パーフェクト・スター パーフェクト・スタイル 2
ZORO x NAMI
目を離すなと言われたところで、オレが学校でナミを見かけるのは、1日の中でも授業の合間の休み時間くらいだ。
オレは空き時間にはトレーニングルームにこもっているか、剣道場が空いていれば竹刀を振っている。
大切にしている竹刀は3本。
それぞれに思い入れがあり、気分によって持つ竹刀が変わるから、いつも3本持ち歩いている。
それをナミにいきなり爆笑されたというわけだ。
今日も汗だくのまま、3本の竹刀を持って校内を歩く。
大概の生徒は、オレを視線を合わせないように、距離を置いて通り過ぎていく。
「ねえ、先生って剣道バカ? いつも竹刀振ってて楽しい?」
「あァ?」
声の方向に視線だけ向けると、ナミが壁にもたれて立っていた。
どことなく気だるそうで、少し疲れているようにも見えた。
「剣道以外に興味ないの? バカみたい」
それは、いつもの挑発的な言葉には聞こえなかった。聞こえなかったが、何故かいつもより腹が立った。
「……お前には何か一つでも打ち込めるものがあんのか?」
その瞬間、ナミの頬が紅潮し、目に涙があふれた。
ナミが、
オレに対して完全に心を閉ざすのが、シャッターがゆっくり降りてくるのを見ているかのようにはっきりと感じ取れた。
オレは後悔したが、時すでに遅し、だ。
何も言葉を返すことなく、ナミはオレの脇を通り過ぎて、いつもの仲間の方へ歩いていった。
「ねえ、今日カラオケ行かない? え? テストなんて大丈夫だって! 行こうよ〜」
遠ざかる声を聞きながら、オレはいら立ちなのか後悔なのか、やり場のない感情を大きなため息に変えて吐き捨てた。
体育準備室に戻ると、西陽が差し込んでうだるような暑さになっていた。
冷蔵庫から缶ジュースを取り出し、一気に飲み干すと、感覚だけで缶をごみ箱の方へ投げた。
オレ一人しか使っていない部屋だから、さながら一人暮らしのアパートのようだ。
ごみ箱を外れた缶が、思いの外大きな音を立てて床を転がっていったが、オレは振り向きもせず、デスクの上の一枚の写真を見つめていた。
「……くいな、やっぱりオレは教師には向いてねェな」
写真の中で、オレは幼なじみのくいなと肩を組んで笑っている。
くいなが全日本女子剣道で3連覇したときだ。
「お前が生きていて、いま教師だったら、あいつに何て言った?」
他の生徒とは違う。
あいつだけ、どう扱っていいかわからねェ。
頭をがしがしとかいてみても、ただ自分の汗臭さにイライラするだけだった。
「あー! わかんねェ!」
声を張り上げて、古びたソファに勢いよく寝そべった。
その途端、デスクの上で携帯電話がブルブルと震えて動き回った。
見れば、滅多に電話なんてかけてこない、クソコックからだった。
「……何か用か?」
不機嫌極まりない声で電話に出ると、割れるような音の渦の中でコックが叫んでいた。
「おい! クソマリモ! すぐ来い!!」
「あァ? 何だ急に?」
「いいから早く来い! あの子、やべえぞ?」
あの子、と言われて一瞬で耳元から音が消えた。
「……ナミのことか?」
「名前は知んねえけど、とにかくあのオレンジの髪の子! こないだのやつらと一緒にカラオケ入ってったぞ?」
「……別にいいだろ、カラオケぐらい」
努めて興味のない振りをして、冷静に答えたつもりだったが、コックはものすごい剣幕で、もはや聞き取り不可能とも思える声で怒鳴った。
「ふざけんな! あいつら薬やってんぞ? 最近この辺で高校生引っかけてんの、何回も見てんだよ。オレは警察に通報するから、その前にてめェんとこの生徒何とかしろ!!」
電話が切れるか切れないかのうちに、オレは準備室を飛び出していた。
汗だくのTシャツが風で乾くかの速さで、駅前に向かって走った。
生徒を犯罪に巻き込むわけにはいかねェ。そういう気持ちが9割……いや8割だとすれば、
ナミの身に何かあろうもんなら、ガキだろうがなんだろうが、ぶっ飛ばしてやるという気持ちが残りを占めていた、かもしれねェ。
とにかく、オレは無我夢中で駅前に向かって走り、着く頃には、風で乾いたはずのTシャツは再び汗だくになっていた。
「おう、こっちだ!」
コックがカラオケ屋の前でオレを待っていた。
