パーフェクト・スター パーフェクト・スタイル 4
ZORO x NAMI
新学期が始まっても、ナミは毎日のように体育準備室にやってきた。
クーラーがとっくに直っているはずの学習室に行けと言っても、ひとりで勉強できるこの空間を手放したくないだのと言って居座っている。
テーブルの上は、時計やら菓子箱やらなにやらですっかりナミの部屋のようになっていた。
「ったく、わけわかんねェモンばっかり置きやがって。なんだこれ?」
「あ、これは私のお気に入りのチョコレートなんだ。中にオレンジピールが入ってるの」
「あァ? みかんの皮か」
「先生も食べる?」
「オレは甘いモンは食わねェ」
「ふーん」
部屋に入って軽く会話を交わすと、すぐにナミは静かに勉強を始める。
そしてオレは部活に行くために部屋を出る。
「行ってらっしゃい」
ナミはいつも振り向かずに言う。
「……ああ」
オレはいつも何て返せばいいのかわからないまま、力任せに扉を閉める。
9月の半ばに、夏の暑さがぶり返したような日が何日か続いた。
部活を終えて汗だくになったオレは、準備室に入るなり道着の上着を脱ぎ捨てた。
「えっ…ちょっと…」
タオルで頭を拭きながら声の方へ視線をやると、普段ならとっくに帰っているはずのナミがまだ残っていて、参考書で半分顔を隠していた。
「何だ、まだいたのか。早く帰れ」
「うん……」
ナミは参考書の影から目をそらすことなく、じっとオレの方を見ていた。
タオルを投げ捨て、置いてあったTシャツを頭からかぶったとき、ちょうど窓ガラスに映った自分の体に気づいた。
ああ……この傷か。
左肩から大きく斜めに走った縫い傷。
ナミはこれを見て驚いたのだろう。
「……ひとの体をジロジロ見るな」
「その傷……どうしたの?」
どう答えたものか、少し迷ったが、「軽い事故だ」と言ってそれ以上は何も言わなかった。
ナミは慌てて参考書をバッグに入れ、珍しく礼をして無言で出て行った。
食べかけのチョコレートがテーブルに置き去りにされていた。
* * *
全日本の本戦を控えたオレは、学校が中間テストの間、公休を取ることにした。
鷹の目道場で集中稽古をするためだ。鷹の目はオレが最も尊敬する剣道の名手で、めったに弟子を取らないことでも有名なのだが、1年かけて必死で頼み込んでようやく稽古をつけてもらえることになった。
体育準備室のデスクには、休み前に提出するための書類やら何やらがうず高く積み上がっていて、部屋の中はそれこそ試験前の大学生のアパートのように散らかっていた。
山のような書類を右へ左へと処理しながら、ふと手を止め、透明のシートとデスクの間に挟まれた、くいなの写真を取り出した。
これも持って行くか……
それはオレにとってお守りみたいなもんで、試合の時には必ず道着に入れていた。
全日本の予選のときも、もちろん持って行った。
まあ、予選突破は当然のことだが、今年こそは日本一を獲りたい。それが、くいなとの約束でもある。
しばらく写真を見ていたが、背後のナミの気配が全くといっていいほど感じられず、不思議に思って振り返ると、ソファの背もたれからいつもは見えるはずのオレンジの頭が消えていた。
「おい、ナミ?」
立ち上がってソファの正面に回り込むと、ナミは読みかけの参考書を床に落として崩れるように眠っていた。
テスト勉強で根を詰めすぎたのだろうか。熟睡しているようだった。
相変わらず短いスカートから、はちきれそうな足が飛び出している。はちきれそうなという表現が正しいかどうかは別として。
目のやり場に困ったオレは、未使用のバスタオルを袋から出し、ナミにかけてやった。
言い方は悪いが、動いていないおとなしいナミを見るのは初めてだった。
悪趣味と言われても仕方ないが、ナミの顔をまじまじと見ると、初めて会った時の印象と同じ、完璧だった。
左右均等のバランスで配置された目と、長いまつげ。鼻筋から口元はガキのくせにやたらと色気が漂っている。
肌もはちきれそうにパンパンで、指で突いたらパチンとはじけるんじゃないかと思ってしまう。
そのまま吸い込まれそうな気がして、慌てて現実の世界に戻る。
「……ダメだダメだ。変な気分になっちまう……」
立ち上がり、空気を入れ換えようと、窓を開けた。すると、冷たい風が容赦なく吹きこんで、デスクの上の書類を巻き込んで部屋の中をかき回した。
「うわっ!!」
「きゃっ! 何っ!?」
突然降ってきた紙の雨に、ナミも驚いて目を覚ましてしまった。
急いで窓を閉め、書類をかき集める。
「ちょっと先生、何やってんのよ」
「悪りィ、窓を開けたら、風で書類が飛んじまった」
「もう、せっかく気持ちよく寝てたのに〜。大事な書類はこうやって、飛ばないようにしておいてよ」
そう言って、ナミは拾い集めた書類に片っ端から参考書を乗せていった。
オレは取り急ぎ必要な書類を探し出し、書き損じがないかをチェックしながらファイルケースに入れていった。
「先生、私もう帰る」
「おう、気をつけて帰れ」
書類に気を取られていたオレは、ほぼ無意識で返事をしたので、ナミが帰ったことにもしばらく気がつかなかった。
書類の文字が読みづらくなって初めて、部屋の中を見回した。暗闇の中に散乱した白い紙がぼんやりと見える。
部屋の電気をつけ、片っ端から落ちた書類を集めていると、ふと思い出した。
そういえば、写真はどこへ行った?
