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解凍 25  

 ...and I Thaw You Out


SANJI × NAMI 



扉の鍵をかけた瞬間、逃げ出したくなったと言ったら、君は呆れるかな?

外のすべての音が遮断された途端、やけに心臓の音が大きく聞こえたんだ
急に君が無口になったから、オレにも不安が押し寄せて
怖くなって、言葉が出なくなる

一歩ずつ、階段を下りるごとに蘇る。
君が大声を出して嫌がったとき、
オレはわけがわからないままにこの部屋を出た。
君に秘密があると知ったとき、
オレは怒りと嫉妬に押しつぶされながらこの部屋を出た。
君を傷つけて失ってしまったとき、
オレは後悔と絶望に打ちひしがれて、泣きながらこの部屋を出た。
次にこの部屋を出るとき、オレはどうなっているんだろう?
願わくば、君の笑顔に見送られて、あの扉を開けたい。
また再びこの部屋に戻ってこられるという確信を持って。

 

腕の中で、オレの首にしがみついたままナミさんはサンダルを脱ぎ捨てた。
床の上にふたつの軽やかな音が鳴る。
それが合図だったかのように、オレたちは互いに唇を求め合った。
長い長い時間、息をつく間もないほどに貪欲に。
小さな音を立てて吸いつきながら唇を離したときには、ナミさんはすでにオレの腕から滑り下りていた。
こつん、とおでこをくっつけてから鼻を擦り合わせて、そしてキスをする。ついばむように、何度も。
オレのジャケットのボタンを外して、ナミさんはネクタイに手をかけた。ぎこちない手つきで、結び目を触っている。
「……っと、ナミさん、待った……それ、逆。オレのこと絞め殺す気?」
オレがそう言うとナミさんは吹き出して笑った。オレが片手でネクタイをゆるめて抜き取るのを興味深そうに見ているその目は、子供のように無邪気だった。それがどうしようもなくかわいくて、またキスしたくなる。
ジャケットが乾いた音を立てて床に落ちた。
オレのシャツのボタンをひとつずつ外していくナミさんを、上から見下ろしながら髪を撫でる。まつ毛の長さがよくわかる。ナミさんは、オレの胸にそっと手を置いて、そのまま肩まで滑らせた。冷たい感触が移動していく。冷たさが通り過ぎた場所は、その反動で熱くなる。
腰を抱え込むようにして抱き寄せて、そしてまた、長い長いキスをした。
そっと服の裾を持ち上げると、ナミさんは腕を上げてするすると滑るようにそこから抜け出した。
黒い下着に強調される肌の白さが、薄明かりの中ぼやけて浮き上がる。
ナミさんは少しうつむいたまま、オレの胸に手を当てた。ヒヤリ、とまた冷たい感触がふたつ。
震える手でナミさんの頬を包み込んで、額に触れるか触れないかのキスをした。
オレンジの髪に顔をうずめると、ナミさんの香りがオレの鼻孔を突いて、そのままオレは動けなくなった。
「サンジ君……?」
ナミさんの声が急に遠くなる。

どうしたんだろ、オレ

怖い、怖いんだ、ナミさん
あんなに触れたかったのに
あんなに抱きたかったのに
今こうやってナミさんが目の前にいても 
これは夢なんじゃないかって
またどこかで目が覚めてしまうんじゃないかって
……拒否、されるんじゃないかって
足が床に貼り付いてそこから動けない

服の擦れ合う音がかすかに聞こえても、オレは目を開けることができず、ナミさんの髪に唇を押しつけたまま。
「サンジ君」
ナミさんの腕がオレの首に巻きついた。
「……サンジ君」
優しくオレを呼ぶ声がして、目を開けると、すぐ目の前にいるナミさんは穏やかに微笑んでいた
今まで見たことのない、優しい表情。
……初めて会った人みたいだ
「サンジ君……愛してる」
重ねてきた唇に応えるようにオレはナミさんを抱き寄せた。そうしたら、オレの手に触れるナミさんの肌は滑るように柔らかくて、その感触でナミさんがもう何も身にまとっていないことがわかった。
心臓が激しく打ち始める。
「サンジ君の肌……あったかい」
オレのシャツの中で腕を回して、ナミさんが抱きついてくる。冷たい手が背中を移動する。そしてオレの胸に押しつけられたナミさんの、胸の感触。
ナミさんの心音が、その柔らかい部分を震わせるように響いてくる。
「……”人の肌”って、こんなにあったかいんだね……」
その言葉はあまりにもリアルで生々しくて、オレの心臓に重く響いた。
様々な思いが一気に流れ出す。
ナミさんの肌に貪りついてきたやつらの顔と声が蘇って、オレを支配する。
「……くっ……」
必死で歯をくいしばる。
たったこれだけで、こらえきれないほどの憎悪と、やりきれないほどの無力感。
「うぅ……」
―――――耐えろ
あいつらはもういない、いないんだ
そこにいるナミさんを
今ここにいるナミさんを見るんだ

