PARTYS BARから山をひとつ越えた場所にある小さな村では、質素ながらも村人たちは穏やかに、笑顔を絶やさず暮らしていた。
道端には色鮮やかな花が風に揺れ、家の入口には花びらが撒かれている。そして、あちこちから香の煙が流れて来る。それを見ながら歩いていると、彼らの生活の中には、確かに「神」が存在しているのだと納得してしまう。
「Apa kabar?」(ごきげんいかが)
人に会う度にそう尋ねられ、オレは適当にうなずき、手で合図をしながら進んだ。
この村は、あの「儀式」が行われた場所だ。
目抜き通りを先に進んだ森の中に入れば、太陽神を祀った神殿が−−あの日、エースが立っていた神殿がある。
ぼんやりと遠くを見ながら歩いていると、通訳がオレの肩を軽く叩いて「こちらです」と言った。
そうだ、今日はこの村の首長に会いに来たのだ。
目的はただひとつ、あの土地の権利者の情報を得るため。
オレがこの島に残ったのはそのためで、それさえ済ませてしまえばいつでも日本に帰ることができる。
−−帰る?
急にその言葉に疑問を持ってしまった。
オレは、本当に日本に帰りたいのだろうか、と。
いや、違う。多分オレは、このやっかいな案件から早く解放されたいのだ。
そして、何の後ろめたさも感じることなく、あの少年に会いに行きたいのだろう。
会いに行って……?
それから、オレはどうしたいのだろうか。
「ここいら一帯の土地は、全部アウトルックさんのモンだからねえ」
ハッと我に返ると、すでに交渉の話し合いは始まっていた。
「アウトルック?」
「へえ、隣町の大きな屋敷に住んでいる大地主さんだよ」
村の首長は鼻の下にたくわえた白い髭を指で撫でながら、人の良さそうな笑顔をこちらに向ける。白い髭がオヤジに重なって、オレは訳もなく感傷的な気分になった。
これをホームシックと呼ぶのだろうか? こんなおっさんが年甲斐もなく?
またぼんやりとしかけて、慌てて会話に集中する。
「あそこの旦那は、リゾート開発には協力的でね。我々にとっても非常にありがたいお方です」
そのアウトルックという大地主は、土地を貸したり売ったりする時には、必ず地元民の雇用を条件に出すという。
その恩恵にあずかって、小さな村の働き盛りの男女は職にあぶれることなく、家族を養って暮らしていけるのだと、首長はそう言った。
「じゃあ、西のエリアだけ、ずっと手つかずなのはどうしてなんだよい?」
尋ねると、首長は急に頭を低くして声をひそめた。その動きで、いわゆる「やばい話」の類なのだと一瞬でわかった。
「20年ほど前に、あの土地にもリゾート開発の話が持ち上がっていたんですがね……どこかの金持ちが突然あの土地を買い占めて、開発の話も白紙に戻ってしまったんですよ」
「でも、それじゃ地元の人間だって黙っちゃいねェだろう? どう考えたって雇用を生み出すリゾート開発の方がいいに決まってるだろい」
「まあ、そこはアウトルックさんも金に目がくらんだというか……相当な額の金を積まれたって噂ですからねえ」
むこう数十年利益を生み出すリゾート開発と、土地の一括購入。ざっと頭の中で計算して両者天秤にかけても、それはかなりの金額なのだろうと思う。しかし、何故そうまでしてあの土地を?
