Still 〜出港までの時間〜 1
SANJI×NAMI
オレの通っている大学には、超有名なゆうれいがいる。
入学して初めてそれを知った。そもそも、この大学自体全く興味なんてなかったんだ。
頑張って頑張ってひたすら受験勉強して、そのあげく受験日当日に40度近い熱を出した。
もちろん、希望の大学は不合格。まだ後期があるさ、と安心していたらこれまた受験当日に電車の中で眠りこけて、受験会場に着いたのは試験開始から40分が過ぎた頃だった。やっぱり不合格だった。
唯一、滑り止めと試験慣れのために受けたこの大学。行く気なんてなかった。
ただ、2度の不運で本命から見放されたオレは、相当打ちひしがれていたこともあって、もう1年頑張る気力なんて持ち合わせていなかった。これでまた来年熱を出したり、寝過ごしたりしたら、なんて考えると、わざわざもう1年努力しても意味がねえだろうって。
そう、オレは運の悪い男なんだよ。ついてないんだ。
生命線だって短いし。どうせ長生きもできねえよ。そういう星のもとに生まれたんだ。
そんな感じで、イジケきってこの大学に入ることに決めた。
せっかくだから、今まで勉強に明け暮れた分、大学に入ったら遊びまくってやる。そんなことを考えていた。
実際、入ってみるとなかなかどうして、大学生活は楽しい。
友達はいいやつばっかで毎日つるんでバカやってるし、かわいい女の子もいっぱいいるし。
ちょっと声かけてデートして……まあイイコトもして。
そんな感じで、オレの生活は一転して華やかになった。
もしかしたら、最初からこうなる運命だったのかもな、オレ。
それなら高校ん時、もっと遊んでおけばよかった。好きだったあの子にも告白すりゃよかったぜ。
話を戻して、そのゆうれいってのは「誰にでも見える」ゆうれいなんだ。
誰にでも見えるってことはだぜ? 相当念が強いってことだ。この世にすっげえ心残りがあるんだろうか。
「今日もいるな」
友達がそう言ったので、目をやると、確かにいつもの場所にいつものように彼女は立っていた。
大学の正門を通り、大きな時計台のある講堂の真正面は噴水のある庭園になっている。
その隅にある街灯の下に、彼女はいつもいるんだ。
天気のいい日に、そばのベンチでくつろく学生も、ときどきちらちらと彼女の方を見る。
街灯の下には小さな花束だったり、缶ジュースがよく置かれていた。でも何故かみかんが供えてあることが多かった。彼女の髪の色がみんなにみかんを思い出させるのかもしれない。
彼女はとびきりかわいいゆうれいだった。
眩しいくらいのオレンジ色の髪に大きな瞳。抜群のスタイル。
短いスカートからスラリと伸びた足はちゃんと地についている。あまりのリアルさに、生身の人間なんじゃねえかって思ってしまう。
でも、やっぱり彼女は透けていた。向こう側の花壇の花が色鮮やかに咲いているのが見える。
彼女は何かを恨むような表情なんてしていない。むしろ無表情のまま、遠くの方を見て立っている。
ときどき、つま先立ちで背伸びをして遠くを見ている。
「あれは誰かを待ってるんだよ」
「誰か?」
視線の隅に彼女の姿をとらえながら、オレたちは次の授業に向かう。
「お前、あの授業取ってねーの?」
「あの授業?」
「この大学に入ったら、みんな取るんだぜ?」
「なんだよ?」
「学部が違ってもモグリで聞きにくるやつばっかだから、いつも席取りが大変なんだ」
「だから何の」
今度一緒に行こうぜ、とそいつは言った。オレは視界から彼女が消える前に一度だけ振り返って見た。
目が、合ったような気がした。
「みなさん、今日は午後から雨が降りますよ」
そう言って、静かに話し始めた教授は、70をとうに越えているだろう、白髪の老人だった。常に笑みをたたえた口元になぜか安堵を覚えた。
「さきほど、彼女が姿を消しましたからね。彼女は雨が降る前にそれを察知して消えてしまうんです」
もう何十年も彼女を見続けているうちに、その法則性に気づいたという。
教授はもともとこの大学の学生だった。誰もが彼女を気味悪いと言って近づかなかったのに、彼だけは彼女のすぐそばまで行って、じっと彼女を見つめていたらしい。
彼女が害のないゆうれいだとわかると、次に彼はなぜ彼女は待っているのか、何を、何のために、いつまで待ち続けるのかが気になり始めた。そして彼は大学に残ることを決めた。彼女を見守り、そして彼女についてあらゆることを調べた。
「このあたりは昔、海だったそうです。地盤隆起などでじょじょに海が遠ざかっていきましたが、数百年前まではここは随分とにぎやかな港町でした」
彼女は港で待っている。
「海を見つめて、彼女はずっと待っているのです」
何を?