「……ごめんね、サンジ君」
オレの胸の上に落とされた言葉。その言葉の意味がわからず、聞き返す。
「何で……あやまるの?」
「そっか……ごめん。……あ、またあやまってる、私」
ふふ、と軽く笑ったナミさんの息がくすぐったい。
オレの胸に頬をつけて、また強く抱きついてきた。
「じゃあ……ありがとう」
ナミさんは顔を上げて、しっかりとオレの目を見て言った。

「……こんな私を愛してくれて、ありがとう」

ナミさんの目は夜の闇とランプの揺れる明かりを映し出して、その真ん中にはしっかりとオレの顔が見えた。
強い目だ。
あんなに消えそうで弱々しかった小さな人。
それが今、こんなにも強い存在感でオレの目の前にいる。
ナミさん、君はいつの間にそんなに強くなったんだい?
オレはまだ、こんなに臆病で、こんなに震えてる。
「ナミさん……!」
強く、強く。
これ以上ないくらいに強く抱きしめた。

オレの方こそ、ありがとう
こんなオレを愛してくれて
……ありがとう

たったそれだけの言葉がオレに自信を与えてくれる。
これは夢じゃないんだとオレを混乱の中から引き戻す。
暗闇の中でオレを導く一縷(いちる)のヒカリ

……そうだ
目の前にいるナミさんは現実の中で必死で過去と向かい合おうとしている
それを怖いとか夢だとかそんな言葉でごまかしちゃいけねえんだ

……見届けるよ
オレがしっかりと見届ける
ナミさんが過去と向き合って
それを越えていく姿を
オレが一番近くで見届けるよ
そしてオレも
ちゃんとナミさんの過去に向き合うよ

もう、逃げねえ

そっとナミさんのカラダを離すと、夜の陰影が真っ白な肌に落ちていた。
「……キレイだよ……キレイだ、ナミさん」
思わず言葉がこぼれた。

ウソじゃないよ
ウソじゃねえ
君は、キレイだ

恥ずかしそうにうつむくナミさんの髪がまた影を作って、オレからその表情が見えなくなると、そこから闇とヒカリに分かれてそれぞれに吸い込まれていきそうで、オレの心が焦りだす。

早く手を伸ばさなきゃ
早く、ナミさんをつかまえなきゃ
もう絶対に離さないって決めたんだ
だから、今ここにいるナミさんを
しっかりとこの腕に抱きとめて

ナミさんの顔を片手でそっと持ち上げて、吸いつくように唇を合わせた。
シャツを脱ぎ捨てて、素肌のままでナミさんを抱きしめる。
「あったかい……」
もう一度ナミさんがそう言った。その一言で、オレのカラダが発熱する。

そうだよ
でも、この温度は
ナミさんが作り出してるんだ
オレの中で、君が作り出しているんだよ?
背中に回されるナミさんの手は冷たい。
だからオレはその髪に口づけて強く息を吹き込む。
「……オレが」