「ところで、PARTYS BAR知ってるだろい。あの居酒屋はいつからあるんだよい?」
「どうだかねえ。10年以上前だとは思いますが、建物はそれよりずっと前からありますし……あそこの日本人の娘さんはよう気が利くいい子でねえ」
……オレが知りたいのはそんなことじゃねェんだよい。
思わず心の中で舌打ちをしてしまった。
広大な土地にたった一軒の居酒屋を造っただけで、その人物は一体何をしたかったのだろうか。
PARTYS BARの女店主マキノはどんなルートであの店を開いたのか。赤髪とはどういう関係なのか。
そして何より、エースとルフィは何故あの土地に住み着いているのか−−
登記簿を取り出して見せると、首長は目を細めて書類を見つめた。
「この権利者、どこにいるか知らねェか?」
「へえ……初めて見る名前で。心当たりはありませんな」
素っ気ない返事に眉間にしわを寄せる。今度こそはっきりと舌打ちをしそうになったその時、首長は思いがけない言葉を口に出した。
「あの土地を買ったのは、日本人と聞いていますんでねえ」
「……日本人?」
* * *
結局、話が前進したのか振り出しに戻ったのか、まったくわからなくなってしまった。
オレはすぐにそのアウトルックという大地主の元へ向かうことにした。
先の村よりも栄えた隣町の、高台に建つ大豪邸。成り上がった金持ちにはありがちな、センスの欠片もない派手な屋敷だった。
幸い、リゾート開発の交渉ごとには慣れているらしく、オレの突然の来訪にも快く応じてくれた。
タクシーを降り、椰子の木が連なるアプローチを歩いていると、背後から声が聞こえた。
「Don't you dare」(やめておけ)
どこかで聞いたことのある……。
振り返ると、椰子の木の幹から顔を覗かせ、こちらを睨んでいる短髪の少年がいた。
「お前……サボ?」
名前を呼ばれると、サボはそれを肯定するように眉間にしわを寄せ、何かに弾かれるように逃げて行った。
「何であいつがここに……?」
PARTYS BARに初めて向かった時もそうだった。目的の場所にたどり着く前にあの少年は現れて、オレを牽制した。しかし、それは逆に、そこに「何かある」と決定づける行動だということに、サボはきっと気付いていない。
あの時は、たどり着いた先にエースがいた。オレが会いたいと思っていた黒髪の少年に会うことができたのだ。
つまり今回も、この先に進めば、オレが知りたい情報があるということだろう。
サボはそこまで意図しているのだろうか? それとも、ただの嫌がらせなのか?
「……考え過ぎか」
たかだか19やそこらのガキにそこまで周到な真似ができる訳がねェ。
「ようこそ、日本の大企業のお方とお聞きしまして……リゾート開発にはぴったりの場所があるんですよ」
大地主アウトルックは、現れるなり饒舌に話し始めた。上等教育を受けているのだろう、通訳を介さずに英語で会話することができた。
島の東エリアの未開発地区をいくつも挙げ、必死に売り込んでくるのだが、どうにもいけすかない。
満面の笑顔を向けられても、この男は目が濁っているのだ。透明な水に墨汁を落としたかのように、その本性をごまかしている。
早い話、嫌いなタイプだ。しかし、それと同時に非常に扱いやすいタイプでもある。
「こちらも大規模な計画なんで、なかなか条件に合う土地が見つからなくてねェ……特に地元民の説得に難航しそうなんだが」
「それについてはご心配なく。ひとつ条件を飲んでくだされば、私が説得いたしますよ」
「あんたが? どうやって?」
アウトルックは、これまでの実績をひけらかさんばかりに胸を張り、口ひげを触りながら得意気に答えた。
「いやなに、開発エリアでの仕事を少し彼らに回していただければ……いえ、本当に雑用でいいんです。ゴミ処理とか、動物駆除とか……汚い仕事は全部彼らに任せて結構です」
よく動く口元を見ながら話を聞いていると、嫌悪感がさらに増すのがわかった。
つまり、地元民に何でもいいから仕事を与えておけば、彼らは反抗しない。平均的な給料に少し上乗せした分をマージンとしてアウトルックの懐へ。それで万事解決と言うのだ。
全く、知恵のあるヤツはどうしてこうも、あざとい方向にばかり頭が回るものなのか。
「しかし、不当な扱いを受けたと訴えるヤツも出てくるだろい? こちらは隙を突かれるような要素は作りたくないもんで」
「それは問題ありません」
長年の実績なのだろうか、その自信はどこから来るのかわからなかったが、アウトルックの目はますます濁って、オレの姿など全く映っていなかった。