普段は憎らしいクソコックが、今だけは頼もしく見える。
「すいません、S高の教師ですが、うちの生徒が来ていると思うので、部屋を教えてもらえませんか? 緊急なんです」
大きく息を整えながら、カラオケ屋の店員に言うと、明らかにアルバイトであろうその店員は、「え〜?、他のお客さんのプライバシーとかあるんで〜」と、髪をいじっていた。
「だからうちの生徒が危険な目に……!」
「てゆーか、本当に先生なんですかあ〜?」
確かに、Tシャツにジャージ姿で飛び出して来たもんだから、教師であることを証明するものも何も持っていなかった。
店員からすれば、オレこそ危険な輩に見えるだろう。
しかし、そんな悠長なことは言ってられず、オレは勢いに任せてカウンターを叩きつけた。
「てめェじゃ話になんねェ!」
店員がビクッと身を縮めた隙を見て、勝手に店の中へ入って行った。
「ちょっとお客さ〜ん! 困りますぅ〜。オーナー呼びますよお〜」
「うるせェ! 呼びたきゃ呼びやがれ!」
片っ端から部屋のドアを開けていく。そのたびに、驚きやら悲鳴やらが聞こえたが、そんなことには構っていられなかった。
一番奥のドアを勢いよく開けると、そこはちょうど歌のサビにさしかかったところだったのか、タンバリンの音とともに大合唱の真っ最中だった。
「えっ?」
突然入ってきたオレの姿に、その部屋にいる全員が、ぽかんと口を開けて静止した。
流行の曲のカラオケだけが大音量で流れている。
「お前ら、すぐにここを出ろ!!」
一番近くにいた生徒の腕をつかむと、この間の気だるそうな男たちも一緒に立ち上がった。
「何だお前?」
「邪魔すんじゃねえぞ?」
詰め寄ってきたそいつらに、オレは極力冷静を装って言った。
「……うちの学校に警察から連絡があった。この店で薬売ってる奴がいるってな」
もちろん、でまかせだったが、男たちは一瞬で青ざめると、我先にと部屋を飛び出して行った。
「うそ? マジで? 先生」
残された女生徒たちが動揺しはじめた。
「とにかくまずはここを出るんだ」
ふらつく女生徒たちを誘導し、部屋の外へと促す。
そこで、初めてナミを見た。
ナミは、状況がつかめないまま、それでもこの異常な空気に、足が震えて立てずにいるようだった。
「……早く出るぞ」
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきた。
ナミはいまだ立ち上がれず、困惑の表情で凍り付いている。
オレはゆっくりとナミに歩み寄り、荒っぽく腕をつかんで立ち上がらせた。
ナミの震えがオレの手にも伝わってくる。
大丈夫か、とか。心配したぞ、とか。
かける言葉は山ほどあったはずなのに、何故かオレの口をついて出た言葉は、
「……面倒かけやがって」
フロントに戻ると、さっきの店員がオレを指さして、オーナーらしき男に耳打ちした。
しかし、すでにコックの根回しが行き届いていたのか、オーナーは、当店で警察沙汰にならなくてよかったです、と低姿勢で言った。
さっきのパトカーも結局は素通りしただけのようだった。
カラオケ屋を出ると、外はすっかり暗くなっていた。
生徒たちの前で大きくため息をついてから、説教モードのスイッチを入れる。
「お前らなあ! もうすぐテストだっつーのに、何遊んでんだ? しかも、初めて会ったようなやつらと一緒に……」
ひとしきり説教をしている間、生徒たちは全員おとなしくうつむいていた。
部屋に入ってきたときのオレの剣幕がすさまじかったせいか、誰もオレを目を合わせようとしない。
「……先生、あいつら薬やってんの?」
一人の生徒が震える声で聞いたが、オレは沈黙に答えをゆだねた。
「とにかく、何事もなくて本当によかった。今日の事は学校にも報告しねェから、もう帰れ」
そう言ったとたん、ナミ以外の生徒はその場から逃げるように去っていった。
ナミは、じっとうつむいたまま、まるで置物のように動かなかった。
「……お前も早く帰れ」
すると、オレから顔をそむけるように大きく体をひるがえして、ナミは繁華街の方へ歩き始めた。
「おい、ナミ。帰れっつってんだろうが」
数歩後ろからオレもついて行く。
「うるさい」
歩く勢いとは裏腹の、か細い声が返ってくる。