君がオレの中に熱い温度を作り出すように
オレもナミさんの中に
日だまりのようにあたたかい場所を
作ってあげる

「オレが、あたためてあげる……!」

オレの体温すべて、ナミさんにあげる

靴を脱ぎながら、ナミさんを抱え込んで勢いよくベッドの中に沈み込んだ。 
いきなり深く求めるような荒々しいキスにも、ナミさんは応えてくれる。
キスの音と、ナミさんの声。
それだけが部屋の中に響いている。
「サンジ君……!」
小さな声でオレの名前を呼ぶ。
それにオレはキスで返す。
壊さないように丁寧に。
壊してしまうほどに強く。
唇から首筋に
唇から耳に
唇から胸に
唇から……
「サンジ君……サンジ、くん……!」
その切ない声はオレの頭の奥を優しく撫でて、手足がしびれるような感覚をカラダの中に広げていく。
「ナミさん……ナミさん!」
オレもすべてを脱ぎ捨てて、カラダじゅうでナミさんを抱きしめたら、どうしようもなく愛しくて、もう名前しか呼べない。
それすらも自分の意志から離れていく。
後ろから抱き寄せて、唇でオレンジの髪をかき分けてうなじに口づける
手の中には、収まりきらない柔らかい胸。
いつも見ていたはずの細い肩と、タトゥー。その模様を舌でゆっくりとなぞって。
そしてその奥にある傷―――――
もう噛みついたりはしない。
慈しむように、溶かすように舐めていく。
この場所から、ナミさんの過去が流れ出すように、丁寧に、丁寧に何度も。
「……サンジ君」
オレの髪に指を通して、頭を抱えようと振り返るナミさんよりも早く、ナミさんの髪をくしゃくしゃにして、抱え込んでキスをする。
今にも泣き出しそうなオレの顔を、ナミさんに見られたくなくて。
ナミさんが視線を落とす余裕もないくらいにそのカラダに唇で触れたら、ナミさんの切ない声でまた、泣きたくなる。
ぎゅっと目を閉じたナミさんの髪を何度もかき上げて、気の遠くなるようなキスをした。

……やっぱり
すべてを知りたいから抱きたい。
でも、抱いたからすべてがわかるわけじゃない。 
今までオレが抱いてきた人たちの、何をオレは知っていたというんだろう?
快楽を貪るためだけの、欲求を満たすためだけの行為。
それなら、さっき出会ったばかりの人だって構わない。
むしろ、何も知らない方がその行為のみに没頭できる。

所詮、本能に支配された行為
そんな美しいもんじゃねえ
美しいもんじゃねえけど
そこに意味を求めるとすれば
それは多分…… 

「ナミさん……!」

サンジ君が視界から消えて、唇の触れる感覚だけでその場所を確かめる。
片手は私の手をしっかりと握っている。
もう片方の手が私の足に触れてそっと広げると、そこに顔をうずめて熱い息を吹きかける。
その瞬間にカラダが硬直する。
「いやっ……! サンジ君……いやだぁ……」
イヤじゃない、イヤじゃないけど、
カラダはまだ過去の感覚を覚えている。
―――――怖い

怖いよ、サンジ君
そこにいるのはサンジ君なのに
サンジ君の温度がわからない

「いやぁ……」
サンジ君の髪が私のカラダに貼り付いて、手とも唇とも違う感覚にカラダがぞくぞくした。
―――――怖い
サンジ君、どこ?

「イヤ? ……イヤなの? ナミさん」
金色の髪が目の前に現れて、視界を覆った瞬間に、唇も覆われていた。
「んっ……んんっ……」
喉の奥で必死でサンジ君の名前を呼ぶ。

サンジ君だ
この唇はサンジ君
ちゃんといる
ここにいる

唇が離れて熱い息を吹きかけながらサンジ君が言った。
「ナミさん……オレ……やめねえよ?」
首筋から耳元に何度も唇をはわせながら、サンジ君は私の名前を囁く。
何度も何度もうなづいて、絞り出すように声を出す。
「うん……やめないで……私が何を言っても……やめないで……!」
サンジ君の首に腕を回して、必死でしがみつく。
足の間にサンジ君の手が滑り込む
「ひっ……!」
一瞬のうちに、恐怖の感覚にとらわれる。
はっと息を飲んだ瞬間、目の前には見えるはずのない真っ青な空が広がっていて、聞こえるはずのないみかんの木のざわめきが、うるさいほどに響いていた。
「やだ……いやだっ……!」
逃げだそうとする私の唇をふさいで、全体重をかけてサンジ君が覆いかぶさってきた。
「……やめねえよ?」
もう声が出なくて、歯がガチガチと鳴り始める。
「うっ……ううっ……」
思わず口を押さえる。ずっとそうして耐え続けてきた。
そうすれば時間は過ぎていったから。
でも、サンジ君はその手を掴んで、ベッドの上に押さえつけた。
「ダメだ、ナミさん。全部出すんだ。今までこらえてきたもの、全部、出して……」
そう言ってまた私の視界から消えていく。
「ひっ……ああ……」
悲鳴のような声しか出ない。
「出すんだ、ナミさん、全部」
「くぅ……うう……」
「もっと」
「う、ああっ……」
「もっと……」
冷静なサンジ君の声に促されるように、私はうめき声のように醜い声を出し続けた。