「一人でも不満を漏らすような者がいれば、連帯責任として全員を解雇するという契約を最初に結ばせます。みんな養うべき家族があるわけですから、一人の暴走に巻き込まれるなんてまっぴらでしょう。それに、働き口を紹介した私の顔に泥を塗ったということで、村の首長が黙ってはいません。首謀者とその家族は村八分にされますよ。コミュニティの繋がりが強い島ですから、村八分になった人間はゴミ同然なんですよ」
アウトルックのことを「ありがたい方」と手放しで褒め称えていた村の首長の顔を思い出し、胸が痛んだ。
結局はてめェの私利私欲の為に、地元民を巻き込んでいるだけじゃねェかよい。
リゾートエリアで働いている地元民は、毎日どんな気持ちで職場へ向かい、どんな気持ちで不当な扱いに耐え、そしてどんな顔をして家族の元へ帰ってくるのだろうか。誰にも訴えることのできない行き場のない怒りを抱えて、神経をすり減らしながら生きているのだろう。
所詮、弱い者は強い者に利用され、そして淘汰される運命だ。
強い者だけが勝ち残る−−それは自然界も人間の世界も同じ。
「西のエリアの土地は、もう手に入れることはできねェのかよい? 何でも、リゾート開発の計画を白紙に戻してまで売り払ったと聞いたが」
すると、それまで下品な笑みを浮かべていたアウトルックの表情が一変した。
「旦那、どうしてその話を……?」
その問いには答えを返さず、オレは顔色ひとつ変えずに続けた。
「あの土地はもうあんたのモンじゃねェってことはわかっている。だから、ひとつだけ教えて欲しい……あの土地を買ったのは誰なのか」
「そ、それは……」
「細かいいきさつなんざ、どうでもいいんだよい。あんたがどれだけの金を積まれていようが、オレには関係ねェ。ただ、オレが知りたいのは、あの土地の今の所有者だ」
それさえ教えてくれれば、かなりの好条件で新たなリゾート開発を約束してもいい、とほのめかすと、アウトルックは欲をむき出しにしてオレに食いついてきた。
強欲な人間は、金さえちらつかせば容易に操れる。
「あの土地は日本の”オーロ・ジャクソン”という会社が20年前に買いたいと申し出て来まして……」
「オーロ・ジャクソン?」
意外な名前に、驚きよりも嫌な予感の方が先に走った。
オーロ・ジャクソンは、あの赤髪が所属する会社だ。不動産業界では最大手で、オレの所属する「WBエステート」と競合している。
なるほど、これで赤髪があの土地に出入りしている理由と繋がった。
「しかし、会社名義ではなく個人で……会長のゴール・D・ロジャー氏が……旦那もご存知かと思いますが」
「ロジャー……?」
まさか、その名前を日本から離れたこんな小さな島で聞くとは。
ゴール・D・ロジャーといえば、「不動産王」と呼ばれた男じゃねェか。
20年ほど前に病気で亡くなったはずだが、その個人資産については当時大きく報道されていた。オヤジとも懇意で、たまにうちの会社にやって来ては日中でもお構いなしに社長室で酒盛りをしていた。豪快でよく笑う男だったのを覚えている。
ロシアかどこかの所有地で、時価数千億円とも言われるダイヤモンドの鉱床が発見されたというニュースは、ロジャー亡き後に発表されたものだった。他にも、彼が世界各国で所有している不動産の資産価値はひとつの国家が作れそうなほど莫大なもので、世間ではロジャーは病死ではなく暗殺されたのだという都市伝説も流れたほどだった。
そして、その莫大な資産を誰が相続するのか、下世話なワイドショーがこぞって騒いでいたが、あいにくロジャーには家族がおらず、彼の資産は遺言通りすべてオーロ・ジャクソンが所有することになった。
やがて時と共に彼の名前は世間から消えていったが、この業界では伝説的な武勇伝を数々残した男として、未だに語り継がれている。
「……しかし、ロジャーの資産はすべて会社の所有になったと聞いたが?」
そう尋ねても、アウトルックは困って両手の平をオレに向けるだけで、とにかくあの土地を売って欲しいと言われたから売っただけなのだと言った。
この様子では、今の所有者の名前を見せたところでわからないだろう。そして、それはおそらく危険な行為だと直感で思った。
「なるほど、ありがとよい。それだけわかれば十分だ」
さっさと立ち上がり、オレは懐から札束を取りだしてテーブルの上に置いた。アウトルックは何度か遠慮するそぶりを見せたが、濁った目の奥がギラついていたのをオレは見逃さなかった。
