パーフェクト・スター パーフェクト・スタイル 9
ZORO x NAMI
卒業式が終わったその夜、オレはナミを学校に呼び出す。
しばらく他愛もない会話をしながら、西の空がよく見える場所で待つ。
ウソップ専用の携帯着信音が数回鳴る。鳴り終わったのを確認してから、オレは心を決めてナミに気持ちを伝える。
その直後、西の空が明るくなり、1発の打ち上げ花火が真円を描き、そしてゆっくりと消えていく。
「言っただろ? オレは約束を守るって」
そしてナミはオレの腕に飛び込み、二人はしっかりと気持ちを確かめ合う。
……というのが、ウソップのシナリオだが、果たして本当にうまく行くのだろうか?
オレは覚えの悪い頭で毎日シミュレーションを繰り返していたが、
こともあろうにその問題が発覚したのは、卒業式を明日に控えた夜のことだった。
「ゾロ、困ったことになった……」
オレを呼び出したウソップが神妙な顔つきで言った。
「頼んでた花火屋が、急に大口の仕事が入ったからって、こっちを断ってきたんだ」
「は!? 何だそれ。この間は大丈夫だって言ってたじゃねェか」
「向こうも少ない人数でやってるからな。だからこの際、その大口の方でお前の分も一緒に打ち上げてもらうってのはどうかな」
顔を寄せてひそひそと話しているオレとウソップを、コックは怪訝そうな顔で見ていたが、会話には入ってこなかった。
いくらなんでもあんまりな話だ。
そりゃあ、百発上げて何百万何千万の稼ぎに比べりゃオレの尺玉1発数万円なんてゴミみたいなもんかもしれねェが。
それでもこっちは、一世一代の大勝負をかけるつもりなんだぞ?
「オレがギリギリまで説得して何とか花火屋を連れて行くから、お前は予定通りナミを呼び出すんだ」
絶対に打ち上げてやるから、とウソップは胸を叩いた。
つまりこれは、花火なんかに頼るなってことか。
帰り道を照らす満点の星を見上げながら、手を伸ばしてみた。
指の間から見えるあの明るい星は、逃げようともせず、まばたきのようにちらちらと光を揺らしていた。
「明日もきっと晴れるな……」
手を閉じてみようと思ったが、なぜかためらいオレは腕をおろした。
明日、どれだけ言葉に詰まっても、どんなに不格好でも、オレは自分の気持ちをナミに伝えよう。
花火なんざ、その後いつでも上げられるだろう。
* * *
卒業式はまさかの雨だった。
昨日の星空はいったいなんだったんだと思うほど、空は暗く重かった。
剣道部では卒業生に最後の朝稽古をつけるのが毎年恒例になっている。
武道館から体育準備室に戻りスーツに着替え、ネクタイを締めた。
まるで泣いているような空を見て、思わずため息が出る。
なんとか夜までには止んでくれよ。
制服姿の生徒たちは廊下で楽しそうに話している。
オレがスーツを着ているのが珍しいのか、やたらとひやかされた。
体育館に入ると、卒業生の家族がぞくぞくと集まっていた。
その中に、見覚えのある人物がいた。ナミの姉さんだ。
少し寒そうに、コートの胸元を片手でぎゅっと握っている。
オレに気づくと、にっこり笑って何か言った。口の動きは「ナミ、合格」と見えた。
口角を上げて少しひきつった笑顔を作り、オレも軽く会釈した。
あの姉はオレとナミのことを全部知っているんだな、と今更ながら確信した。
卒業式が始まると、オレは体育館を抜け、学校の見回りをした。
ときどき、下級生からのお礼参りでボコボコにされる卒業生がいるからだ。
普段人気のない校舎裏から男子便所までひとつずつ確認していると、遠く体育館から合唱の声が漏れ聞こえてきた。
ナミと出会った日のことを思い出す。
オレンジの髪がやたらとまぶしくて、世の中にはこんな完璧な女がいるもんなのか、と思った。
それが人を見ていきなり爆笑して、口を開けば反抗的で挑発的で。
なんて女だ、と思ったのを覚えている。
今思えば、オレはあの瞬間からナミに惚れちまってたんだろう。
* * *