「……くっ……」
サンジ君の絞り出すような声がした。
再び視界に現れたサンジ君は、私の顔を両手で掴んで、私の出す苦痛の声を飲み込むようにキスをした。

「……泣いていいんだよ?」

恐怖に支配された私の顔が、サンジ君の目に映った。目を大きく見開いて、青い顔で。
それでも、涙は流れていなかった。

あの日
みかん畑で
これから流す分の涙を全部流したから
だからどんな苦痛の時間にも
涙は流れなかった

「泣いて、いいんだよ? ナミさん」

もう、そんな涙なんて残っていないと思ってた。
唇が震え出す。
「うっ……ううっ……」
私の頬にそっと触れて、サンジ君は微笑んだ。

「……泣いていいよ」

その一言で、
何かがカラダの中ではじけて、一気に流れ出す。

「うあああああ……!」

サンジ君にしがみついて、これ以上ないくらいの大きな声で私は泣いた。
優しく私の髪を撫でながら、サンジ君が囁いた。
「そう……そうやって泣けばいいよ。オレの腕の中だったら、どれだけでも、泣いていいよ?」
そう言ったサンジ君の言葉でまた、大量の涙が流れ出す。
「ここで泣けばいい。もう二度と、あんなところで、シャワーの音に紛れてひとりで泣いたりしないで」
「うん……うん……!」

本当にいいの?
こんなに醜い声で、ぐしゃぐしゃの顔で
泣いても、いい?
ここで、
サンジ君の腕の中で泣いて、いいの?

「……いいよ、泣いて」
それが伝わったかのように、サンジ君は優しく私の顔を包み込んで、そっと涙を舐めとった。
「オレがいる」
何度も何度も、とめどなく流れ落ちる涙を受け止めてくれる。
「そのために、オレがいるんだ」

その言葉で
カラダの違う場所から、別の涙が流れ出す
「サンジ君! ……サンジ君、サンジ君……!」
そう言って何度も名前を呼んで抱きついたら、
だんだんと、そこにある感触すべてがあたたかい温度を持ち始めた。

あたたかい手
あたたかい頬
あたたかい胸
そして唇は焼けるように熱い

変わりたいの
私の中にあるおぞましい過去を全部
サンジ君に塗り替えて欲しいの
欲求を満たすためだけの道具にされるのはもうイヤ
この行為には本能に支配されている
だけど
それでも触れて欲しいと思うのは
もっと違う、もっと深い意味があるような気がする
私に触れるのが、”あなた”であるということが

その温度を、感じたいから
だから
めちゃくちゃにしていいから
オスの目をして
激しく、貪るように
私を抱いて

「ナミさん……」

サンジ君が私の上に重なってくる
カラダじゅうに熱いキスを浴びながら
ゆるやかに溶けだしていくもの
冷たく流れ出したそれは
指先に届くころにはもう
あたたかみを持っている
もっと溶かして
もっとあたためて
私のカラダが、サンジ君と同じ温度になるまで

激しく重ねた唇を離すと、サンジ君の髪が汗で私の顔に貼りついていた。
金色に覆われた視界の中で見る、オスの目。
「サンジ君……?」
オスの目―――――
獲物をとらえて逃さない視線
飢餓感を隠さない色
本能に支配された瞳
……じゃない
どうしてそんなに優しい目をしているの?