あの風で部屋のどこかに飛ばされてしまったらしい。
書類は後回しで、まずは写真を探すことにした。デスクの影、ソファの下をのぞき、テーブルの上に目をやると、写真はよく目立つ場所に置いてあった。
オレとくいなが笑いながら肩を組んでいる写真。
写真は風で飛ばないように、チョコレートの箱で押さえられている。
ちょうど、くいなの顔が隠れるように置かれたそれは、ナミがよく食べているみかんの皮が入ったやつだった。
* * *
山ごもりのような稽古を終え、言葉通り「下界」へ下りてくると、ちょうどロビンが海外から帰ってくるというので、久々にみんなでバラティエに集まることになった。
ロビンは大学の講師で、考古学を専門にしている。最短で博士号を取り、その道では有名な雑誌なんかにも論文を発表している。
最近は海外の学会にひっぱりだこで、日本にいることの方が少ない。
かなり年上だが、オレたちは大学時代にひょんなことでロビンと知り合い、それ以来よく会っては飲んでいる。
ひょんなことというのは、オレたちの仲間のルフィという男がいるのだが、まあ話すと長くなるのでやめておくことにする。
「おい、クソマリモ。ロビンちゃんを駅まで迎えに行ってくれねぇか?」
「あァ? てめェが行きゃいいだろうが」
「オレはいま忙しいんだよっ! じゃなきゃてめェなんかに頼むか!」
バラティエは満席で、普段は余裕のあるコックもさすがにオーダーをこなすだけでテンパっている。
「そんなに遠くねェんだし、歩いて来れるだろうが」
「夜にレディの一人歩きなんかさせられるかっ!」
ったく、駅からバラティエまで10分もかからねェというのに。
がしがしと頭をかいて、店を出る。街を流れる風は秋の湿度を含んでひんやりとしていた。
ちょうど帰宅時間で混み合う駅の改札口に立っていると、この季節には少し薄着すぎる格好のロビンが異質なオーラをまとって現れた。
周囲の人も、なにか神々しいものでも見るかのように口を開けている。
「ごめんなさい、わざわざ迎えに来てくれなくてもよかったのに」
「クソコックが女の一人歩きは危険だってよ。つーか寒いだろ、それ」
はおっていたジャケットを脱いで無造作にロビンの前に突き出すと、ロビンはゆるやかに笑ってそれを肩にかけた。
バラティエまでの短い距離をいざ歩き始めようとしたとき、ロビンが大きくふらつき、オレの腕につかまった。
「ごめんなさい。来る前にちょっとだけ大使館のパーティーに顔を出してきたから…」
「大使館だァ? オレたちには縁のない世界だな」
少し強い酒を飲んだのか、ハイヒールの足元はおぼつかず、ロビンはオレの腕につかまったまま歩き出す。
やたらと危なっかしいので、オレもロビンの肩に手を回してしっかりと支えた。
「……やきもち焼きのルフィが見たら、殺されそうだ」
「ふふ、ごめんなさいね」
「あいつには会ったのか?」
「ええ、ドバイのトランジットで数時間だけ」
「財閥の跡取りも忙しいんだな」
そんな会話を交わしながら、ひとときの恋人役は終わった。
ロビンが先にバラティエに入ると、クソコックがくるくる回りながら出迎えた。
ウソップはまだ来ないのかと、ふと通りに目を向けると、思いがけない人物が立っていた。
「……ナミ?」
心臓が大きく脈打ち、一瞬苦しくなった。
ナミは無表情のまま、ぼんやりとこっちを見て立っている。
「何してんだ? こんな時間に」
「今日……ノジコが来るから……迎えに」
「そうか」
しばしの沈黙。それでもナミはオレを見ている。
またバラティエに来るつもりなのだろうか。
コックは泣いて喜ぶだろうが、いつも体育準備室で会ってることがバレようもんなら、オレはまたこの間のように味のしない酒を飲むことになる。それだけは遠慮したい。危うきにはナントカだ。
「……混んでるみてェだから、今日はこの店やめた方がいいぞ」
「そ、そう……」
くるりときびすを返して、ナミは駅に向かって歩き出す。
「ああ、姉さんによろしくな」
オレの言葉を背中で受けて、ナミは振り返らずにうなづいた。