気がつけば雨はあがり、校門の前はたくさんの人でごった返していた。
オレはというと、剣道部の連中と別れの挨拶をしたり、話したこともない女生徒から一緒に写真を撮ってくれと頼まれたりで、なかなかナミを見つけることができなかった。
「先生、一緒に写真撮ろうよ」
肩を叩かれて振り向くと、数人の生徒がデジカメを手に持って笑っていた。そしてその中にナミもいた。
ナミが転校してきたばかりのころ、よく一緒につるんでいたやつらだ。
「何か見たことある顔ぶれだな。お前らどうせこの後カラオケ行くんだろ? ハメ外し過ぎんなよ?」
笑いながらそう忠告すると、ふいにナミと目が合った。
ナミは何事もなかったように、ふふと笑う。女のこういうところがちょっと怖い。
ふと見ると、ナミのスカートは初めて会ったころと同じくらいに短くなっていた。
「……お前なあ、最後にそうくるか? 今までさんざん注意しただろうが」
「いいじゃない、今日で制服も最後なんだし。刺激の少ないおっさんへのサービスだっていってるでしょ?」
「おっさんおっさん言うな」
時間が一気に逆戻りしたような感覚があった。
まるで二人の間には何も起こらなかったかのように、そこにいるのは教師のオレと、生徒のナミだった。
「先生、私と2ショットで写真撮ろう」
ナミが携帯を取り出し、大きく掲げたそのとき、
「先生、私、受かった」
それは暗号のように、耳元でささやかれた。
その瞬間、パシャリと携帯のカメラが音を立て、ナミは画面を見てわらった。
「先生、変な顔〜」
そう言って携帯をオレに見せてきた。
オレは画面など見る余裕もなく、「夜、学校に来い」とナミにだけ聞こえるように伝えるだけで精一杯だった。
それだけで喉がカラカラになり、手の平は汗だくになった。
* * *
「悪い! 今なんとか説得してるから、もうちょっと待ってくれ!」
電話の向こうにいるウソップは本当に申し訳なさそうな声で、きっと宙に向かって頭を下げているんだろうとわかるほどだった。
「いや、もういいんだ、ウソップ」
雨が上がっても夜の空は重く、星は見えなかった。
「自分で何とかするさ。悪かったな、いろいろ。本当にありがとな」
その返事を聞かずにオレは電話を切った。
夜の学校は冷たく息をひそめ、そのまま闇に飲まれて消えてしまいそうなほど静まりかえっていた。
暗いグラウンドの隅に座っていると、手が震えているのがわかった。
寒さのせいだろう、とダウンジャケットのポケットに手を入れる。
右のポケットからは、くいなの写真。左のポケットからは、ナミからもらったチョコレートの箱が出てきた。
「くいな……オレは今、心臓が爆発して死んでしまいそうだ」
写真の中のくいなはただ笑っているだけで、何も答えてはくれなかった。
目をこらして写真を見つめていると、不思議と心が落ち着いてくる。
チョコレートの箱でくいなだけ隠してみる。写真のオレは、自分でも驚くほどの笑顔だった。
オレは思わず吹き出し、写真をそっとしまった。
少し残ったチョコレートをひとつ口に入れると、やはりうまいとは思えなかった。
「先生」
声のする方に振り返ると、いつの間にかそこにナミが立っていた。
この瞬間こそ、オレは死んでしまうんじゃねェか、と覚悟するほど心臓が大きく波打った。
白い息を吐きながら近づいてくるナミのオレンジの髪は、暗闇に浮き上がるように映えていた。
コートの下からひざ丈のスカートが見え、足元はもこもこのブーツで覆われていて、肌が見えているのは顔と手ぐらいだった。
「……もう制服じゃないんだな」
思わず口にすると、ナミは「今日ちゃんと見納めしたでしょ?」と笑ってオレの隣に座った。
しばらくの間、二人とも何も話さなかった。
ナミは両手に息を吹きかけて、寒そうにつま先で不規則に地面を叩いている。
「……で、花火は?」
「あ? あァ……花火な……えー……」
何と言えばいいのやら。花火は上がるかもしれないし、上がらないかもしれないとでも?