「近々、うちの会社の者を寄こすから、リゾート開発の話は約束通り進めよう」
この男はオレが交渉するまでもない。誰か別の人間に任せて、後は勝手にやってもらうことにしよう。罪のない地元民がまた犠牲になるのだろうが、そんなことはオレの知ったことじゃねェ。
どうせろくに話も聞かずに、金に目がくらんで飛びつくんだろうからな。
それを、後から話が違うだの、騙されただの騒いだところでもう遅い。すべてはこの強欲な大地主の手の中で、いいように扱われている……彼の言葉を借りて言えば地元民なんざ「ゴミ」のようなものなのだから。
所詮、弱い者は強い者に……。
そう割り切って部屋を出ようとした時、オレはふとあることを思い出した。
「そういや、あんたの息子にサボってのはいるかい?」
すると、アウトルックはひどく嫌そうな顔をして、「サボが何かご迷惑を?」と言った。
「いや、別に……前に一度会ったことがあってよい。さっき玄関にいたもんで」
「まったく、アレは誰に似たのか、出来の悪い息子でしてねえ……私の跡を継がせたかったんですが、諦めましたよ」
その話しぶりから、この親子は長い間まともに顔を合わせず、会話もしていないのだとわかった。
「跡継ぎは他にいるのかよい?」
大して興味もなかったが、自分から振った話だったので、もう少しつき合ってやることにした。
「先日、島の外れの貿易商の三男坊を養子に取りましてね。これがまあ優秀な子で! これで由緒あるアウトルック家は安泰です」
……開いた口が塞がらなかった。
金と家柄のためなら、実の息子も見捨てる男なのか。完全に腐りきってるな。
「まあ、サボは今の大学を卒業させたら、私の口利きでどこかのリゾートエリアで働かせようと思っています。もちろん幹部としてね。そうすればサボも、自分の親がいかに偉大な仕事をしているのか身を以て理解するでしょう……旦那も日本のエリートだからおわかりでしょう? 実力だけでは成功できない、それなりの家柄と金とコネ……生まれ持ったアドバンテージがないと今の世の中はのし上がっていけないって」
濁った目はさらに淀んで、オレはそのドロドロした欲の色に吐き気すら覚えた。
もう、この男に会うこともないだろう。そう確信して、オレはドアに手をかけた。
「悪いが、オレは日本の小さな田舎町の、ごくごく普通の家で生まれたが、実力だけでここまでのし上がってきたんだよい」
怒りを隠さずにそう言うと、アウトルックは一瞬「しまった」という顔を見せてから、すぐにこわばった笑顔を作ってオレのご機嫌取りをした。
「旦那にはその日本人離れした”特別”な容姿があるじゃないですか! それも立派なアドバンテージでしょう?」
一瞬だけ、沈黙が流れると、オレはクックッと笑い出し、目を細めてアウトルックを見た。
「……そうだなァ」
「そ、そうでしょう? 旦那は生まれながらに人より優れた点を持ち合わせた、とっても幸せなお方なんですよ!」
もはやアウトルックの目の色は真っ黒で、オレは目を合わせることすらしたくなかった。
全身に鳥肌が立ち、怒りを抑えることに意識を集中させる。
ここまで人の神経を逆撫でできるのは、ある種ひとつの才能だろう。忘れかけていたコンプレックスが一気に蘇る。
この容姿を憎みこそすれ、感謝したことなど一度もない。
いつかこの男には一泡ふかせてやろう……ぐうの音も出ないほどに徹底的に。こいつよりもずっと用意周到に、よりあざとく、そして完璧に。オレにはそれができる。
なぜなら、オレは”特別”だから−−
ああ、腹の底から真っ黒いモンが上がってくるのがわかる。
そして今、オレは相当な悪人顔をしているに違いない。
結局、オレもあの大地主と同じじゃねェか。
他人をあざむいて、陥れることにしか頭を使うことができないのだから。
透明な水に落とされた墨汁はみるみるうちにすべてを濁らせていく。そして、二度と元に戻ることはない。
所詮オレも、濁った中で生きてきた人間だ。今さら、透明に戻れるわけもないのに。
そもそも、オレが透明な心を持っていた時なんて、あっただろうか−−
「マルコ!」
思いがけない声に振り向くと、アプローチ沿いの椰子の木からエースが飛び出して来た。
その瞬間、あの甘い花の香りが流れてくる。
「エース? なんでお前がここに……」
するとエースはニカッと笑い、オレの鼻先にまで顔を近づけてくる。
「マルコ、また”なんで”って言ったな!」
そう指摘されて、オレは無意識のうちにその言葉をこぼしていたことに気付いた。そして慌ててエースから目をそらす。