「ナミさん」
静かに私に呼びかける。 
少し荒い息の中、穏やかにサンジ君が微笑んだ。

「……愛してる」

この部屋に入ってからはじめて言ってくれた。
「ナミさん、愛してる」
その笑顔が滲んで見えなくなった。
「サンジ君……!」
涙は後から後からあふれだしてきて、目を開けていることすらできなかった。
手を伸ばしてサンジ君の頬に触れる。
何の抵抗もなく引き寄せられるままに、下りてくる唇。
唇と同じくらいに、汗ばんだカラダがお互いを求め合っている。
「私も愛してる……サンジ君を、愛してる……! だから……」
涙を拭うこともなく、目を開けて、サンジ君の目をしっかりと見て言った。

「……来て」

ぼやけた視界の中で、サンジ君は静かにうなづいた。

「ぐぅっ……」
カラダに割り入ってくる、異物感。
一瞬のうちに反応して硬直するカラダ、冷たくなる体温。
無意識のうちに口に手を当てる。
「ナミさん」
遠くで私を呼ぶサンジ君の声。
「オレを見て、ナミさん」
震えながら目を開けると、そこには優しく微笑む愛しい人。
「ナミさん……愛してる」
鼻の上に小さなキスをひとつ、そしてまたゆっくりと沈み込む。
「ひぃ……!」
また青い空が現れる。
みかんの木のざわめきが聞こえる。
再び冷たくなっていこうとするカラダ。
でも、
それを呼び止める声がする。
「ナミさん、ナミさん……愛してるよ」
―――――次に見たのは
青空を背負って、優しく私を見下ろすサンジ君の姿。
みかんの葉が風に舞ってくるくる回っている。
タバコの香りがする。
懐かしい、あのココナッツの―――――

……ベルメールさん? それとも、サンジ君?

「泣いていいよ、ナミさん」
その言葉に促されるように流れ出す涙。
もう、そこに青い空はない。
薄暗い天井に揺らめくランプの光。
そして目の前にははっきりと、サンジ君の姿。

「愛してる、ナミさん」
そう言って近づいてくるその姿に手を伸ばして引き寄せる。
唇の触れる瞬間につぶやいた。
「……サンジ君、愛してる」

サンジ君があたたかい温度で、私の中に入ってくる
指を絡めて手を握り合って
唇を重ねて深く深く求め合って
繋がれる部分をすべて
しっかりと繋いで

私たちは、ひとつになった

―――――すき

サンジ君が、好き

大好き

愛してる

……アイシテル

……その次の言葉が欲しい。
「愛してる」には収まりきらない、あふれ出すようなこの気持ちを伝える言葉が欲しい。
「……サンジ君?」
サンジ君は、私をぎゅっと抱きしめたまま、少し荒い息を耳に吹きかけている。
そこから長い時間が流れた。

ようやくカラダを起こして私を見ると、けだるそうに微笑んでサンジ君は鼻を擦り合わせてきた。
そして鼻の頭に、おでこに、頬に、まぶたに、耳元にキス。そのひとつひとつがあたたかい。
「サンジ君」
「ん?」
髪をかき分けてその右目を覗きこむ。
「動いて……いいよ? 私……大丈夫だから」
返事の代わりに、サンジ君は小さく首を振って、そしてもう一度私を抱きしめた。
「いいんだ」
私の髪に口づけて、何度も熱い息を吹き込む。
「サンジ君?」
「……このままでいたい」
サンジ君は私のカラダを抱きかかえて、向かい合うように横になった。
カラダは繋がったままで。
「ずっと朝までこうしていたい……」
何度も何度も鼻を擦り合わせて、
何度も何度もついばむようにキスをした。
カラダがゆっくりとほぐれていって、
海に漂っているような安堵が押し寄せる。

 

目の前のナミさんは、とろん、と眠そうな目をして微笑んでいる。
安心しきった笑顔。
君を脅かすものは何もない。
ここにいるのは、
オレとナミさん
―――――”ひとつ”だけ

こうやって繋がっているだけで、カラダの中からあたたかいものが流れ出して、そして指先にまでゆきわたる。
それは君からも流れてきていて、
オレから君にも流れていく。
―――――これは何だ?
今まで感じたことのない心地よいけだるさ。

本来これは
本能的な行為
欲求を満たす行為
快楽を追求する行為

でも、そのどれでもない
―――――これは、何だ?