そんな曖昧なことを言っても通用しねェな。
「悪い……無理だった」
「え?」
ナミはきょとんとして、次の言葉を待っていた。
オレは腹を決めて、大きく息を吸った。ここは100%オレが悪いことにしておこう。
「あんな高けェもん、オレみたいな一般人に買えるわけがねェだろうが」
そしてオレはあちこちかけずり回って集めてきた、季節外れの花火セットを抱えてナミに見せた。
「これで……何とかなんねェか?」
状況が飲み込めていないのか、ナミは何も言わずに袋詰めの花火とオレを交互に見ていた。
「……この時期によく花火売ってたね。何軒回ったの?」
「思い当たるところは全部……」
「ふーん」
そのままナミはうつむき、黙り込んでしまった。
自分に否があるとわかっている以上、オレからは何も言えなかった。
こんなんじゃ、気持ちを伝えるどころか幻滅されて終わりだな、とやけに冷静に思っているもうひとりの自分がいる。
「イヤなら……やめるか」
何故そんな言葉が出たのか、自分でもわからなかったが、オレは大きなため息とともにそう言っていた。
「イヤだなんて言ってないでしょ」
ナミは少し怒りのこもった声で、表情を変えずに言った。
「でも怒ってんだろうが」
「怒ってない」
訳がわからず、頭をがしがしとかくと、ナミはそれすらも腹立たしいと言わんばかりにまくし立てた。
「サンジ君の言ったとおり、先生って本当に脳みそ筋肉でできてるのね。何でそんなに鈍いのよ?」
「あァ? 何でそこにあのグルマユの名前が出てくんだよ? つーかどう見ても怒ってんだろ、お前」
「怒ってないっ!」
ナミはそう言って、オレから花火の袋を奪った。
「わざわざ買ってきてくれたんでしょ……私のために」
最初に点けた花火から白い炎が飛び出すと、それまで険しかったナミの顔がふと和らぐのがわかった。
……そういや、いつだったかこの横顔を見たことがあったな
オレも花火を手に取り、火を点けた。
小さな花火は白い光からピンク、緑へと色を変えていく。
花火のささやかな光が、だだっ広いグラウンドの片隅を一時明るくしては消えていった。
「……夏にこうやって花火をしたときは、正直どうしたもんかと思ってた」
「え?」
ナミの花火が不意打ちのようにオレに向かって吹き出した。
慌てて「あっち向けろ」と言うと、ナミは大きな口を開けて笑った。
わざとだな、と横目で見ながら、オレもナミの隣に座り込む。
「……先生は私のこと、何の目的も持たずに遊んでるやつだって思ってたんでしょ」
少しずつ、花火のほのかな温かさが二人の空気を和ませる。
「まァ、服装は乱れてるわ、言うことは聞かねェわ。あげく帰りたくねェだの……ちょっとおとなしくなったかと思えば、準備室に押しかけてくるわ、かと思えば急に来なくなるし、こっちは振り回されっぱなしだ」
ひとつ、またひとつと花火は力尽きて消えていく。その度に新しい花火に火を点ける。
「問題児だった? 私」
ナミが消えた花火の先に残った火だねをくるくると回しながら言った。炎の残像が何かの文字のように見えた。
「……オレにとっちゃ一番手のかかる生徒だったな」
いろんな意味で、と心の中で付け足した。
この花火が消えたら、気持ちを伝えよう。
次の花火が終わったら……
そう思いながら、焦るように花火に点火していくうちに、残りはわずかになっていた。
「……大学、どこなんだ?」
「……東京」
「東京か……」
この町から東京まで、電車なら2時間ほどで行ける。九州じゃなくてよかった、と内心ホッとしていた。
「そういや、ちゃんと言ってなかったが……」
ちょうど、ナミが持っていた花火が消え、急にあたりが静かになった。
ナミの手元から、白い煙をひきずった花火の残骸がぽろりと落ちた。
