておいた。
「昔ルフィが溺れて、シャンクスが助けて、それで腕がなくなったんだ」
淡々と告げられる事実は、あまりにも簡潔過ぎて、天気予報でも聞いているような気分になった。
「オレ、初めて日本語が聞こえた。”助けろ”って、男と女の声」
あのルフィというガキが海で溺れていることを、海からの声がエースに知らせたということなのだろうか?
「それで、オレはシャンクスに言って、一緒に海に行ったらルフィが流されててさ……」
「赤髪があのチビを助けたが、その時に腕をやられたって訳かよい?」
その続きを補足するように尋ねると、エースは静かにうなずいた。
「オレは、助けられなかった……海が怖くて、泳げなかったんだ」
後悔の念にかられているのか、エースは初めて影のある表情を見せて黙り込んだ。その髪にそっと指を通して何度も撫でてやると、少しくすぐったそうに目を閉じて身を委ねてくる。
「その、男と女ってのは、誰だったんだよい?」
オレの肩にもたれかかり、目を閉じたままエースは穏やかに笑った。
「たぶん、オレの父さんと母さんだ」
「……」

……エースには両親がいなかったのか。

冷静に考えてみれば、驚くことでもなかった。日本人なのにこんな暑い国の、さらに小さな島の、手つかずの山の中で暮らしているなんて、すでに親が死んでしまって誰かに引き取られたか、捨てられたかのどちらかだろう。
「それから父さんと母さんの声は聞いたのかよい?」
尋ねると、エースは力無く首を横に振った。
「その時だけだよ……今は聞こえない。オレが、ルフィを助けられなかったから、怒ってるんだ。だからもう、オレに話しかけてくれない……」
ふと見やると、鼻先にはエースの黒髪が風に揺れていた。しかしそれは今にも儚く消えそうで、輪郭が崩れていくように思えた。
「アホか」
そう言い捨てて、オレは目の前の黒髪をわしゃわしゃと掻き乱してやった。
「な、何だよ!?」
突然のことに驚いてエースは泣きそうな目でオレを睨みつける。
「そりゃ、逆だろい?」
「ぎゃく?」
「父さんと母さんは、お前のために教えてくれたんだ。赤髪の腕と引き替えに、チビの……ルフィの命は救われたってことだろい。それは、お前がちゃんとあの男にそれを伝えたからであって、もし何も言わなかったら、ルフィは死んでたってことなんだよい……オレの日本語、わかるか?」
ひどく戸惑った表情で、エースはじっとオレの目の中を覗き込んでいる。ゆらゆらと揺れている瞳の中の灯火は、今にも消えそうで、オレは思わずエースを引き寄せてぎゅっと抱きしめてやった。
「お前は大切な兄弟を失わずに済んだんだ……父さんと母さんに感謝しろよい」
思ったよりもエースの体は小さく感じられた。そして、やはり体温は燃えるように熱い。熱いのに、エースは小刻みに震えていた。

「オレ……いいんだよな?」

腕の中にいるのは、19歳の少年ではなく、ただの小さな子どもだった。
南の小さな島で育った黒髪の日本人は、自分が何者なのかも、その存在意義もわからずにずっと悩みながら生きてきたのだと思うと、胸が苦しくなった。そして、死を人一倍恐れているというその理由も。
瀕死の青い鳥に異常なほど執着したのは、昔あのガキを助けられなかった後悔からなのだろうか? 赤髪の失われた腕へのせめてもの償いのつもりなのだろうか? そうすることで、また両親の声が聞こえるようになるかもしれない、と思ったからなのだろうか?
欠落したものを多く抱えて生きているエースの姿は、どこか自分自身にも通じるものがあって、オレは何度も髪を撫でてやり、大丈夫だと何度も言ってやった。
「それに赤髪のアレはなァ、名誉の負傷だっててめェで言ってたんだ。気にするな」
「めいよのふしょう?」
わかるはずもねェだろうが、それ以上の説明も必要ないと思った。
「……まァ、何だ……誰もお前を悪いなんて思っちゃいねェってことだよい」
知り合ってまだ間もないオレがそんなことを言える義理でもなかったが、何か言葉をかけることでこの少年が救われるのなら、どれだけでもどんなことでも言ってやりたいと思った。たとえそれがどんなに理屈っぽい慰めの言葉だったとしても。