思いの外速いスピードで、ナミは人混みをかきわけてすたすたと歩いていく。
「家の人も心配してんだろ? 連絡入れといてやるから、帰れ。な?」
それを聞いたナミは、ぴたりと立ち止まり、勢いよく振り返って涙目で怒鳴った。
「余計なことしないでっ!」
そのまま近くのコンビニの前まで走っていき、座り込む始末だ。
ひざの中に顔を埋めたまま、ナミはまた動かなくなってしまった。
「おい……いい加減にしろよ」
「うるさい! 今日みんなを誘ったの、私よ。みんな乗り気じゃなかったのに、無理矢理連れて来たの」
「……あの男たちは?」
「カラオケ入るちょっと前に会って、前にもこの辺で声かけられたことあったし……どうせなら大人数の方が楽しいからって、私が誘ったの」
「お前なあ……」
大きなため息とともに、ひざの力が抜けて、オレも座り込んでしまった。
「オレが来なかったら、本当にどうなってたかわかんねェぞ?」
ナミは乱れた髪のまま顔を上げて、初めてオレと目を合わせて睨みつけた。
「何よ!? 先生なんてどうせ学校の体面しか気にしてないんでしょ? どうせ私たちのことなんて、何の目的もなく遊んでるやつらだと思ってるの、知ってるんだから!」
そう言われて、オレは何も言い返せなかった。
少なくとも、今日オレが言った言葉がナミを傷つけたこともわかっていたし、警察沙汰になったら面倒だと思ったのも事実だ。
「……お前らにもいろいろ事情があんだろうが、別に理由は聞かねェし、騒ぎに巻き込まれたら一番困るのは結局お前らなんだぞ?」
教師らしいもっともな言い分だ、と自分で言いながら思った。
「何? そのどっかのセリフみたいな言葉。ウザイ」
そう言ってふいと顔を背ける。オレも思わずイラっとして、また言ってはいけない事を言ってしまった。
「あーだからもう、お前らの理由がどうであれ、夜遊びされちゃこっちも困んだよ! わかったらさっさと帰れ!」
ナミも目を大きくして、オレをにらみ返す。
「何よ!? それでも教師? 私、絶対帰らないから!」
そう言って再び顔をうずめてだんまりを決めこんでしまった。
どのくらい時間が経ったのかわからねェ。
何度呼びかけても、ナミは全く返事をしなかった。
オレはナミの隣に座ったまま、なす術なくオレンジの髪を見つめている。
ナミにどんな事情があるのか。
前の学校で優秀だった生徒が、高校3年の夏にいきなり転校して、急に夜遊びを始めた。
そこに何も事情がないなんて誰も思っちゃいねェ。
むしろ、何か事情のある奴の方が大半で、それはナミに限った話ではないことも確かだ。
だから、ただの一介の体育教師が、ましてや担任でもねェ奴が寝掘り葉堀り聞いたところで、何の解決になる?
長い葛藤の末、がしがしと頭をかいた拍子に思わず言葉が出た。
「……これでも心配してんだぞ?」
ナミにはその言葉が聞こえたかどうか、まったく反応がないままずいぶんと長い時間が流れた。
コンビニに来る客が、オレたちをジロジロ見ては通り過ぎていく。
制服姿の高校生がうろつくには、すでに遅すぎる時間になっていた。
「……私、ちゃんと帰るから」
消えそうな声でそうつぶやくと、ナミはひざの中で何度か顔をぬぐうように動かした。
「でもまだ、帰る気分になれない……」
その言葉の意味が何なのか、オレにはわからなかったが、正直、この状況が大きく進展したことに胸をなで下ろしていた。
「何か飲むか?」
問いかけても返事がなかったが、オレは立ち上がってコンビニの中へ入った。
ふと、レジ前に並んだ花火を見つけた。
夏休み前だからか、売れ行きがよく、残り少なくなっていた。
それをひとつずつ、全部集めるとちょうど両手で抱えられるほどの量だった。
「おい」
いまだうずくまっているナミに声をかけると、ナミは今起きたかのように物憂げに頭を起こしてオレを見上げた。
目が赤くなっているのには気づかないフリをした。
「花火……買ってきた。これがなくなるまでだったら相手してやるから、終わったら帰れ。な?」
自分の中では努めて優しく言ったつもりだった。それが通じたのか、ナミも素直に「うん」とうなづいて、数時間ぶりに立ち上がった。
最後に花火をやったのは、いつだったろうか?