最後の花火を手に取ると、急に手の先が冷たくなり、背中が硬くなるのがわかった。
気持ちを伝えるなら、今しかない。
オレはナミの目をしっかりと見て、花火をぎゅっと握った。
「大学、受かってよかったな」
「え?」
ナミは瞬きをすることなく、じっとオレを見ていた。
きっと、次の言葉を待っている。それは鈍いオレにも痛いほどわかっている。
右のポケットに手を入れて、くいなの写真に触れる。
日本一になったときのように、オレに力を貸してくれ、と心の中で祈った。
神頼みならぬ「くいな頼み」ってところか。
「なんだ……やっぱりそう来るんだ」
ナミは急に立ち上がって、オレに背中を向けた。
「せ、先生って、本当にただの熱血教師だったんだ……ダメな子は放っておけないタイプってやつ?」
言っている意味がわからず、オレも立ち上がってナミの顔をのぞき込んだ。
「お前……何泣いてんだ?」
ナミは両手で何度も顔をこすりながら、うつむいていた。
「手のかかる生徒がちゃんと真面目になって大学に合格して……これで安心した?」
オレは、ナミが一体何を言っているのかわからず、ただぽかんと口を開けたまま、立ち尽くしてしまった。
「先生ってほんっっっとに鈍い!」
ナミはせきを切ったように言葉を吐き出す。
「先生と一緒にいたくて準備室に押しかけてたの、何で気づかないかなあ……バラティエにいるときだって、いつ先生が来るかってドキドキして、でもいつも来なくて……」
思考回路がようやく動きだし、その言葉のひとつひとつをつなぐまで、かなりの時間を要した。
その間もナミは話し続けるから、オレの頭はさらに混乱した。
「今日だって、花火なんてどうでもよかった。約束なんてどうでもいい……私はただ、先生に会いたかっただけなのに……」
顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら、ナミは肩を大きく上下させていた。
ここまで言われて、ようやく気が付いた。
今更ながら、自分がこれほどまで鈍い男だったかと思い知らされ、オレは自己嫌悪に陥った。
「先生に、会えなくなるのがいやだ……もう先生に会えなくなる……」
泣きじゃくるナミはあまりにも小さく見えて、そして今にもオレの前から消えてしまいそうだった。
暗闇の中に浮き上がるオレンジの髪。それに向かって重い腕を伸ばし、そしてオレは力任せにナミを引き寄せた。
その瞬間もスローモーションのようにゆっくりと見えた。
ナミの髪がふわりと浮き上がって、涙が丸い粒になって飛び散ったような気がした。
次に気づいたときには、ナミはしっかりとオレの腕の中にいた。
ナミの体の柔らかさとか、髪のにおいとか、初めて知る感覚にオレは力の加減がわからず、何かにしがみつくように力を込めた。
「オレが……オレがお前に会いに行くから。だからもう先生って呼ぶな」
腕の中で、ナミは凍り付いたように一瞬動きを止めた。
「せんせー……?」
「だから」
先生って呼ぶな、と言おうとしたが、オレは肝心なことをまだ言っていないことに気がついた。
心臓が爆発しそうだ。
ああ、オレは死ぬ。きっとこれで死ぬな。
でもきっと三途の川でくいなに追い返されるだろうな。
などと、頭の片隅でくだらねェことを思いながら、大きく息を吸った。
「オレはお前が好きだ、ナミ」
* * *
それからどのくらい時間が経ったのか、自分でもよくわからない。
オレにとってリアルなものは、腕の中にいるナミだけで、手を離した瞬間に夢から目が覚めるような気がした。
きっとナミもそう思っていたんだろう。
オレたちはただずっと、お互いの体をつかむように抱き合っていた。長い、長い時間をかけてこれが現実だと信じられるまで。