もしかしたらこの少年も、オレと同じように「生きている」という実感がないのかもしれない、と。そう思ったのだ。

エースはオレの胸に息を吹きかけるようにふふっと笑って、そして力強く腕を回してしがみつくと、オレの首もとで大きく息を吸った。
「マルコ、いいにおい」
「におい?」
この島に来てからコロンも面倒臭くてつけていなかったのだが。まだ香りが残っていたのだろうか? それとも、今日はタバコを山ほど吸ったから、その残り香のことだろうか?
「オレ、マルコが来るの、においでわかる」
「何だそりゃ……動物じゃあるめェし」
そうつぶやいてから、ふと思った。そのにおいはもしかして、オレがエースに出会う度に感じていた、あの甘い花の香りではないのかと。
「それは、どんなにおいだよい?」
「すげえいいにおい」
「……だろうよい」
ふう、とため息をついてそれ以上の説明を求めることをやめた。聞いても意味のないことだ。
「あのさ、マルコ……今度ここで、夕焼け、一緒に……見よう、な」
背中に回された手がゆっくりと力を失い、するりと落ちると同時にエースは眠りに落ちた。
すやすやと規則正しく刻まれる寝息は、一向に乱れる気配を見せず、オレはでかい図体の少年を抱きかかえたまま、少しずつ後ずさりをし、岩場にもたれてようやく脱力した。
見上げた夜空には、点描のような星がひしめき合っている。
胸の上で全体重を預けてくるエースの体温がどんどんオレの体に流れ込んでくると、指の先まで熱くなっているのがわかった。
海から流れてくる心地よい風がエースの黒髪を揺らし、太陽のにおいに混じって、あの甘い花の香りが鼻孔を突いた。
「……なんで、お前は……」

オレに会いに来た?
あの鳥にオレの名前をつけた?
オレを、この場所へ連れてきた?

”オレ、生きてていいんだよな?”

なんで、オレに尋ねた?

聞きたいことは山ほどある。知りたいことも。
それでも、きっとお前はただニカッと笑って何も答えてはくれないのだろうが。

「オレは偏屈なんで、理由ねェってことが不安でしょうがねェんだよい……わかるか?」

わからねェだろうな、と皮肉っぽくつぶやいて、苦笑した。
エースはそれでも肩を上下させながら深い眠りの中にいる。
「…… まったく、幸せそうな寝顔しやがって」
そして、柔らかい黒髪を何度も撫でながら、オレも目を閉じた。

体は、頭の天辺から足の先まで熱い。まるで、熱に浮かされているみたいだ。
そして、太陽のにおいと鼻先をくすぐる甘い花の香り。
重なり合った胸から、どくん、どくんと命を刻む音が体中に響き渡っている。

「……これが、”生きている”ってことなのかもしれねェなァ……」

独り言に返ってくるのは穏やかな寝息だけ。
そして、眠りに落ちる直前にひとつわかったことがある。

それは、「特別」という言葉の本当の意味だ。


* * *


「おや? 朝っぱらから誰かと思ったら、まさか空から登場とはなあ」
「うるせェよい、この万年酔っ払いが」

長い蔓を伝ってまっすぐに降りた場所は、PARTYS BAR。
どうやらオレたちは、店の真上に位置する崖の上にいたらしい。
朝、目を覚ますと、鼻先にはエースの顔があって、やはりオレの顔をじっと覗き込んでいた。
黒い瞳にはゆらゆらと揺れる炎のような光がひとつ、ふたつ。そして、寝起きで顔をしかめたオレの顔が映っていた。
「おはよ、マルコ! 帰ろうぜ!」
そう言ってエースはニカッと笑い、立ち上がるなりオレに長い蔓を投げた。
「マルコはそれ使えよ! じゃあな!」
次の瞬間には、エースは眼下の森に向かって飛んでいた。慌てて崖の際に走り見下ろすと、木々が大きく揺れ、エースの気配がどんどん遠ざかっていくのがわかり、オレは訳もわからず蔓につかまると崖から飛び降りて後を追いかけたのだ。

「それにしても、空からの使者は随分とボロボロで」
相変わらず酒臭い赤髪が、笑いをこらえながらオレの頭からつま先までを視線でなぞった。
「……あいつはとんでもねェ野生児だよい」
頭をがしがしとかくと、砂やら小さい木の枝やらがパラパラと落ちてきた。
「よく懐いてるじゃないか……どうやって手なずけたのかは知らないが」
「別に手なずけてなんか……」
やけにつっかかる言い方をされ、オレも少しムキになって言い返そうとした時。
「グエッ!」
そこへ、あの青い鳥が間抜けな声で鳴きながら飛んできて、オレの肩に優雅に降り立った。それを見て、赤髪はぶっと吹き出して笑い、人を指差しながら言った。
「まあ、エースがお前を気に入るのもわからないでもないな」
「……オレとこの鳥が似てるから、とか言うんじゃねェだろうな?」
「わかってるじゃないか」
「チッ!」
ばかばかしい。酔っ払いの相手をしているほどヒマじゃねェ。
大きなため息をついて赤髪に背を向けようとすると、背後からエースの声が聞こえた。