「恋人が船に乗って帰ってくるのを待っているとか?」
学生の一人がそう言うと、教授はにっこりと笑って「そうかもしれませんね」と言った。
「いや、むしろ自分が乗るべき船が来るのを待っているんじゃないかな?」
また別の学生が言った。すると教授はゆっくりと首を横に振った。
「船はもう来ているんですよ。ただ、まだ出港はできないんです」
「じゃあやっぱり恋人だよ」
みんな想像を膨らませ、ざわざわと教室がざわめき出す。オレは首を鳴らしてから友達に耳打ちをした。
「こんなん聞いてて楽しいか?」
オレは立ち上がって、長机と学生の膝の狭い間を抜けて教室を出た。そもそも「文学史概論」なんて授業、理系のオレにはかすりもしねえ内容だ。いくら彼女の話が聞けるからといっても、ひとコマずっとなわけでもねえし。時間がもったいねえよ。
扉が完全に閉まる前に、また教授が何か話し始めたようだった。
「でも、出港の時は近いような気がするんです。なんといいますか……最近の彼女は何かそわそわしているように見えるのです。みなさんにはわからないと思いますが、長年彼女を見続けてきた私には何となくそんな風に見える」
「くだらねえな」
そうつぶやいて長い回廊を歩いていくと、木造の屋根にパラパラと音が落ちてきた。
見上げるとねずみ色の空から小さい雨粒が落ちてくる。
「マジかよ……」
一瞬、背筋がゾクっとした。
……まあ、確率の問題だ。何十年もの統計でいけば、彼女が消えた後に雨が降ることが多くても不思議じゃねえ。
「ぐーぜんだ、偶然」
自分にそう言い聞かせて、外に出た。雨足は強くなってきている。
「こりゃ本降りになるな」
羽織っていたパーカーを脱いで、頭にかけて走りだそうとしたけど、思わずその一歩目を無理矢理踏みとどめてしまった。
雨の中、彼女は立っていた。
容赦なく体を突き抜けていく雨に気づく様子もなく、立っていた。
そしてやっぱり、目が合ったような気がした。
あまりいい気がしなくて、オレはパーカーで顔を隠しながら彼女の前を通った。そっと盗み見ると、彼女は肩を両手で抱えて、震えるようにうつむいていた。
「……寒い……?」
まさか。ゆうれいだぜ?
さっき出し損ねた一歩を踏み出して、オレはダッシュでその場を走り抜ける。
だいたい、何百年も待っていて気づかねえのかって。
待ち人、来たらず、だ。
ゼーゼー言うくらいに変な走り方をして、正門の前までたどり着くと、オレはもう一度だけ振り返って彼女の姿を確かめようとした。教授の天気予報なんてまったく根拠がねえよな、なんて思いながら。
彼女は、いなかった。
そもそも、真っ昼間から堂々と現れるゆうれいなんてどう思う?
誰か彼女に教えてやってくれよ。
いくら待っても、そいつは来ないんだって。
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