いつの間にか閉じていた目を開けて、ふと空を見ると、あれだけ厚く重く広がっていた雲が、ちぎられたように空に散乱していた。
そしてその隙間から、星空がのぞいていた。
その中でいっとう強く輝く星が、ちょうどオレの目の前に現れた。
そっと手を伸ばして、指の間に光る星を、オレは今度こそしっかりとつかんだ。
やっとつかまえた
はしごを登り続けた男の話が本当にあるならば、オレはその結末を書き換えよう。
男は、ついに長年思いを馳せていたあこがれの星にたどり着いた。
その日から、男の姿を見た者はひとりもいなかった。残されたはしごは、風に吹かれて崩れ落ちた。
時を同じくして、空で一番強く輝いている星の側に、小さな星が生まれた。
はかなく光るその星は、隣にある完璧に輝く星と寄り添い合うように、いつまでも輝き続けた。
「……そんなガラじゃねェのにな」
と、自虐的につぶやいてみた。
その途端、携帯が鳴り出した。着信音はもちろん、ウソップ専用のものだ。
ついに来たか。つーか遅せェよ。
お前のシナリオは全く役に立たなかったぞ、ウソップ。
心の中で散々毒づきながらも、オレはようやくナミから体を離した。
お互いに、うまく顔を見ることが出来なかったので、オレはそうそうに視線をそらして、西の空を指さした。
「……あっち見てろ」
オレの指を追いかけるように、ナミはその方角に顔を向ける。
ぼさぼさの髪の間から、ナミの赤くなった目が見えた。
西の空をするすると一筋の光が龍のように上っていく。
そして次の瞬間には空が明るくなり、1発の打ち上げ花火が真円を描き、そしてゆっくりと消えていった。
後から追いかけてきた低い音が、腹の底に響いた。
光が消えて、しばらく経ってようやくナミは視線をオレに向けた。
「言っただろ? オレは約束を守るって」
少しひきつったが、オレは口元を持ち上げて笑って見せた。
散々ひっくり返されたが、ここだけは何とかシナリオ通りにできた。
ナミはまたボロボロと涙をこぼして、ぐしゃぐしゃの顔で「せんせー」と言った。
「だからお前、先生って……」
ナミの顔にかかるオレンジの髪を取り払おうと手を伸ばしたとき、西の空が再び明るくなった。
「なんだこりゃ……?」
見ると、さっきオレの花火が上がった場所で、何十もの打ち上げ花火が連発されていた。
それは花火大会のフィナーレがずっと続いているかのような勢いで、次々と打ち上げられていく。
思わず、ナミと顔を見合わせた。
「これも、先生なの?」
「んなわけねェだろうが」
花火は勢いがとどまるどころか、どんどん大きな尺玉が開いて空は昼間のようになっていた。
正直、心の隅っこの方で「まさかな」と思ったは思ったが、今のオレにはそれはあまりにも些細なことで。
「それよりなあ、先生って呼ぶのやめろって」
オレンジの髪を丁寧に分けてやると、ナミは少し戸惑ったように視線を泳がせる。
「ゾロ、でいい」
ナミは一瞬うつむいて、また涙が落ちそうなくらいに潤んだ目でオレを見上げた。
「……ゾロ……」
その一言は体の隅々までゆきわたって、オレの中を温かいもので満たすには十分過ぎた。
つまり、オレは感動していた。
「……それでいい」
半ば強引に両手でナミの顔を引き寄せて、その唇を奪った。
ナミは突然のことに驚いて、ガチガチに体をこわばらせたが、すぐに力を抜いてすべてを委ねてきた。
視界の隅ではずっと明るい光がはじけて、花火を打ち上げる低い音が残響を残していたが、結局最後の花火が終わって、再び暗闇が戻っても、オレたちは西の空を見ることはなかった。
* * *
「……そういうことになった」
ナミを連れてバラティエに行くと、ウソップが飛び上がって喜び、コックは肩をがっくりと落とした。