……本当はもうわかってる。
そこに意味を求めるとすれば、
それは多分、こういうことだ。

 

「……サウスブルーの小さな島のお話よ」
「そんなの……ただの物語なんだろ?」
「ふふ、そうかもしれないわね。私も本で読んだだけだから」
「そんなこと、できるわけねえよ」
「あら、そうなの?」
「ロビンちゃんだってわかるだろ? そこまで来て、止まれるわけがねえ……たとえ自分の意志が止まれって言っても、無理だよ。理性を失ったら、あとは本能で突き進むだけ。男ってそういうもんだよ」
「……オスの目」
「ん?」
「私があなたを最初に見たときのあなたよ」
「オス……って、それじゃあオレが理性ゼロ、本能だけで生きてるみてえじゃん」
「あら、違うの? 男はそういうものなんでしょう?」
「それだけじゃねえよ。本当にそうだったら、みさかいなくなっちまうよ?」
「なかったんでしょ、あなた」
「ぐっ……! はぁ……参りました、ロビンちゃん。ハイありませんでした、オレ」
「……もう、過去形なのね」
「まあね……たったひとりを見つけることができたからね、オレは……」
「ふふ」
「かっこ悪い?」
「そうね、とっても」
「そっか……よかった」
「よかったの?」
「かっこつけんな、って言われたことあるからな」
「へえ……」

「ねえ、コックさん」
「なに?」
「たったひとり、ってどうやって決めるのかしら?」
「どうって……自分の気持ちじゃねえの?」
「何があなたの中で、他の人とその人を区別するの?」
「何だろうなあ……ハハ」
「どうしたの?」
「いや……ちょっと……」
「ふふ」
「なあ、ロビンちゃん」
「何かしら?」
「それってさ……『愛』とか、言っていいわけ?」
「さあ」
「愛かもな」
「ふうん」
「愛、かな」
「どうかしら?」
「そういうことにしておいて」
「わかったわ。さっきのお話も、ただの物語ってことにしておいて」
「ああ」

 

「……サンジ、くん?」
何かを思い出したように、サンジ君がふっと笑った。
その息が、私の顔にかかる。
「サウスブルーで……」
「ん?」

「サウスブルーの小さな島では」
そう言ってサンジ君は私の頬にキスをした。

「サウスブルーの小さな島では、十五歳でもう成人と見なされるの。そして、成人する2年前、十三歳でみんな結婚する」
「十三で? まだガキだよ?」
「……そう。だから最初に女性は自然と結婚するの」
「自然?」
「ええ。木とか、石とか、土とか……」
「なんだそりゃ」
「そういう慣習なの。自然は神様が与えてくれたものだから、それと結婚することによって女性は神に仕える身となる。そういう考え方なの」
「へえ……不思議な島があるもんだ」
「そして、次に同じ年の男性と結婚する。でも、成人するまでの2年間、男性は女性の家で暮らして、あらゆる知識をたたき込まれる。立派に家庭を守るために必要なこと……火の起こし方、狩りのしかた、農耕から村の規律、子供の作り方まで」
「子供……って結婚してんだから、そんなこと教えてもらわなくても……」
「……成人して初めて夫婦には家が与えられる。そうして初めて、子づくりをするの」
「はぁ? じゃあ2年早く結婚しなくてもいいんじゃねえの? 成人してからで……」
「そういう慣習なのよ。2年間、この夫婦は寄り添って眠る以外、お互いに触れあってはいけないとされているの」
「ますますわけわかんねえ……それじゃ、結婚の意味がねえだろ?」
「そう?」
「夫婦なのに触れ合っちゃいけねえなんて」
「……2年かけて育むものがあるのよ」
「何を?」
「……愛情」
「あいじょう?」
「毎日毎日、目の前で眠る人を見て思うの。自分はこの人を守って生きていくんだ。自分はこの人の子供を産むんだ、って。それを2年間続けたら、どうなると思う?」
「……愛し合うようになる?」
「ええ、そうね。初めて結ばれる日を待ち焦がれるようになる」
「それで、2年間こらえていた分、開放されたら子づくりにも勢いがつくってわけか」
「いいえ、違うのよ。2年経ってもまだ結ばれないの」
「まだ!?」
「2年経ったら、もう一度結婚するの。女性にしてみたら3度目の結婚ね」
「もう一度、って……同じ人とだろ? それに何の意味があるんだい?」
「2年経ってようやく、男性は女性と同格と見なされる。つまり、神に仕える女性を神から授かるという儀式が男性にとっては2度目の結婚になるの」
「……ってことはだよ、女が十三になったら、2歳年上の男とすぐに結婚すればいいんじゃねえの?」
「だからそれは」
「慣習なわけだ」
「そう」
「あきれたな」
「世界は広いのよ。いろんな人がいて、いろんな文化があるの」
「……で? 再び結婚したそのふたりは、次に何をさせられるんだい?」
「新しい家で、初めての夜を迎える。ハダカになって抱き合って眠るの」
「じゃあ、それでめでたしめでたし、だよね?」
「抱き合って眠るだけ……次の満月が来るまで毎日毎日ハダカで抱き合って眠るだけ」
「それは……生殺しだな……」
「そして満月の日が来て、やっとふたりは結ばれる」
「長げぇなあ……」
「でもね」
「……まだあんのかよ……」
「そういう慣習なの」