小さな手持ち花火に火を点けるとき、遠い記憶を探ってみたが、そこへたどり着くことはできなかった。
オレもナミもずっと無言だった。
花火のささやかな光が公園を一時明るくし、そして消えていく。
ときどきその横顔を盗み見ると、ナミも何かを思い出そうとしているのか、その表情は穏やかだった。
「私のお母さん、この間亡くなったんだ」
何の前触れもなく、ナミは話し始めた。
オレは視線だけナミの方に向けて、「そうか」と返した。
「うち、母子家庭でね。お母さんとお姉ちゃんと私と、3姉妹みたいな親子だってよく言われたんだ」
そしてナミは独り言のように話し続けた。
姉が遠くの大学に進学して、母親と二人になってすぐに、事故で母親が亡くなったこと。
ずっと疎遠だった父方の親戚に引き取られ、今の学校に転校してきたこと。
親戚とのコミュニケーションがうまく取れず、家にいても居心地が悪いこと。
気を紛らわすために、ノリのいい生徒たちとつるんでいたこと。
姉とメールをやりとりするときだけが、唯一心の安らぐ時間だということ。
「先生のことも、会ったその日にお姉ちゃんに報告したよ」
「あァ?」
「竹刀3本ぶら下げた時代錯誤な体育教師がいて、超ウケる、って」
そう言って、初めてナミは声を出して笑った。
「何とでも書けばいいだろ」
オレは立ち上がり、打ち上げ花火を一列に並べて火を点けた。
一気に吹き出す花火を見ているうちに、ふと思い出してしまった。
そういえば、最後に花火をしたのは、大学1年のちょうどこの時期だった。
確か、浴衣姿のくいなが隣にいて、道場の子どもたちを連れて川の土手に上がって……。
なんだ、そんなに大昔の話でもなかったのか。
すっと心の中に風が流れていくようだった。
今の自分と、あの頃の自分がつながったような気がして。
自然に言葉が流れ出た。
「オレも昔、大切な人を失った」
最後の花火の袋を開けようとしていたナミが手を止めて、オレの方を見た。
「……そんときはオレもしばらく立ち直ることができなかったし、今のお前以上に荒れた生活を送っていた。今思えば無駄な時間を過ごしたもんだと思うが、それでもオレには必要な時間だったと思う」
ナミは花火に火を点けて「そう」と返した。
小さな花火は白い光からピンク、緑へと色を変え、そして力なく消えていく。
「……教師になったのは、その人の意志を継ぎたかったからだ。そうじゃなけりゃ、オレは今頃、土方の力仕事でもしてただろうな」
自虐的に笑ってみたが、ナミは次々と花火に火を点け、じっと光だけを見つめていた。
「だから……お前の気持ちが分かるとまでは言わねェが……いつかお前にも自分の進むべき道っつーか、目指したいものが見つかると思う」
ナミが持っていた最後の花火が静かに終わった。
残った煙を見つめながら、ナミはゆっくりとオレの方を向き、そして穏やかに笑った。
「……ありがとう」
それは、今までの挑発的な顔ではなく、まったく背伸びをしていない、純粋な少女の微笑みだった。
オレは慌てて、花火の残骸をかき集めて袋に入れた。心臓が飛び出しそうなくらいにバクバクしている。
そんなことはナミは知る由もなく、オレの隣に来て一緒に花火を拾い始めた。
オレンジの髪が視界にちらちらと入るから、気持ちがかき乱されてなかなか落ち着かない。
「……で、今日も姉さんにメールすんのか?」
「ん? 今日は電話する」
「そ、そうか……」
「今日はいろんなことがありすぎたから、ゆっくり電話で話す」
タクシーを停めて、ナミを乗せると、オレは教師然とした態度で言った。
「ちゃんと家にも電話しとけよ?」
ドアを閉める前に、ナミは小さくうなづいて、そしてオレの目を見て笑った。
「お姉ちゃんに言っておくわ。今日は先生が初めて先生らしく見えたって」
「あァ? お前どういう意味……」
オレの言葉を遮るようにドアが閉まり、タクシーは無情にも暗闇に消えていった。
しばらくの間、タクシーの消えた先を見ていたが、ふいに笑いがこみ上げ、そして声を出して笑った。
「先生らしいってよ、このオレが……」
くいなが聞いたら、笑うだろうな。
そんなことを思いながら、足はバラティエに向かっていた。
あのクソコックに礼をいうつもりはねェが、あの店で一杯飲んでから帰ることにするか。
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