「ナミさぁ〜ん、この鈍感マリモに愛想が尽きたら、いつでもオレのところにおいでよ?」
負け惜しみを言ったあと、コックは「お祝いだ! ナミさんの卒業祝いな、もちろん」と手を叩いた。
「やっぱりオレの作戦通りだったな!」
ウソップがどうだと言わんばかりの顔で、胸を突き出した。
「いや、ウソップ。ちょっとお前に聞きたいことがあるんだが……」
ウソップの肩をがっちりと掴み、問い詰めようとしたところで、背後の扉が勢いよく開いた。
「おーっす!! 今帰ったぞ〜!」
「ルフィ!!」
振り返ると、ルフィとロビンが揃って立っている。
「おう、ゾロ! 久しぶりだな!」
そう言ったルフィは、4年前よりもずっと精悍な顔つきで、4年前よりもずっとたくましくなっていた。
「元気そうだな、ルフィ」
無意識に手を挙げたところにちょうどルフィの手がやってきて重なると、乾いた甲高い音がした。
ルフィはそのまま手を伸ばして、ナミに差し出す。
「オレ、ルフィ。よろしくな、ナミ!」
「え? 何で私の名前……?」
訳がわからないまま、ナミはルフィの手を取った。
「……あの花火は、ルフィ、お前だろ?」
「おう! お前の一大事だっていうから、オレが奮発してやったぞ!」
やっぱり、と小さなため息が出た。
目を細めてウソップを盗み見ると、ウソップは店のメニューで顔を隠した。
「だけどよー、お前らオレがせっかく500発も花火打ち上げたのに、ずーっとキスしてて全然見てねえんだもんな!」
その一言で、店は水を打ったように静まりかえった。
幸い、この日は貸し切りでオレたちしかいなかったのだが。
「キッ!?」
奇声の後に背後でコックがぶっ倒れる音が聞こえた。
「そんなの、オレのシナリオにはなかったぞ?」と、ウソップは皮肉を込めて口笛を吹いた。
ロビンはただくすくすと笑っているだけだった。
「……お前ら、見てたのか?」
「おう、ずっと見てたぞ! 屋上から」
鐘の中に入れられて、一発鳴らされたような衝撃だった。
「ゾロが空に向かってガッツポーズをしたから、オレがウソップに電話して花火を上げてもらったんだ」
ガッツポーズと言われて一瞬意味が分からなかったが、確かにオレは、そのような動きをしたかもしれない。
「なんだなんだ、このエロマリモが! 手ぇ早すぎんだよ!」
復活したコックがオレの頭にピーナッツを投げた。
そこでようやくロビンが前に出て、ナミの前に立ってにっこりと笑った。
「いろいろおめでとう。今日はお祝いしましょ」
ナミは少し緊張して、肩をすくめた。
「私と彼のこと、誤解してたでしょ?」
「……ごめんなさい」
「いいのよ。誤解されるようなこと、実際したわけだし」
「なんだそれ! ゾロ、お前ロビンと何したんだ!?」
聞き捨てならない、とルフィがオレに飛びかかって来ると、女2人はそんなことにはおかまいなしで、握手を交わしていた。
オレはルフィに羽交い締めにされ、コックからはピーナッツを投げつけられ、散々な目に遭っていたというのに、ナミとロビンは、今日の花火が上がるまでのウソップ物語を笑いながら聞いていた。女のこういうところが怖い。
これからは、こんな騒がしい時間が増えるんだろうな。
* * *
「姉さんは卒業式が終わってすぐ帰ったのか?」
「うん。また引っ越しの時に来てくれるって」
「……今日は電話するんだろ?」
「どうしようかなー」
帰りのタクシーの中、オレとナミは後部座席の真ん中で寄り添うように座っていた。
以前、両端に分かれて窓の外を見て座っていたのが信じられないほどに密着して。
「今日のことは詳しく話したくないな。話すのもったいないし」
「そうか」
「メールする」
「何て?」