 
「でも……何?」
オレの目の前で、頬を赤らめたナミさんが聞いた。オレンジの髪がオレの顔に汗でくっついていた。
「でも、結ばれた二人はこうやって繋がったまま動かずに、朝を迎える」
大きく息を吸い込むと、髪からはナミさんの香り。
「こうやって……?」
「そう、今のオレたちみたいに」
そっとオレの顔から髪を拭って、ナミさんがおでこをくっつけてきた。
「……それも慣習なの?」
「……いや、違う」

そうやって長い時間をかけてお互いを欲してきた二人は
必ずそうしたくなるんだと、ロビンちゃんは言った
それは、そうしなければならない慣習ではなくて、
かならず”そうなってしまう”慣習……つまり、自分の意志なんだ、と。
だからオレはそれをただの物語だと笑った。
そんなことがあるわけがない、と。
長い間、愛する人に触れることもできず、ようやくふたりだけになれでも、ただハダカで抱き合うことしかできず、そしてやっと繋がることができても、そのまま何もせず朝を迎えるなんて、ありえない
なぜならそれは本能に支配された行為。
理性がかなうはずがない。

それでも、
本能に打ち勝って、彼らをそうさせるもの。
そんなもんがあるとすれば、
……ずっと育んできた「愛情」なのか?
なぜ、オレにそんな話をしたのかと最後にロビンちゃんに聞いてみた
「似てるでしょう? あなたたちに」
そう言って彼女は部屋を出ていった。

暗闇の中で聞いた、遠いサウスブルーの小さな島の話。

……ナミさんは
オレにとってのナミさんは、
どれだけ欲しても手に入らないもの。
そう、思い続けていた。
何度抱きしめて、何度キスをしても、
オレの手の中をすり抜けてふわふわと漂っていくカタチのないもの。
そう思っていたから、
確かなものを何一つ得ることができず、
近くに行けば行くほど遠くに感じた。

……似てねえよ、全然。
その夫婦は結ばれることが最初から約束されていたんだ。
オレには、そんな確証はひとつもなかったんだぜ?

焦がれて焦がれて
増幅し続けたオレの気持ちは
そいつらよりもずっと重いし
そいつらよりもずっと、深い

オレは自信を持って言ってやる
オレがずっとナミさんを欲して抱えてきた思いは
そいつらの比なんかじゃねえって

比なんかじゃ……
―――――なんだ
それか。
そのことか。
オレもしっかりと育んできてたってわけだ。

いや、オレだけじゃない。
きっとナミさんも―――――

「……それは慣習なんかじゃないよ」
ナミさんの耳元にそっと囁いた。
「慣習じゃなくて……?」
上目づかいでオレを見たナミさんはすげえかわいくて。
オレはその答えの代わりに、丁寧なキスをひとつ、ナミさんのまぶたに落とした。

今ならはっきりと言えるよ、ロビンちゃん

―――――愛、だろ?