今の顔はエースに見られたくない。
頭で考えるよりも先に、体が反応して、オレはエースに背中を向けて自分の濁りきった表情を隠した。
「マルコ? なあマルコ! あのさ、今日……」
肩を掴んでぐいぐいと力任せにオレの体を揺らし、エースは何度もオレに呼びかけた。
視線の先では、椰子の木の陰からサボがこちらの様子をうかがっている。どこか不安げで、そして何かを期待した表情で。
「エース、悪いがオレは仕事中なんだよい」
エースの手をはたき落としたのは、無意識だった。
オレにはどうしてもサボに言ってやらなければならないことがあったから。
「Hey, you spoiled brat」(おい、クソガキ)
その言葉に反応して、サボは肩をすくめてオレを見た。
オレは感情のままに、サボを指差し、吐き捨てるように言った。
「家柄も金もコネもあるくせに、実力が足りなくて親に見放されるなんざ、みじめなモンだなァ……生まれ持ったアドバンテージも宝の持ち腐れだよい」
するとサボは顔を紅潮させ、何かを言おうとして、すぐに口をつぐんだ。どうやら、人並み以上に英語はわかるらしい。
「それともあの父親みてェになりたくなくて、わざとやってんのか? だとしたらそんなに馬鹿げた話はねェよい」
「あ、あんたに何がわかるんだよ……!」
ようやく絞り出した声は、かすれていたが、サボの目は怒りに満たされていた。オレはそこで不敵な笑いを浮かべ、腕を組み首を傾げた。
「オレは生まれつきこんな見た目なんでね、周りから好奇の目で見られるのを払拭するには、実力しかなかったんだよい。実力で、周りの連中を見返してきた」
「何が言いたいんだよ?」
すっかり警戒して、サボは一歩、また一歩と後ずさって行く。オレは距離を保とうと、一歩、また一歩と前に出る。
「オレもお前も立場は違うが、歪んだコンプレックスってェのはやっかいだ、って話だよい」
「は? 意味わかんねえし」
サボは完全に混乱しているようで、オレも何を言いたくて声をかけたのかを忘れてしまった。
急におかしくなって笑い出すと、サボはまた顔を紅潮させて「何がおかしいんだ」と言った。
「まァ、お前が何と戦っているのかは知らねェが……とにかく負けんじゃねェよい」
そう言って適当にまとめてサボの頭をぽんぽん、と軽く叩く。
「ああっ、もう! おっさんのせいでエースどっか行っちまっただろうが!」
「あァ?」
振り返ると、そこにはすでにエースの姿はなかった。
当然といえば当然か。邪険に扱ったのはオレだ。
そこで急に冷静になり、いたたまれない気持ちがふくらんできて、大きく舌打ちをした。
さっきまでオレを支配していた真っ黒な物は、きっと怒りによって触発されたコンプレックスだ。
所詮、弱い者は強い者にはかなわない。じゃあ、自分が強くなればいい。
ずっとそう思って生きてきたことを、何とかしてサボに伝えたかったのだ。
しかし、感情に任せただけのオレの言葉では、何も伝わっていないだろう。
「オレはなあ、わかってるんだよ! あんたが何の目的でエースに近づいたのか」
そう言い残して、サボは走り去って行った。
「……目的?」
やはり、サボの言動はオレにヒントを与える。
今日一日で明らかになった情報から、少しずつ見えてきた西のエリアのこと。
あの西のエリアは、20年前に日本人によって買い占められたということ。
そして、その日本人とは赤髪の所属するオーロ・ジャクソンの会長、今は亡き「不動産王」と呼ばれた男、ゴール・D・ロジャー。
しかし、現在の所有者は未だ不明で、しかしおそらくはこの島の人間なのだろう。
その所有者を見つけることが、オレの目的なのだ。
だから、その「目的」のためにオレがエースに近づいたのだと、サボがそう思ったのならば……。
「……まさかな」
一瞬考えて、すぐに打ち消した。
論理的に考えて導き出した結論には、いくつもの不確定要素があった。
それをひとつずつ潰すためには……。
オレは、エースに会いに行かなければならない。
果たして、あの少年が真実を知っているのかどうかもわからないのに。
そして、急に不安になる。
オレに背を向けられ、手をはたき落とされた後、エースはどんな顔をしていたのだろうかと。
オレは、自分のドロドロした感情にまかせて、エースを傷つけてしまったのではないだろうか、と。
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