この間は、あんなに長く感じた帰り道が、今日はあっという間で、気がつけばナミの家の前に到着していた。
ナミはオレの耳元に近づき、ささやくように言った。
「先生のキスはオレンジピールのチョコレートの味がした、ってね」
甘いモノ食べないって言ったくせに、と言わんばかりに意地悪な顔でナミは笑った。
「今度ノジコと3人で食事しようね! もちろん、バラティエ以外で!」
そう言って勢いよくタクシーのドアを閉めると、まるで打ち合わせをしていたかのようにタクシーは走り出した。
「あいつまたオレのこと先生って……」
半分呆れてため息をつく。しかし窓に映ったオレの顔は、かなりにやけて見えた。
バックミラー越しに運転手と目が合うと、次の行き先を告げていなかったことを思い出した。
「お客さんはS高前で降りるんでしたっけ?」
そう言った運転手は、どこかで見たことのある顔だった。
* * *
「気をつけてな、ゾロ!」
「ナミによろしく伝えてくれよー」
ルフィとウソップが大きな声で叫んだ。
「てめぇはぜってー道に迷う。そしてナミさんの元にはたどり着けない。オレが断言してやる」
コックはそう言いながらも、絶対渡せとリボンのついた菓子箱を差し出す。
「アホか、カーナビついてて迷うわけねェだろうが」
菓子箱を受け取り、後部座席に積まれた花火の袋の横に置いた。
あれから数か月経ち、ナミは東京の大学へ。
オレは相変わらずこの町で教師を続けている。
学校では3本の竹刀を持って歩き、週末はくいなの父親の道場を手伝い、暇があればバラティエで酒を飲んだ。
以前までの金太郎飴のように変わり映えのない日々も、何故だか毎日が新鮮で、色鮮やかに見える。
その理由は言うまでもない。
「じゃあ行ってくる」
真新しいにおいが残る運転席に座り、慣れないクラクションを鳴らして出発した。
遠くから「高速入り口は反対方向だぞ!」と聞こえたような気がしたが、オレの気持ちはすでにナミのことでいっぱいだった。
電車で行けば2時間ちょっとで東京に着く。
今まで何度もナミに会いに行ったし、ナミも頻繁にこの町へやってきた。
しかし、ナミが来るときは必ずバラティエで大宴会になるもんだから、オレとしては自分から会いに行く方が余計な邪魔が入らずに済む。
そして、今日初めて車で会いに行く。
今日はナミの誕生日で、この日のために、オレは新車を購入した。
無精なオレは、電話もメールもまめな方じゃねェ。
だからしょっちゅうナミともケンカになる。
それでも、なんとかうまくやってこられたのは、こうやって会いに行っているからなんだろう。
まァ、バラティエの連中に助けられることも多いが。
夕方には東京に着くはずが、高速の混雑もあって予定よりもかなり遅れていた。
すっかり暗くなった空には、うっすらと星が出ているのが見えた。
「もしもし、ゾロ? いまどのへん?」
しびれを切らしたナミから電話がかかってきたので、オレは近くのコンビニに入り、その地名を伝える。
するとオレが今いる場所はナミの家からは反対方向だと言われた。
「もーしっかりしてよねー。ナビついてるのに何で間違えるかなあ」
車を降りて空を見上げると、かすんだ夜空に1つだけ強く輝く星を見つけた。
目を凝らして見ると、その完璧に輝く星の側にほのかに光を放つ小さな星が見えた。
その二つの星は寄り添うように、オレを見下ろしていた。
「大丈夫だ。オレは必ずお前のところへたどり着くから」
星を見上げながらそう言うと、電話の向こうでナミが笑いながら言った。
「ちゃんと今日中に着いてよね。花火いっぱい買って待ってるから」
パーフェクト・スター パーフェクト・スタイル -fin- 2010.12.3 zono
epilogue