ほどなくしてウソップが店にやってくると、コックがとっておきのワインを開けて乾杯をした。
「ゾロ、さっきあの子見たぞ。ほら、ナミだっけ? オレンジの髪の。美人の姉さんも一緒だったぞ」
コックがすっとんきょうな声をあげ、ロビンは「誰のこと?」と笑った。
「あァ、オレもさっきそこで会った」
「なにい〜!? 何で店まで連れてこなかったんだよ?」
「こんなところにまで生徒が来たら、オレの気が休まらねェだろうが」
「てめェのリラックスタイムなんざどうでもいいんだよ! ナミさんと、ノジコお姉さまと、ロビンちゃんがそろったら、それはそれは天国だったに違いねぇのに」
「あら、私だけじゃご不満かしら?」
ロビンが皮肉っぽくワインのグラスを差し出す。
ウソップがそっとオレを小突いて耳打ちした。
「なんか様子が変だったぞ?」
「あァ? 何が」
「あの子、泣いてたぞ」
その言葉の意味がよくわからず、オレは「そうか」としか言えなかった。
さっき会ったときは特に変わった様子もなかった。
久々に姉と会って、感情が高ぶったんだろうか。
何も思い当たるフシがなかったが、少し心に引っかかった。
しかしそれも、酒の量が増えると共にに頭の片隅から消えていった。
* * *
10月も下旬にさしかかり、いよいよ全日本の本戦が近づいてきた。
大会は11月3日、日本武道館。稽古にも気合いが入る。
気持ちがすべて試合に向いていたオレは、授業の時間以外はほとんど道場に詰めていた。
鬼気迫るものがあったのだろう。剣道部の生徒たちもオレのとばっちりから逃げるように、遠巻きに練習していた。
体育準備室に向かう頃にはすでに学校には人気がなく、静まりかえった部屋に入ると、ナミがいた形跡を見つける。
テーブルの上のチョコレートの箱だったり、ごみ箱の中のダイエットコーラの缶だったり。
そこでようやく、ずいぶん長い間あのオレンジの髪を見ていないことに気づいた。
試合を数日後に控えたある日、踏み込み足に違和感を感じて見てみると、小指の爪が割れて血が出ていた。
縁起でもねェ、と思いながら止血のため、部活の途中に準備室に戻ってくると、ナミはいつもの場所でチョコレートをかじりながら勉強していた。
「先生、久しぶりー」
「おう」
軽く返事をして、救急箱を取り出す。
処置をしている背後で、ナミが少しはしゃいだ声で話し始めた。
「私、黒髪にしよっかなー」
「あァ? なんだいきなり」
「ほら、だって黒髪って大人っぽいし、ちょっとミステリアスな感じもあるでしょ?」
「受験前にあんまり目立つことすんな」
思いの他テーピングがうまくいかず、何度もやり直しているうちに、ナミの話も適当に聞き流していた。
「だってオレンジの髪だと、軽そうに見られるんだもの。受験で面接があったら、絶対黒い髪の方が印象いいでしょ?」
ようやくテーピングを終え、勢いよく立ち上がり、面と竹刀をひっつかんで部屋の扉を勢いよく開けた。
そういや何か話の途中だったな、と思い出して、去り際にこう言った。
「……そのうちオレンジの髪がいいって奴が現れるんじゃねェか?」
それを言ったことすら、正直オレは覚えていなかった。
そしてオレは、全日本であっけなく優勝してしまった。
天皇杯を受け取るときに初めて実感がわき、客席にいるくいなの父親と視線を合わせて何度もうなづいた。
ひとつ、約束を果たした達成感と、くいなの3連覇に追いつくための新たな使命感に、恥ずかしながら涙が出た。
正直、まわりの音なんて何も聞こえていなかったし、その場にいたことも夢の中の出来事のようだった。
それでも、学校に行くとオレはスター扱いで、わざわざ全校集会を開いて、校長が誇らしげにオレの名を呼んだ。
地元の新聞社とかがやってきて、連日慌ただしかったが、そんな物珍しい事もひとしきり通り過ぎれば、何事もなかったようにいつもの日常が戻ってきた。
そのときになってようやく、ナミが来なくなっていたことに気がついた。
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