「マルコ!」

やはり、その瞬間に流れてくるのは、あの甘い花の香り。
オレが振り返るのと、青い鳥が「グエッ」と鳴くのはほぼ同時で。
そこには満面の笑みでエースが立っていた。
「……どっちのマルコだよい?」
思わず、青い鳥とオレは顔を見合わせて互いに首を傾げた。
エースは軽やかに走り出し、オレと青い鳥をまとめて抱きしめるように飛びついてきた。
「へへっ……ややこしいな!」
覚えたての言葉を嬉しそうに口に出して、絡みつけた腕に力を込める。そしてそこに答えはない。
オレの首もとに顔をうずめて大きく息を吸うと、エースは急に大人びた表情を見せた。
「やっぱり、マルコいいにおいだ。すげえ好き」
急に胸が苦しくなり、オレは思わず目を逸らした。その隙をついて鳥のマルコがエースの肩に飛び乗り、まるでオレに見せつけるかのようにその黄色いトサカをエースの頬にすり寄せた。
「はは、マルコくすぐってえよ」
目の前で恋人同士のようにじゃれあっている少年と青い鳥は、やはり完成された一枚の絵のようで。
オレは自虐の意味も込めて軽く笑った。

エースが青い鳥に注いでいる「特別」な感情と、オレに向けているそれは、似ているようで全く異なるものなのだ。
この島の海と同じ色、青い目をした日本人は、どこかこの青い鳥にも似ている。だから興味がある……エースにとっては所詮その程度だろう。自分と同じ、日本人の枠から外れた「異質」なモノだから、心を引かれただけ。

「なんで」と聞いて、もし答えが返ってくるのなら、きっとそういうことなのだろう。

「じゃあな、マルコ! また来てくれよな!」

そう言って、エースと青い鳥は軽やかにオレの元から去っていった。最後に、強烈な甘い花の香りを残して。

……この香りだ。

この花の香りが、オレの思考を麻痺させている。
特に、太陽のにおいと混じって鼻先をくすぐる時は、何か抗えない大きなうねりに巻き込まれていくような感覚があって、欲情にも似た熱いモノが体の中を駆け抜けていくのだ。
そして、頭の奥で警鐘が鳴る。

ここに長くいてはいけない。きっと、取り返しのつかないことになる−−と。

「……早く日本に帰った方がいいぞ?」

オレの心を読んだかのように、背後から赤髪がつぶやいた。
「……言われなくても、帰るよい」
振り返ると、思わず赤髪が無造作に羽織っているシャツの、腕の通されていない方に目が行ってしまった。
「ん? ああ、エースから聞いたのか? この腕を失った時のこと」
特にそれには返事をせず、黙ったままでいると、赤髪は腕のない方の左の肩を撫でながら、遠い目をして話し始めた。
「ここへ来た頃のオレは、今のお前みたいだったなあ……仕事のことしか考えてなくて、打算的で、冷めてて」
言われてみて、そうだったかと思い返してみても、もはやオレの記憶の中で赤髪はどこか掴めない性格で、しょっちゅう酔っ払っては人に絡んでくる男という印象しか残っていなかった。
「それでルフィやエースと出会って、森を自由に駆け回るあいつらを見て、”生きている”ってこういうことなのかもしれないと思ったなあ」

”生きている”という実感ーー

それは、オレがエースの側にいて感じたあの感覚と同じだろうか。

「まあでも、あの時はさすがに死を覚悟したよ。オレは死んでもルフィが助かってくれればいいって、本気で思った……でも、オレは助かった。その時に思ったよ。オレは生きているんじゃなくて”生かされている”んだってなあ」
「生かされている?」
予想外の言葉に思わず眉をひそめると、赤髪がすべてを悟ったかのような穏やかな表情で、オレの顔をじっと見つめた。
「はは、しゃべり過ぎたな……この島にいると、不思議な気分になるんだよ。神様だっけか? そんなもん、信じたこともないのに、本当にいるような気がしてくる」
「神なんざ、いるわけねェだろい」
そう言った自分の言葉には何の説得力もないような気がして。
「そう思っているうちに、この島から出た方がいい」
「……わかってるよい」

わかっている。頭ではとっくにわかっているのに。

すぐにまたオレは、何かに導かれるようにこの場所を訪れるのだろう。
そして、何ひとつ目的を達成できないまま、時間だけが過ぎていくのだ。

−−なんで?

その理由を確信する前に、オレはこの島を出なければならない。

「……オレは、暑い国が嫌いなんだからよい」

自分自身に言い聞かせるようにつぶやいて、PARTYS BARを後にした。
甘い花の香りはオレを引き留めるかのようにまとわりついてきて、そして何の前触れもなくふっと消えた。



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