ナミさんしかいない
ナミさんしかいらない
「たったひとり」を見つけたオレの
―――――愛だよ
でも多分、言葉にすると安っぽくなってしまうから、言わないでおこう

腕の中にあるナミさんのカラダから
オレと繋がっているナミさんのカラダから
感じ取る

ああ、オレはこんなにナミさんを好きで
ナミさんを愛してる
愛してるという言葉よりもっと深い気持ちを感じたいから、伝えたいから、こうやって繋がったまま抱きしめて、このまま朝を迎えたいと、そう思うんだ。

本能じゃなく、愛情の確認。

この行為に意味を求めるとすれば、きっとそういうことだ。

「何で……泣いてるの?」

いつの間にか、オレの目から流れた涙は、
オレの唇をつたって、ナミさんのまぶたの上に流れていた。
「あれ……なんでだろ?」
目に手を当てて確かめる。
ナミさんの上に落とした自分の涙を指で拭い取る。
「……ナミさん」
「ん?」
「……ナミさんも泣いてるよ?」
オレの涙を拭っても、ナミさんの目からは涙がこぼれてきた。
「ほんとだ……」
少し驚いて、ナミさんは自分の手で拭った涙を見つめていた。
その手を取って、きゅっと握った。
「ホラ……ナミさんわかる? オレの手とナミさんの手」
「あ……」
オレの手とナミさんの手は、
握り合っているという感覚すらも失っていた。
なぜならそれは―――――
「……同じ温度になってるよ?」
「うん……わかる」
吸いつくようにくっついた手は、ひとつとも、ふたつともわからないくらいに溶け合っている。
「多分」
オレは笑って……いや、泣きながら笑ってナミさんを見た。
「オレが、ナミさんの分も泣いてるんだ」
「私の分も?」
ぱちぱちと、まばたきをするたびに大粒の涙がナミさんの目から落ちていく。
「そう。ナミさんが早くオレと同じ温度になれるように、オレがナミさんの分も泣いてるんだよ、きっと」

―――――溶け出してるんだ
君の中で凍りついていたいろんなものが
過去の”カタマリ”が
それが君からオレに流れてきている

ナミさんの中で始まったんだよ?

頬ずりをすると、お互いの涙が混ざり合って流れていった。
それすらも、同じ温度で、流れているという感覚もなく。
そっと引き寄せて抱きしめる。
ナミさんがゆっくりとオレに溶け込んでくる。
「……眠ろうか」
「うん……」

星はまだ降り続いているのだろうか。

「あそこでナミさんを抱かなかったのはね……」
「ん?」
「こうしてずっと繋がっていたかったからだよ」
「……うん」
「だって」
「だって?」
「……いや、なんでもない」
「あ、言いかけてやめるの、ずるい」
「……じゃあ言うけど?」
「うん」
「あんなところでずっとこんなことしてたら、風邪引くだろ?」
「……バカ」

何故、あそこで君を抱かなかったか? 
まあ、あんなところで朝まで抱き合ってたら、本当に風邪引くからね
でも、それはウソ
”この船の”みかん畑では、君を抱けないんだ

「サンジ君」
「ん?」
「愛してる」
小さなキスを、ひとつ。
静かに目を閉じたナミさんの髪を指に絡めて、幸せそうな寝顔を覗きこむ。

―――――ねえ、ナミさん

いつか、君とあの村に帰るとき
すべてを終わりにしよう
恐怖しか生み出さない砦は崩れ去った
だから、最後はあの場所で

空へと続くみかん畑で、オレが君を抱きしめてあげる
葉擦れの音と、みかんの香り、そしてタバコ
それらが君の中で幸せの記憶に変わるように

オレのことしか見えなくなるまで
オレのことしか思い出せなくなるまで
何度も、何度でも君を抱くよ

そしていつか
恐怖を安堵に
絶望を快楽に

オレの腕の中で溶けていって
熱い吐息でオレの名前を呼んで
冷たい土の上で
オレの体温すべてを注いで
君をあたためてあげる

「おやすみ、ナミさん」

オレも眠ろう。

目を閉じるのは怖くない。
夢の中でも君は待っていてくれる 。
だから、言い尽くせない気持ちを夢の中でも伝えよう。
そしてまた目覚めたら、
その瞬間から、あふれるほどの愛で君を包もう。
「……愛してるよ」

「愛してる」の言葉で溶け出したら

数え切れないキスでそれを拭っていく

そして抱きしめて、またあたためる

それをくり返したら

いつか

抱きしめた瞬間から熱くて

唇を重ねた瞬間に溶け出すような

そういう温度に

そういうふたりに


……なれるはずだから



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